天狗界


   天狗界は、各地の山嶽地帯の霊界にあって、天狗なるものはそれぞれ山の 守護としての役を司っている。また名山などで高級な神霊の鎮祭されてい る所では、その神霊の下にあって山に関する種々の業を司っている。そう して天狗界にも上中下の階級があり、総主宰神は鞍馬山に鎮座まします猿 田彦命である。

   天狗には人天及び鳥天の二種がある。人天とは人間の霊であって、現世 における学者、文士、弁護士、教育家、神官、僧侶、昔は武士等で、死後 天狗界にはいるのである。また鳥天とは鳥の霊であって、鳥は死後悉く天 狗界に入り人天の命に従って活動するのである。

   鳥天のうち、鷲や鷹のような猛鳥は天狗界においても非常な偉力を発揮 している。以前私は小田原の道了権現の本尊が、ある婦人に憑依したのを 審神した事があったが、それは何千年前の巨大な鷲であって、鷲の語ると ころによると昔は大いに活躍したが、近年片翼を傷め、思うように活動で きぬと歎声を漏らしていた。

   烏天狗は勿論烏の霊で、天狗界では主に神的行事を行ない、特に神聖な る階級とされている。また木葉天狗といわれるものは小鳥の霊で通信、伝 令の使者の役目をしている。

   昔から天狗は鼻高と称え、絵画や面など非常に鼻を高く表わしているが、 これは事実である。また赤い顔になっているが、天狗は酒が好きだからで ある。

   次に天狗の生活であるが、彼らが最も好む行事としては議論を闘わす事 で、それは論戦に勝てば地位が向上するからである。従って現世におけ る代議士、弁護士等の業務に携わるものは天狗の再生または天狗の憑霊 者である。議論の次に好むものは碁、将棋で、私は天狗から天狗界の将棋 を教わった事があるが、現界のそれとはよほど違うようである。また書画詩 文等も好むが、何といっても飲酒は彼らにとって無上の楽しみである。

   天狗界の言葉は、現界の言語とは余程異なりサシスセソの音が主で、そ の長短の変化によって意志を交換するのである。天狗の語るところを見る と、口唇と舌端と上顎との三者を合致し、音声を出しながら、主に上下の 口唇の動きによって言語を表わすのである。

   また天狗の空中飛翔は独特のもので、よく子供らを拉し、空中飛翔によ って遠方へ連れ行く事がある。かの平田篤胤の名著「寅吉物語」の中の寅 吉の空中飛翔は奇抜極まるもので、また秋葉神社の三尺坊天狗の活躍も面 白い記録である。天狗は人に憑依する事を好み人を驚かす事を得意とする。 かの牛若丸が五条の橋上で弁慶を翻弄したり、義経となってから壇の浦合 戦の時船から船へ飛鳥の如く乗り移ったという事跡なども全く天狗の憑依 したもので、彼が鞍馬山において修業の際、猿田彦命より優秀なる天狗を 守護神として与えられたものであろう。その他武芸者等が山嶽に籠り、修 業の結果天狗飛切の術などを得たり、宮本武蔵の転身の早業などは何れも 天狗の憑依によるのである。

   次に修験者などが深山へ籠り、断食、水行等の荒行をなし、神通力また は治病力など種々の霊力を得るという語がよくあるが、それらも天狗が憑 依するのである。こういう天狗は一種の野心を持ち、その人間を傀儡とし て現世において名誉または物質を得て、大いに時めく事を望むのであるが、 これらは正しい意味の神憑りではないから、一時は相当の通力を現わし社 会に喧伝せらるる事もあるが、時を経るに従い通力が鈍り、元の木阿弥と なるものである。そうして人間が断食や病気等によって身心共に衰弱する 場合霊は憑り易くなるものである。

   また目に一丁字ない者が突如として神憑りとなり、詩文や書など達筆に 書くという例なども天狗の憑依である。

   ここで飲酒癖について解説してみよう。酒豪となると、何升もの酒を短 時間に飲んでしまう事は不思議である。昔から酒なら一升酒めるが水は一 升飲めないというが、これは理由がある。即ち酒癖の原因は酒を好む霊が 憑依し、常に腹中に蟠踞している。一度酒が腹中にはいるや、その憑依霊 は酒の精を吸収するから、酒の体は非常に減量する。例えば一升の酒が一 合以下になるというわけで、多量に飲めるのである。ちょうど腹中に酒を 吸う海綿があるようなものである。そうしてこの霊とは天狗及び狸が主な るもので、稀には龍神もある。酔うと議論をするのは天狗で、愉快になった り笑ったり眠くなるのは狸と思えば問違いない。

   右の理によって酒癖のある人に対し、浄霊を施せば必ず酒量は減じ少量に て酔うようになるが、これは霊が萎縮するからである。浄霊の修得者は如 何なる酒癖ある人と雖も漸次その量が減り普通人の程度になるのである。 この点のみを考えても浄霊の偉大さを知るであろう。

   天狗の霊について私の体験を書いてみよう。以前私は武州の三峰山に登っ た事がある。その夜、山頂の寺院に一泊したが、翌朝祝詞奏上の際私に憑 った霊があるので聞いてみると、二百年くらい前天狗界にはいった霊で、駿 河国三保神社の神官であったそうである。何故私に憑依したかと聞くと、 その頃私が愛読していたある宗教のお筆先を読んでもらいたいζ言うので ある。そこで私は、私も好むのでできるだけ読んでやったが、約半年ぐら いいて彼は厚く礼を述べ帰山したのであった。天狗の性格は、理屈っぼく 慢心をしたがり、下座が嫌いで人の上に立つ事を好み、言い出した事はあ くまで通したがり、人の話を聞くより自分の語を聞かせたがるものである。 また鳥天の憑依者は鳥の特色を表わしており、口が尖り声は鳥の如き単調 音で、性質は柔順で争いを好まないから、人に好かれる。また空中飛翔の夢 を見る人がよくあるが、これは鳥天の憑依者である。

昭和22年(1947年)2月5日
「天国の福音」     『岡田茂吉全集』著述篇第五巻 p.306
『聖教書』 p.222


註:この論文は、一部削除されています。

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