夢について
私は夢についてよく人から聞かれるので、ここに語ってみよう。およそ
人間と生まれて夢を見ない人はあるまい。しかし単に夢といっても種々あ
る。ざっと種類を並べてみれば、神夢、霊夢、雑夢、正夢、逆夢等であっ
て、神夢とは神のお告げであり、霊夢とは守護神の警告であり、雑夢とは
他愛もない何人も常に見る夢である。正夢とは読んで字の如く、夢の通り
が事実に表われ、逆夢とはその反対である。元来夢というのは幽冥という
言葉を詰めたもので、その人の霊が睡眠と共に離脱し、幽冥界に往くので
ある。そうしてその場合潜在意識や常に希望していることなどが種々の形
となって表われ、連続的でとりとめのないもので、これは人間の作為であ
る。神夢は信仰者に限るので、その信仰する神霊がなんらかの必要によっ
て夢をもってお告げをされるのである。霊夢は守護神が夢をもって知らせ
るのであるから、たいていは守護神の創作により寓意的や比喩的なものが
多く、夢判断を要するものが多いのである。先に述べた如く、現界は霊界
の移写であり、種々の事象は先に霊界に起こるから、霊界にいる守護神に
は前もって分るので、右の手段を執るのである。よく虫の知らせるという
のは守護神の知らせである。
霊が幽冥界に脱出する時、霊と肉体とは霊線によって繋っており、目が
覚めるや一瞬にして肉体に戻るのである。
ここに注意すべき事がある。それは熟睡をすれば夢を見ないという説で
あるが、これは間違っている。もっとも非常に疲れた時などは夢を見ない
が、浅い眠りは夢を見る。これは気にすることは少しもない。浅い眠りで
も夢を見るという事は確実なる睡眠に違いないからである。私などは人と
談話をしながら薄ら眠いことがあり、一分か二分夢を見る事がある。電車
の吊革へぶら下がりながら夢を見ることもあるが、別に何ともない。夢を
見る人は頭が悪いように心配するが、そんなことは決してない。私などは
若い時はあまり夢を見なかったが、その頃の方が却って頭が悪かったよう
に思う。
昭和23年(1948年)9月5日
「信仰雑話」
『岡田茂吉全集』著述篇第六巻 p.77
『聖教書』 p.335
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