第三次戦争は免れる事ができる


   今最も世界人類に脅威の的とされているのは何といっても第三次世界戦 争であろう事は、いまさら言うまでもない。現に日本は固より、全世界の識者 という識者は、それぞれの立場からこれを防止すべく、全知能を絞って筆 に口に論議しつつあるのは、人皆知る通りである。ところがどうしたわけ か、独り宗教家に至っては、それに対しなんらの発言をする者のないのは、 実に心もとない限りである。

   そこでまず考えてみて貰いたい事は、いったい宗教の目的は何であるか という事である。言うまでもなく、戦争のない平和世界を実現するにある のは分り切った話である。としたら現在の如き、第三次戦争必至というこ の危機に直面していながら、手も足も出ないのか、全然沈黙しているとい い状態は不可解の外はあるまい。なるほど宗教家たる以上、政府の命令の ない限りと、また年齢的にも武器をとる事はできないとしたら、宗教家は 宗教家なりに、相応した平和的手段をもって、戦争防止のため一役買うべ きではなかろうか。この意味において私は、戦争発生の原因と戦争防止、 否人類から戦争を絶無にする事の可能であることと、その原理を書いてみ ようと思うのである。

   それについて、最も分り易くするため、病気と健康についての事を書い てみるが、いつもいう通り、病気とは人間の霊に曇りが溜まり、その排除 作用が肉体に映って生ずる苦痛であるから、人間の如何なる苦痛と雖も、 原因は悉く霊の曇り、即ち肉体的に言えば汚濁の排除作用であるから、そ の苦痛を免れたいとしたら、汚濁を溜めないようにすると共に、既に溜ま っているそれを排除する以外、解決する事のできないのは当然である。

   この理によって、集団的苦痛、即ち風水害、火災、地震、社会的暴動等 も、悉く病気以外の浄化作用である。としたら、これの大きくなったもの が勿論戦争である。従って、戦争が起こらないようにするには、人間個人 個人の霊の曇りを無くす以外方法のない事は余りにも明らかである。

   万一第三次戦争が起こるとすれば、それは全く霊の曇った人間が増え切 って、どうにもならない状態となったからで、恐らく世界の殆どは、現 在汚濁人間で充満していると言っても過言ではあるまい。としたら何故こ のように汚濁人間が増えたかというと、それこそ悪による罪が堆積したか らであって、その根本原因こそ神の実在を無視する教育を受けてきたため であって、これが唯物教育であるから、この観念を是正する事によっての み解決されるのである。では何故そうであったかというと、つまり唯物教 育によって、人間の魂を極度に曇らせ、盲目同様にしたからで、寧ろ当然 な結果である。

   そうしてここで知らねばならない事は、万有の法則は汚濁の溜まるとこ ろ、必ず自然浄化作用が発生する。例えば伝染病が流行するという事は、病 菌発生が直接原因であるとしたら、その原因は何かというと、それは浄化 の必要ある人間ができたからで、相応の理による自然発生である。ところ がこの理は何ものにも共通する。即ち地上にあるあらゆる物質、例えば如何 なる大都市でも、建造物でも、およそ物質と名のつくものは悉くと言いた いほど、現在のそれは悪によって作られたるものである以上、いわば罪の 塊であるから、いつかは清算されなければならない運命におかれているの である。

   としたら人間も物質も、地上にありとあらゆる汚濁分子が一挙に浄化さ れる。それが大戦争であって、これが宇宙の鉄則であるから、どうしよう もないのである。この意味において第三次戦争を免れんとするには、この 大浄化作用発生の必要のないまでに、人間はじめ地上一切のものが清浄化 されなければならないのは分り切った話である。ではそのように一切を清 浄化すべき方法はありやというに、私はありと答える。それが我が神慈秀 明会の使命であって、この事のために我が神慈秀明会は生まれたのである。

   ここで別の説き方ではあるが、世界とは個人の集団であるから、個人個 人が浄化の必要のないまでに立派な人間になりさえすればいいのである。 立派な人間とは、勿論霊肉共に汚濁のない人間であって、そういう人間を 造り得る力こそ、我が神慈秀明会をおいて世界広しと雖も、決して存在し ない事を私は知らせたいのである。これは理屈ではない。本教が現在行な っている浄霊法を見ても分る。この方法が如何に絶大な効果があるかは、 唯物医学で治らない重難病がどしどし全治し、死を宣告された者が蘇生す る等、無数に上る事実である。これだけでも多くを言う必要はあるまい。 従ってこの空前の事実こそ、世界人類が救われ、地上天国出現の時期とな った事の示唆でなくて何であろう。我が神慈秀明会が全世界に拡がるとし たら、もはや戦争による浄化の必要がなくなるから、戦争は起こらないに 決まっている以上、ここに人類待望の平和時代が実現するのである。

   これでだいたい分ったであろうが、要するに第三次戦争防止の手段こそ、 我が神慈秀明会をおいて絶対他にない事を断言して憚らないのである。故 に万一それが間に合わないとしたら、第三次戦争勃発となるのは、免れ得 ない運命として、何人も覚悟すべきであろう。

昭和26年(1951年)10月17日
「栄光」126号     『岡田茂吉全集』著述篇第九巻 p.521
『聖教書』 p.240


戻る