大三災と小三災
昔から言われている風水火の大三災、飢病戦の小三災とは如何なるもの
であるか、これについてその根本義を書いてみよう。
風水の原因は天地間の浄化作用であって、何故浄化作用が発生するかと
いうと、霊界における曇り即ち目に見えざる汚濁が堆積するのである。そ
れを風力によって吹き払い、雨水によって洗浄される。それがための暴風
雨である。然らば右の如き曇りとは如何なるもので如何にして堆積するか
を解説してみるが、それは人間の想念と言霊によるのである。即ち想念の
悪に属するものとして、不平、憎み、呪い、嫉み、個人的怒り、偽り、復
讐心、執着等が霊界を曇らせるのである。
次に言葉であるが、気候が悪いとか悪天候とか米の不作とかいうような
自然に対する不平や、人に対する非難攻撃、怒号、罵声、秘密、欺瞞、咎
め、愚痴等、すべて悪から発するものは想念界の次位である言霊界を曇ら
すのである。それら種々の曇りの堆積の量がある程度を越ゆる時一種の毒
素が発生し、人間生活に支障を来たす事になるので、その自然浄化が発生
する。それが天地の法則である。前述の如く霊界の曇りは人間の健康にも
影響すると共に、草木等に農作物にも悪影響を与える結果、凶作の原因と
もなり、害虫の発生も旺盛になるのである。故に今日日本各地における松
や杉を枯死させる害虫の発生もこの理に由るのであるから、人間が大いに
向上しない限り、これを防ぐ事は難しいのである。言い換えれば日本人
自身の過ちが、自分の国の松や杉を枯死さしているというわけであるから、
人間の想念と言霊は大いに慎まなければならないのである。
右の天災に引き替え人災もまた怖るべきものがある事は何人も知る通り
である。特に最も人間に被害を与えるものとしてはかの戦争であろう。私
はこの戦争の原因について、破天荒ともいうべき新説を書いてみるが、あ
まりに意外であるから、読者は心を潜めて読まれたいのである。
戦争とは勿論集団的闘争であって、今日までの人類は平和を好むよりも
争いを好むかに見える傾向が多かった。それがひとり国際間のみではなく、
国内各方面を見渡す時、争いのない所は殆どあるまい。一役所、一会社
一組合等、如何なる集団の内部にも必ず絶え間ない暗闘があり、互いに相
手を非難し排斥し合う。また同業者間の争い、家庭内の争い即ち夫婦、兄
弟、親子等の争い、友人間の争い等々、実によく争いを好む。電車汽車内、
道路上においてすら通行人同士の争いはしばしば見受けるところである。
全く人間生活の中で争いの面の如何に多いかはいまさら言う要はない。と
すればいったい人間のこのような争いを好む性格は何に原因するかを説い
てみるのである。
如何なる人間と雖も、先天性及び後天性に種々の毒素を保有している。
それらの毒素は人間が神経を使う個所へ集中するという。私の唱うる説に
従えば、神経を最も使う局所としては首から上である。頭脳を始め目、鼻、
口、耳等で、手足は休む事があっても、右の機能は覚醒時中は一刻の暇さ
えなく活動している。従って毒素はこれらの付近に集溜するのは当然で、
大多数者がいつも訴える首の回り肩の凝り等もそのためである。この集溜
毒素は時日を経るに従い一旦固結するが、固結がある程度に達すると、反
対作用即ち溶解排除作用が発生する。これを我らは浄化作用というのであ
る。その際必ず発熱を伴うが、それは毒素排除を容易ならしむるための
固結の溶解作用で、それによって固結は液体化するのである。この自然浄
化が感冒であって、喀痰、鼻汁、汗等の排泄物はその現われであるが、感
冒のごく軽微な浄化作用は、たいていの人は平常を雖も持続しているので
ある。これは殆ど気の付かない程度であるから、本人は健康と思ってい
るがこの程度の人と雖も決して真の健康的感覚はない。何となれば精密に
診査すると、頭脳全体から肩部にかけて必ず微熱があり、軽度の頭重、頭
痛、目脂、鼻汁、耳鳴、歯槽膿漏、首肩の凝り等の自覚症状は必ずあるも
のであるから、これがために絶えず一種の不快感がある。この不快感こそ
曲者である。即ちこの原因によって怒りとなり、怒りの具体化が争いとな
り、争いの発展が戦いとなるのであるから、人類から闘争心を除去する手
段としては、この不快感を除去する以外他に方法は絶対ないのである。こ
の理によって誰しも感ずる事は、同一の事柄であっても爽快感の時は何と
も思わないが、不快感の時は憤怒を禁じ得ないので、この経験のないもの
は殆どあるまい。この例として次のような事がある。
よく泣き癖の赤児がある。それは虫気のためとか虫が強いとか言うが、
こういう赤児を診査すると必ず頭脳及び肩部に微熱がある。赤児で肩の凝
っているものもたくさんある。これらを本教浄霊によれば、毒素は軽減し
無熱となって泣き癖は全く治癒するのである。また赤児で怒り易く、親に
反抗する性質のものも必ず右の赤児と同様の症状で、これまた浄霊によっ
て治癒し従順となり、争いを嫌うようになり、学校の成績も可良となるの
である。夫婦仲の悪い原因も同様で、浄霊によって親和するようになるの
である。
以上の如く、争いの根源は頭脳と首肩付近の毒結の浄化熱とすれば、そ
れを全治させる事こそ唯一の解決の手段である。とすれば、本教浄霊こそ
世界広しと雖も唯一無二の根本的争闘除去の絶対法といっても過言ではあ
るまい。また今日戦争以外の苦悩に属するあらゆる問題と雖も同様であっ
て、かの破壊的思想や階級的闘争等の思想は、不快感による不平不満が原
因である。その他不快感から免れんがため、不知不識強烈な刺戟を求めよ
うとする。それが飲酒、淫蕩、怠惰、争闘等の犯罪発生の結果となるのは
勿論である。
以上の理を悪用し、その時代の唯物的野心家が不平不満を助長させ、戦
争を起こし、悪質の社会革命を起こすのである。従ってこの地球上に永遠の
平和を樹立するとすれば、まず人間一人々々の不快感を祓除し、爽快感を
充実させる事である。その結果として闘争を嫌忌し、平和愛好者となる事
は一点の疑いない事実である。
以上の如き原理を把握させ、実際効果を挙げる力は本教以外にない事を
知るべきである。
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昭和24年(1949年)8月13日
「光」22号
『岡田茂吉全集』著述篇第七巻 p.316
『聖教書』 p.264
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