龍神界に関する御教え

龍神界

龍神界は霊界にあるのである。龍神は主として天然現象を司っているものである。あの気象台の何百何十ミリの低気圧とか、不連続線等と言うのは皆龍神の役である。龍神界は霊界的活動である。

金龍 国常立尊(男龍)男龍を生む。
天皇 天龍 天皇に生れる龍神、最高の龍神。
銀龍 豊雲野尊(女龍)女龍を生む。

是が最高の龍神である。金龍が地中へ潜む時(潜龍)光を隠して黄龍(蛟龍)となる。金龍及銀龍は天龍を守護しているのである。

地球踏み固めの時は国常立尊、豊雲野尊がたくさんの龍神を生んで踏み固められたのである。谷又は 谷川は龍神がくねって歩いた痕が出来たそれなのである。是等は皆大きな龍神であった事は、色々の龍神の通った痕等でよく判るのである。この龍神が死んで霊体となり色々の御用をしているのである。天地の浄化作用をするのは龍神である。

白 龍 雨を降らし又水を清める。
青 龍 人間は大抵この青龍(青大将)となるのである。
山 龍 風及雲を起す。高山に雲の多いのは山龍が製造しているのだ。風も高い山から起きる事が多い。
木 龍 木に宿り居る龍神で松と柳が多い。鱗の様になり居る。
火 龍 雷を起し大きな火事で焼き払う、大火事の時又は飛火は火龍が持って行くのである。
地 龍 地震を起すのはこの龍神である。
赤 龍 サタンである。
黒 龍 強悪最も甚だしい悪龍である。
海 龍 龍宮の乙姫の事である。
九頭龍 この龍神が私によく懸って来たことがあったが、この龍神が追々人間化して話をする様になり、富士山に居る久須志宮であると言った。富士山に立派にある。この九頭龍は八大龍王の頭である。
 九大龍王というのが本当であるが、伊都能売金龍を匿したのである。乙姫の乙の字にノの字を加えれば九となるので、乙姫より上の龍神である事も判る。又龍の一番上の龍神であるのだ。
女 龍 女龍は水の働きをした。水を配ったのは女龍である。今地下から水の出るのは此の龍神の歩いた道であって、此の為この道も曲りくねっているのである。又太いのと細いのとあるが、龍神の大小によるのである。

『観音講座 第四講座』昭和十年八月十五日

岡田茂吉全集著述篇第一巻p281

註)昭和十年初頭は軍国時代であったため、当時のみ教えにも必要以上に天皇を高く掲げる記述があり、その点注意して拝読する必要があります。


神龍、天龍、金龍、銀龍について

神龍とか潜龍といっても特別の意味はない。天龍は天界を守っている。地上では金龍が最高であって次が銀龍である。龍神の偉くなったのが神龍である。皎龍や白龍などもそうとうの格式がある。

『地上天国3号』昭和二十四年四月二十日

岡田茂吉全集講話篇第三巻p25〜


八大龍王について

(一) 特に龍神になられ日本近海に封じ込められた御因縁

(二) 現在の御働き

(三) 「八人男と女唯一柱の神御霊とならせ此土に伊都能売神」との御讃歌の意味

(四) 鳴門海峡にもどなたか御鎮りだったのでしょうか。

御垂示

 八大龍王は日本の神ですから、日本の近海に鎮まっていて時を待った。この時仏になろうとして印度へ行ったが、仏の御働きは具合が悪いので仏滅まで待てと言う訳で日本に帰って来て鎮まった。之は本当ですよ。外のことでも立証出来ますよ。現在は人間として働いてます。殆ど皆観音教団に入っていますよ。「八人男と女」は本当は九柱で九大龍王です。その中の一柱が伊都能売大神です。この神様は私と深い因縁があり常に私を守護してくれています。昔之が私にかかりいろいろな事を知らせてくれました。

この金龍は琵琶湖に潜んで居り、又富士山麓久須志神社の神です。やはり霊にも霊と体があり霊は富士山の木花咲耶姫尊で体は琵琶湖に居り、明治四十四年四月二十一日にここを出て天に昇られたが、その時は大暴風雨で漁船が四十七隻沈んだそうで之は当時の新聞に出た事です。それから特に鳴門に鎮まった神はありません。海の神は「金比羅和気命」と言って海を守護して居られる。これが「金比羅様」です。


龍神界

(聖教書とは別バージョン)

龍神などというと、現代人は荒唐無稽の説となし、古人の幻影的作為の産物と想うであろうが、決してそうではないのであって、全く実在するものである。それに就て私の体験をかいてみよう。私が宗教や霊の研究に入った初めの頃である。或日、精神統一をしていると、突然異様の状態となったのである。それは口を大きく開くと共に、口が耳の辺まで裂けているような気持がし、眼爛々として前額部の両方に角の隆起の如き感じがし、猛獣の吠えるが如き物凄い唸り声が自然に出るのである。私は愕くと共に、予ねて霊の憑依という事を聞いていたからこれだなと思った。そうして此霊は虎か豹かライオンの如きものかとも思ってみたが、右の動物は無角獣であるからそうではない。そこで其当時の先輩である指導者格の人に聞いてみた所、それは龍の霊であるという事であった。そう思ってみると成程と意ったのである。そうして神憑りの際は、背の上方部の骨が隆起するような感じがしたのも龍の特徴である。其様な事が何回もあったのであったが、其中に私以外のものが私の身体の中で喋舌るのである。いわば無声の声とでもいおうか種々の事を語ったのであるが、それは私に憑依した龍の霊であって、私に憑依した事によって人語を操れるようになったとの事で、自己の因縁や其他の事など種々物語ったのである。其時の話に−−「自分は富士山に鎮まります木之花咲耶姫尊の守護神であって、クスシの宮に鎮まりいる九頭龍権現である」−−と曰うのであった。然るに、其後数年を経て、私は初めて富士登山を試みたのである。それまでは龍神から聞いたクスシの宮なるものは富士の山麓であろうと思い、登山の前序でに富士五湖巡りをした時自動車の運転手などに訊いてみたが「分らない」との事である。そこで私は龍神に騙されたと思って、その事は心の中で消してしまって富士山頂へ登ったのである。然るに山頂に達するや、その入口の右手に相当立派な神社があった。見ると、久須志神社と書いてある。アヽこれだ全く龍神の言った事は、偽ではなかったという事が判った。其後も種々の神秘があったが、それ等を書くと迷信臭くなるからやめるとして、ただ龍なるものが霊として実在するものであるという事をいえば足りよう。従而、霊が現存している以上、何千か何万年前には体があって、此地上に棲息していた事は勿論である。今日満州の奥地から時々発見される恐龍の骨などは、最後の龍であろうと思うのである。

 又、龍には種類が頗る多く、主なるものを挙げてみれば天龍、地龍、山龍、海龍、水龍、金龍、銀龍、火龍、赤龍、蛟龍、黄龍、青龍、白龍、黒龍、木龍等であり、最高の龍神は天龍であり、一柱であって畏多き事ながら、聖上陛下に対し尊称し奉る場合、御龍顔と申上げ、又は袞龍の御袖などと申し上げる事は人の知る処である。全く、現人神の御尊体を御守護奉る龍神と拝察申上ぐるのである。又、伝説によれば、観世音菩薩の守護神は金龍であるという事である。浅草の観音様が、金龍山浅草寺というのも、そのような意味からであろう。又白龍は弁財天のお使又は御本尊とも言われているが、之は真実であろう。赤龍は聖書中に「サタンは赤い辰なり」という言葉があるがそれであろうと想うのである。黄龍及び青龍は支那の龍であろう。黒龍は、伝説によれば海王である。木龍は、樹木に憑依している龍であって、之に就て少しくかいてみよう。世間よく、大きな樹木を伐り倒したりすると、それが祟って、それに従事した者が大怪我をしたり死ぬ事さえもある。勿論之等も木龍の憤怒であって、切り倒す前、初めに小さくとも同種の樹木を代りとして植え、御饌御酒を供え、敬しく霊の転移を願えばいいのである。其際は、言葉によって木龍は快く諾うものである。

 一体、天龍は別として其他の龍神は、如何なる必要によって存在しているものであるかというに、皆それぞれの職務を分担的に管掌の神から命ぜられ、それを奉じて不断の活動を続けているのである。就中、天文現象即ち風雨雷霆等は、それぞれの龍神が、祓戸の神の指揮に従い活動するので、勿論天地間の浄化作用の為である。其他一定地域の海洋及び湖水・河川・小にしては池・沼・井戸に到るまで、大中小それぞれの龍神が住み守っているのである。  従而、池・沼・井戸等を埋めると、其後不思議な災厄が次々起る事がよくあるので、斯ういう事は多くの人の知っている処であろう。池沼等の場合は、その付近の人々に災厄があり、井戸の場合は、その個人の家に不幸が続くものである。それはどういう訳かというと、龍神は非常に怒り易い性質を有っており、其ためいわば自己の住居を全滅させられたのであるから、立腹と共に人間に気を付かせて、代りの住居が欲しいのである。此意味を知って初めから代りのものを掘って与えればいいので、形は小さくとも差支えないのである。元来龍神は霊体となっても非常に熱し水がなくては居られないので、水を欲するものである事を心得おくべきである。  又、人間の死後、その霊が龍神となる事もあり、又龍神が人間に再生する事もある。斯様な事は現代人として意外に思うであろうが事実であるから書かざるを得ないのである。然らば、何故霊魂が霊界に於て龍神に変化するかというに、其人が生前何等かに強い執着をもつ場合、霊界に行っても、その執着が離れず、畢に形態化して龍となるのである。然し普通人は蛇となるのであって、真の意味に於ける龍神は絵にある如き形体で、頗る巨大なものであり、之等は神格を得たものが、或必要上龍体となるので、再生する場合、元の神格者となるのである。彼の有名な八大龍王などは此種の龍神であって、人間としては古事記にある八人男女即ち五男神、三女神である。然し乍ら、蛇という名称ではあまりに卑俗である為、尊称して凡て龍神というのである。

 私は、龍神が再生した人間と、又龍神が憑依した人間とを、数知れず見たのである。そうしてそれは太股・横腹・腰等に鱗の形が表われているのであって、その顕出状態は種々あり鮮明なるもの、朦朧たるもの、色も赤きあり、黒きあり、千差万別であるが、鱗の形である事は疑い得ないのである。又面貌によってもよく判るのである。それは顴骨高く、額部は角形で、前額部に青筋の隆起があり、眼は窪んで、顎も角張っており、又特徴としては、水をよく飲みたがるものである。性質は執着が強く、人に屈する事を嫌うので、斯ういう人の面貌を熟視すると龍という感じが実によく現われているのである。此種の人は世間相当あるから、何人も注意すれば発見する事は容易である。

 そうして女性に於ては、龍神の再生したものを龍女といい、多くは結婚を嫌い独身者が多いのである。又龍女は、結婚の話が纏まろうとする場合、男子の方が死ぬとか、本人が病気に罹るかするというような故障がよく起るのである。又結婚しても配偶者に縁が薄く、死別、生別其他の事情によって夫婦の同棲が長く続かないものである。そうして龍女は気位が高く、嫉妬心深いので夫を苦しめ幸福な生活を営めない事が多いのである。故に、龍女である女性は独身で、社会事業、譬えていえば教員、保母、看護婦等になるのが適しているのである。然し、稀には普通の妻女として、幸福の生活を営み得る者もあるが、それ等は大抵夫婦の一方が善徳を積むか、或は正しい信仰を有つというような場合である。又龍女は美人が多く、特に眼澄み瞳が光る者が多いのである。  私は、龍神の祭り方に就て時々聞かれる事があるから、茲でそれを書く事にする。

 龍神を祭る場合、位置は勿論庭園又は空地の清浄なる所を選び、二、三尺位の高さに石を積み上げるのがよく、その上に桧木造り又は石造りの宮を安置し、その中に御神体を鎮祭するのである。そうして最も肝要なる事は、龍神は水が無くては居られないものであるから、社の前へ必ず池を作らなくてはならない。大きさは宮に相応すればいいのである。祭典は月に一回、日を定めて行えばよく、其際は必ず生米と水を上げなければならない。其他は生魚、野菜、乾物等を添えればいいのである。又、社の体裁はその家相応の立派さに作るべきである。

『明日の医術』第三篇、昭和十八年十月二十三日

岡田茂吉全集著述篇第四巻p487