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善人よ強くなれ


   つくづく今日の世相を見るに、悪い奴があまりにのさばり過ぎている。 それがため、善人が如何に虐げられ苦しみつつあるかで、これは誰も知る ところであろう。それについてその根本の原因を書いてみよう。

   昔からとかく善人は弱いもの、悪人は強いものとされている。これがため 悪人どもはますます跳梁跋扈する。といって昔は今日の如く法規の完備、 暴力取締りの機関がないから、悪人の暴力に対し善人は手が出せないので泣 き寝入りになってしまうというわけで、町人階級は腕っ節の強い奴、無鉄 砲な奴が巾を利かしていた。また武士階級と雖も、その中の悪人は剣の力を 悪用するので、町人階級は恐れて手が出せないのであった事は、歴史や物 語に数知れず残っている。というわけで今日とは雲泥の相違があった。も っとも維新後世は文明開化の時代となり、漸次法規も完備し、暴力否定の 傾向に社会全般が向かいつつ今日に至ったのであるが、悲しい哉、我が国 民性は今もって暴力根絶とはならない。特に終戦前までは軍閥や右翼の浪 人壮士輩が、多少の暴力を伝家の宝刀として隠しつつ、機に触れ用いた事 もあるにはあった。

   ところが、終戦後は軍閥もなく、右翼も殆ど鎮圧されたので、この点よ ほど明るくはなったが、近頃の悪人どもは暴力以外の手段を巧妙に行使し始 めた。勿論金銭を目的に善人を苦しめるのである。それはどういう手段か というに、いわば合法的恐喝である。つまり紙一重で法に引っ掛らないよう にする。それらゆすり、たかりの類はもとより数件に上る訴訟事件もある。 これらも勿論虚偽や捏造で法規を悪用し、自己の欲望を達成しようとする のである。然もこれらは中流以上の人士であるから情ない話である。右 は数十年以前から私は訴訟の絶えた事がないにみて明らかである。という 事は、私は昔から一種の主義を堅持している。

   その主義というのは、善人は悪人に負けてはならない事で、悪よりも強 い善が真の善であると思うからで、事実善人が悪人に負けるから悪人が幅 るので、それが社会悪根絶のできない最大原因である。そのため悪人はそ れをよい事にしてますます爪を伸ばし善人を苦しめる。この点特に中流以 上の者に多い事で、所謂知能的犯罪である。また善人が悪人からいじめら れた場合、それを告訴したり抗議を発する事は知っていても、犬糞的しっ ぺい返しを恐れると共に、裁判をすれば費用と手数がかかり、打算上馬鹿 馬鹿しいから諦めてしまう。これらの例は実に多いのである。故に私の訴 訟なども、私を善人に見て、これくらいの事をしても必ず諦めるだろうと 高を括って始めたが、私は前述の主義によって悪に負けられないから勝つま で闘うので、結末までには非常に長くかかるのである。一番長いのは今年 で十一年になるが、まだ勝敗は決しない訴訟がある。

   ボスが絶えないのも右の原因であり、官吏の醜聞の絶えないのもそうで ある。不正に反抗したくも犬糞が恐ろしいので諦める。これが官吏腐敗の 一原因である事は誰知らぬものもない事実である。

   以上種々の例を挙げたが、一言にして言えば社会悪の原因は善人が弱い からである。とすれば弱い善人は真の善人ではない、実は意気地なしであ る。悪に対する憤激が足りないからで、いわば消極的善人で、このような 善人が増えたところで、善人自身は悪をする勇気がないからその点はいい としても、悪の跋扈を許すところの自己安全のみを願う一種の卑怯者であ る。分り易く言えば悪人どもはどうしても善人には敵わない、善人という 奴は実に強い、始末が悪い、悪人ではいくら骨を折っても駄目だから、い っそ悪人をやめて善人の仲間へはいる方がいいというようになれば、社会 悪は激減し、住みよい明るい世の中となるのは必然である。

   右の理論を肯定するとして、どれほど善人が歯ぎしりしても個人では不 可能である。とすればどうすれば良いかというと、まず善人が団結し連盟 を作るのである。名称は悪徳排除連盟とでも言ったらよかろう。こういう 案を私は提唱するのだが、これこそ社会改善に対する最も有効手段と思う からである。

昭和24年(1949年)10月15日
「光」31号     『岡田茂吉全集』著述篇第七巻 p.444
昭和25年(1950年)1月30日
「自観叢書第十二篇 自観説話集」     『岡田茂吉全集』著述篇第八巻 p.53
『聖教書』 p.105


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