順序を過まる勿れ

昔から「神は順序なり」という言葉があるが、これは総てに渉って重要事であり、心得おくべき事である。先ず森羅万象の動きを見れば分るが、総て順序正しく運行されている。四季にしても、冬から春となり、夏となり、秋となるというように、梅が咲き、桜が咲き、藤が咲き、菖蒲が咲くというように、年々歳々不順序なく生成化育が営まれる。かように大自然は順序を教えている。もし人間が順序の何たるを知らず、順序に無関心である結果は、物事が円滑にゆかない。故障が起り勝ちで、混乱に陥り易いのである。処が今日迄、殆んどの人間は順序を重要視しないが、これを教えるものもないから無理もなかった。私は一般が知っておかねばならない順序の概略を書いてみる。

先ず順序に就いて知りおくべき事は、現界の凡ゆる事象は霊界からの移写であると共に、現界の事象も又霊界へ反映するのである。そうして順序とは道であり、法であるから順序を紊すという事は、道に外れ、法に悖り、礼節に叶わない事になる。仏語に道法礼節という言葉があるが、この事を言うたものであろう。

先ず人間が日常生活を営む上にも、守るべき順序があって、家族の行動に就いても自ら差別がある。例えば部屋に坐る場合、部屋の上位は床の間であり、床のない部屋は入口から最も離れたる所が上座である。上座に近き所に父が坐し、次に母が、次に長男が、長女が、次男が、次女がというように坐るのが法であって、こうすれば談話も円満にゆくのである。如何に民主主義でも法に外れてはうまくゆく筈がない。例えば、ここに一人ずつしか渡れない橋があるとする。それを数人が一度に渡ろうとすれば、混乱が起り、川へ転落する。どうしても一人ずつ順々に渡らなければならない。そこに順序の必要が生まれる。又客が来るとする。客と主人との間柄が初対面の場合と、友人、知人の場合と、上役や部下の場合、坐るべき椅子も座席も自ら順序がある。挨拶等もその場に適切であり、相手によって差別があるから、それに注意すれば、総て円満にゆき、不快を与えるような事はない。又女性、老人、小児等にしても、態度、談話にそれぞれ差別がある。要は出来るだけ相手に好感を与える事を本意とすべきである。

次に、子女や使用人を二階、三階に寝かせ、主人夫婦は階下に寝るという家族があるが、これ等も誤っており、こういう家庭は子女や使用人は言う事を聞かなくなるものである。又妻女が上座に寝、主人が下座に寝る時は、妻女が柔順でなくなる。その他神仏を祀る場合、階下に祀り、人間が二階に寝る時は、神仏の地位が人間以下になるから、神仏は加護の力の発揮が出来ないばかりか、反って神仏にご無礼になるから、祀らない方がよい位である。仏壇の如きもそうである。祖先より子孫が上になる事は、非常な無礼になる。何となれば、これ等は現界の事象が霊界に映り、霊界と現界との調和が破れるからである。

この理は国家社会にも当嵌るが、最も重大な事は産業界に於て資本家と勤労者の闘争である。特に最も不可である事は生産管理の一事で、これ程順序を紊す行動はあるまい。ここに一個の産業がある。それを運営し、発展させるとすれば、総てに亘って順序が正しく行われなければならない。即ち社長は一切を支配し、重役は経営の枢機に参画し、技術家は専門的技術に専念し、勤労者は自分の分野に努力を払う等、全体がピラミッド型に一致団結すれば、事業は必ず繁栄するのである。然るに生産管理はピラミッドを逆さにするのであるから、倒れるに決っている。この理によって資本家と労働者と闘争するに於ては、その結果として勤労者も倒れ、資本家も倒れるという事になるから実に愚かな話である。故にどうしても両者妥協し、順序を乱さず、和を本位として運営すべきで、それを外にして両者の幸福は得られる訳がないのである。私は産業界から闘争という不快なる文字を抹殺するのが、繁栄の第一歩であると思う。併し乍ら以前の如く資本家が勤労階級を搾取し、利己的本位の運営が行過ぎる結果は、共産主義発生の原因となったのであるが、今日は反動の反動として共産主義の方が行過ぎとなり、産業が萎靡し、生産が弱体化したのであるから、一日も早くこれに目覚めて、飽迄も相互扶助の精神を発揮し、新日本建設に努力されん事を望むのである。これが私のいう「順序を正しくせよ」という意味である。

戦時中東条内閣の時、東条首相は社長の陣頭指揮という事を唱え、又自分も先頭へ立って活躍したが、これ程の間違いはない。何となれば、昔から事業を行う事を経綸を行うというが、経綸とは車を廻す事である。即ち首脳者は車の心棒に当るので、車がよく廻る程心棒は動かない。又車は心棒に近い程小さく廻り、外側になる程大きく廻り、心棒が躍る程、車の廻転の悪いのは勿論である。

右の理によって考える時、こういう事になる。即ち心棒に近い処程少数者が担当し、漸次遠心的に多数者となり、最外側のタイヤに至っては、道路に接触する為過激の労働となる事によってみても、順序の何たるかを覚り得らるるであろう。故に、総て首脳者たる者は、奥の方に引込み、頭脳だけを働かせ、采配を振っておれば、事業は発展するのである。

(昭和二十三年九月五日)

順序

“神は順序なり”という事が昔から言われているが、これは全くそうであると思う。何事に於てもそれが滑らかに運ばないという原因は、全く順序が紊れているからで、特に人事においてそうである。支那の諺に「夫婦別あり、老幼序あり」というが全く至言である。近来社会全般の順序の乱れは甚だしい。又順序と礼儀とは切っても切れない関係にあるもので、この点特に注意すべきと思う。大自然をみても分るように、春夏秋冬も、その日その日の明暗も、草木の生育等一つとして順序に添わぬものはない。梅の花より桜の花の方が先に咲くという事は決してない。これについて種々の例を挙げてみよう。

先ず神仏等に参詣に行く場合、他で用達をしてから参詣するのは何にもならないのである。それは用が主になり神仏が従となるからである。故に病気浄霊を受けに行く時などもそうである。先ず支部へ先に行き、他の用は後にすべきである。そうする事によって効果の著しい事はいうまでもない。又よく見受ける事であるが、家を建てる場合、子供の部屋を二階に親の居間を下に造る事がよくあるが、このようにすると子供の方が上位になるから子供は親のいうことを聞かなくなり、主人と奉公人の場合も同じであるから大いに注意すべきである。

又小さい事のようだが部屋に坐る場合も同様である。家長は上座に坐り、妻は次に、長男、次男、次女というような順序になすべきである。順序よく坐る事によって円満裡に和合の空気が漂うのである。従って反対である場合争いや不快な事が起り勝ちなのは当然である。私が幾多の経験上、集会などに列席した場合、部屋に入るや何となく不快な空気が漂うている事がある。そうした時よく見ると、大方座席の順序が間違っている事が分る。そうして総ての場合、上座下座はどういう標準で決めるかというと、部屋の入口に近い所を下座となし、入口から離れている程上座と見ればいい。尤も床の間の前を上座にする事は誰も知る処であるから、床の間と入口の位置をよく見て、常識的に判断すればいいであろう。又左右は左が霊で上位であり、右は体であるから下位である。人間が右手を多く使用するのは体であるからである。

(昭和二十四年八月三十日)

時期を待て

社会各方面を具さに観察する時、失敗者の余りにも多い事である。処が失敗の結果として、御当人だけの苦しみなら、行り方が悪いとか運が悪いとか言って諦めてしまえばそれで済むが、実はそれだけでは済まない。では何かというと、一人の失敗が家族を路頭に迷わせたり、親戚、知人に迄迷惑を及ぼすという事になるから、一種の社会悪を構成する事になる。つまり最初の出発は悪意ではなかった事は勿論であるが、結果から見てそうなる以上、軽々に看過出来ない問題である。

右の如くである以上、失敗者のその原因を深く検討する必要がある。その結果余り人々の気のつかない処に、その原因を見出すのである。というのは最初事に当る場合、充分計画を立てて、遺憾なく準備をしてかかる。ではあろうが、さて行ってみると予期通りにゆかないばかりか、思いもかけない邪魔や障害が起るので、御当人もその判断に苦しむ事となり、前途が分らなくなるというのが、失敗者の誰もが辿る経路である。これはどこに原因があるかを説いてみよう。

右は一言にして言えば時期という事を無視するからである。人事百般この時期程絶対的のものはない。例えば凡ゆる花卉や果物にしても農作物にしても、総ては時期がある。時期に合わなければ他の事は如何に好条件であっても、良成果を挙げる事は出来ない。秋季草花の球根を埋めるから春になって花が咲く。春種を蒔き球根を植えるから、夏から秋に美しい花が咲くのである。果実にしても熟す時期は決まっている。熟さない時採っても食う事は出来ない。充分熟した時に採ってこそ、美味な食物である。農作物にしても、種播きや移植等すべて適期がある。勿論風土気候にも適合しなければならない。

以上のように、大自然は人間に対し時期の重要性を教えており、大自然のあるがままの姿こそ真理そのものである。従って人間は何事をなすにも大自然を規範としなければならない。それに学ぶ事こそ成功の最大条件である。この意味に於て、私が唱える浄霊も自然栽培も、その他の種々の方法にしても、大自然に従う事を基礎としているから、殆んど失敗はなく予期の成果が得られるのである。故に私は何かを計画する場合決して焦らない。充分多角的に凡ゆる面から客観し、熟慮に熟慮を重ね、如何なる点から見ても正しく、社会人類の為有益であり、永遠の生命ある事を確認し、然る後準備万端を整え時期を待つのである。処が大抵の人はこの時を待つ辛抱が中々出来ない。時期未だ熟していないのに着手するから、計画と時期とにズレを生じ思うようにゆかない、あせる、益々ズレが大きくなる。遂に失敗する--という順序になるのである。従って肝腎な事は時期来るまでの期間の辛抱である。物には必ず丁度好い時があるものだ。昔から「待てば海路の日和あり」とか「果報は寝て待て」とか「狙い打ち」とかいう諺があるが、全くその通りである。

処が右のような私の行り方に対し非常にまだるがる人が以前はよくあった。又種々の献策や希望を言う人もあったが、私はそれ等を採用すべく約束してもなかなか実行に移さないので、焦れたり不思議がる人もよくあった。私としては、時期が来ないから手を出さない迄である。昔から「チャンスを掴め」とか「風雲に乗る」とか「機会を逸するな」--というような言葉もあるが、よくこの理を喝破している。然らばその機運というものは何によって判断するかというと、先ず凡ゆる条件が具備し、機運からみてどうしても計画を実行しなければならないという勢いが迸るようになる。そういう時こそ機が充分熟したのであるから、着手するや少しも無理がなく楽々総てが運んでゆく。そういう訳で更に力が要らない。自然にうまくゆく。要するに「熟慮断行」の四字に尽きる。例えば重い石を坂から落す場合、閊えているものがある。それを無理に動かそうとすると力が要る。そこを我慢して待っていると、障害物が石の重みで段々弱ってゆく。もう一息という時指一本で押すと、訳なく転がるようなものである。

「鳴かずんば鳴くまで待とう時鳥」とは家康の性格を諷したのであるが、彼が三百年の命脈を保ったのも、全く時期を待つという、その為でもあった。

以上によって、時期なるものが如何に重要であるかを知るであろう。大本教祖のお筆先に曰く『時節には神も敵わぬぞよ」とあるが、一言に喝破し得て妙なりと言うべきである。

(昭和二十四年六月二十五日)

時は神様

一切万有人事百般、時の神様によって支配されないものは恐らく一つもあるまい。興亡常なき歴史の推移も善悪正邪の決定も、時の神様から離れて存在するものはない。そういう意味で今日善であったものが、何年かの後には悪となり、今日真理としたものも何年後には非真理として見放されることも、今日華やかなるものも何年後には衰亡の運命を辿るというようなことも、過去の歴史が遺憾なく物語っている。故に絶対の善もなく絶対の悪もないといわれるし、また昔から正邪一如という言葉もあり、何れも真理であることに間違いはない。

近い話が終戦前、忠君愛国を無上のものと信じ、唯一の生命を軽々しく扱った日本人の今日はどうであろう。およそその時の目的と余りに背馳した結果となり、悲惨なる運命の下に喘いでいる様を見ては如何に誤まっていたかは国民の能裡に深く刻まれたであろう。これ等も終戦という、掌を返して一瞬に変化したのであって、いうまでもなく時そのものの決定である。

我々が知る限りに於て、あまり古からざる歴史に於ての例も見逃し難いものがある。彼の徳川氏盛んであった時代が、明治維新という一線を劃すや、それまでの大名旗本等が悉く転落し、それに引替え名もなき一介の書生が大臣参議となったことなどを見ても、今日の状勢と相似た処がある。終戦までの特権階級であった幾多の皇族、華族、富豪等の転落ぶりは、人々の眼に如何に映ずるであろうか。言うまでもなく時の神様によることは勿論である。彼の大本教祖のお筆先に「時節には神も敵わぬぞよ」という言葉があるが、うがち得て余蘊なしである。故に我等は地球上に於ける一切の支配者こそは時の神様であると断定しても差支えないと思うのである。以上の意味に於て、人間は時という絶対者に大いに関心を払うべきであると思わずにはいられないのである。

(昭和二十四年六月二十五日)

下座の行

下座の行という言葉は昔からあるが、これは人間処世上、案外重要事である。然も信仰者に於て殊に然りである。信仰団体などに、教義を宣伝する先生に、どうも下座の行が足りないように見える事が屡々ある。昔からの諺に「能ある鷹は爪隠す」とか、「稔る程頭を下げる稲穂かな」などという句があるが、何れも下座の行を言うたものである。

威張りたがる、偉く見せたがる、物識りぶりたがる、自慢したがるというように、たがる事は反って逆効果を来たすものである。少しばかり人から何とか言われるようになると、ブリたがるのは人間の弱点であって、今迄世間一般の業務に従事し、一般人と同様な生活をしていた者や、社会の下積みになっていた者が、急に先生と言われるようになると「俺はそんなに偉く見えるのか」というように、最初は嬉しく有難く思っていたのが段々日を経るに従い、より偉く見られたいという欲望が、大抵の人は起るものである。それ迄は良かったが、それからがどうも面白くない。人に不快を与えるようになるが、御本人はなかなか気がつかないものである。

神様は慢心を非常に嫌うようである。謙譲の徳といい、下座の行という事は実に貴いもので、文化生活に於て殊にそうである。多人数集合の場合や、汽車、電車等に乗る場合、人を押し除けたり、良い座席に傲然と座したがる行動は、一種の独占心理であって面白くない。

円滑に気持よい社会を作る事こそ民主的思想の現われであって、この事は昔も今も聊かも変りはないのである。

(昭和二十三年九月五日)

日と月

宗教上より見たる日と月に就いて説明してみるが、これは甚だ神秘幽玄にして、コジツケとみらるる節なきに非ず。併しこれは真理である以上、心を潜めて判読されたいのである。日本古代に三種の神器がある。これは璽、剣、鏡という事になっているが、即ち玉は日であり、剣は月であり、大地は鏡によって表徴されている。玉は太陽の形であり、剣は三日月の形であり、鏡は八呎の鏡と唱え、八凸に分れている。即ち東、西、南、北、艮、辰巳、坤、戌亥の八方を象ったものである。この三種の中で大地は分りきっていて説明の要はないが、日月に就いては深い意味があるから、それを書いてみよう。

ここで分りやすくする為、天理教で唱える説を借りてみるが、それは月は突きであり、日は引くという意味で、日月とは引きと突きであるという。これは中々面白い解釈と思う。それは夜の世界に於ては、何事に於ても突く事を好む。大にして国と国とが互に突き合う。戦争がこれである。衝突という事も突き合いである。古代に於ける戦争は剣で突き合った事は明らかである。それが転化して交際する事もつき合うという。文字が違うだけで言霊は同一である。突進むという言葉は勝利を意味する。全く月の働きであり、夜の世界を表わしている。

右に引替え、ヒキ、ヒクは退く事である。引寄せる、陣を退く、敗北する。腰を低くする--というように、総て月と反対であり、この理によって昼の世界は総てがヒキの働きであるから、負ける事を善しとする。人間では謙譲である。これでは争いの起りよう筈がない。我々の方では風邪を引く事を良いとしている。本教団の目的が病貧争絶無の世界を造るという、その『争い』がなくなるのは以上の意味から考えらるるのである。本教団は日即ち火素の活動が主である以上、月でなく引きを心に銘じて活動すべきで、それによって多くの人が引寄せらるるのである。

又、日は玉であるから、円満清朗、円転滑脱でなくてはならないのは勿論である。

(昭和二十四年十月二十五日)

名刀を作る

昔名刀を作るには火で焼を入れ、槌で叩いては水に突込み、これを繰返す。所謂鍛えるのである。この理は人生にも当嵌るが、実に面白いと思うのである。

本教が開教後、日を経るに従って、毀誉褒貶、叩かれたり煮え湯を浴びせられたりヒヤッというような冷水に突込まれたりする事が度々ある。

これは何故かと人から聞かれる。私は右に対し名刀の譬えを言うので、相手はよく了解するのである。

この事は昔から人並外れたような仕事をする者は、例外なく名刀的苦難を嘗めるものである。これを宗教上からいうと、神は使命の大きい人程大きい苦労をさせるとの事であるから、寧ろ喜ぶべきである。

(昭和二十四年)

行詰り

世の中の人ばかりじゃない、信者でもそうだが、よく行詰りという言葉を発するが、これは物の真相を弁えないからで、何事も行詰りがあるから発展するので、つまり行詰りじゃない訳で、丁度駈出しすぎては息が続かないから一休みするのと同じ訳で、言わば節である。これは竹を見ても分る通り、伸びては節が出来、伸びては節が出来るから丈夫に育つので、伸びるばかりで節がなければ、アノ強靭な竹とはならないのである。従って節の少ない竹程弱く節の多い程強いのはそういう訳である。このように総ては自然が教えているから、何事も大自然をよく見つめれば物事は大抵分る筈である。

右は自然の行詰りに就いて書いたのだが、困る事には人為的に行詰らせる人も少なくないので、これこそ叡智が足りない為で、こうすればこうなるという先の見通しがつかないからである。こういう人こそ壁に突当って二進も三進もゆかなくなるのであるから、これを読んだらよく心の奥に蔵っておき、行詰った際、振向いてよく考えてみれば分る筈である。それによって何処かしら間違っている点に気がつけばいいので、人間は不断から精々智慧を磨いておくべきで、それには出来るだけ御教書を拝読すべきである。

(昭和二十七年十月二十九日)

調和の理論

昔からよく調和という事を言われるが、これを単に聞くだけでは、いい意味にとれ、道理のように思われるが、実はこれを丸呑みに出来ない点がある。というのは成程全然間違ってはいないが、この考え方は浅いのである。そこでこれを深く掘下げてみるとこういう事になる。抑々この大宇宙の一切は悉く調和していて、寸毫も不調和はないのである。従って人間の目に不調和に見えるのは表面だけの事である。何となれば不調和とは人間が作ったものであって、その原因は反自然の結果である。即ち大自然から言えば、反自然によって不調和が出来るのが真の調和であり、これが厳正公平な真理である。この意味に於て、人間が天地の律法に遵いさえすれば、万事調和がとれ順調に進むのである。

右の如く、不調和を作るから不調和が生まれ、調和を作るから調和が生まれるのが自然の大調和であるとしたら、人間はこれを深く知る事で、これによって幸福者となるのである。何よりの証拠は今は不調和であっても時が経てば調和となったり、調和だと安心していても、いつの間にか破れて不調和になる事がよくあるのも、世の中の真相である以上、よくよく味わうべきである。換言すれば、不調和とは小乗的見方であり、調和とは大乗的見方であると心得べきである。

(昭和二十七年十月一日)

主観と客観

人間は、処世上兎角主観に促われ勝ちで、特に女性に多いのは事実である。この主観に促わるる事は、最も危険である。というのは自己の抱いている考え方が本当と思って、自説を固執すると共にその尺度で他人を計ろうとする。それが為物事がスムースにいかない。人を苦しめるばかりでなく自分も苦しむ。

右の理によって、人間は絶えず自分から離れて自分をみる。即ち、第二の自分を作って、第一の自分を常に批判する。そうすれば先ず先ず間違いは起らないのである。これに就いて面白い話がある。それは、昔万朝報という新聞の社長であり、又飜訳小説でも有名であった黒岩涙香という人があった。この人は一面又哲学者でもあったので、私はよく氏の哲学談を聞いたものである。氏の言葉にこういう事があった。それは人間は誰しも生まれ乍らの自分は碌な者はない。どうしても人間向上しようと思えば、新しく第二の自分を作るのである。所謂第二の誕生である。私はこの説に感銘して、それに努力し、少なからず裨益した事は今でも覚えている。

(昭和二十五年三月十八日)

懐疑

懐疑とは一寸聞くと、どうも面白くない響きがするが、実をいうとこれ程尊いものはない。全く懐疑とは文明の母と言ってもよかろう。新しい哲学も、論理も、科学も、これから生まれると言っても間違いはあるまい。支那の碩学朱子の言われた「疑いは信の初めなり」との言葉は、実に千古の名言である。

例えば、救世教という新宗教は、何故短期間にあれ程発展したのであろうか。お蔭話にあるような、あんな素晴しい奇蹟がどうして起るのであろうか。地上天国の模型などという、未曾有の大構想の下に、どしどし造営しつつあるのはどういう訳であろうか、というような懐疑は、第三者としたら当然起らなければならない筈である。

しかし懐疑そのものだけでは何等意味をなさないが、これによって誰でもこの謎を解こうとする意欲が起るであろう。それが尊いのである。何となればこれによって真理を掴み、智識は進み向上されるからである。従って懐疑の起る人ほど進歩的で、将来性ある人と言わねばならない。処が運の悪い人は懐疑が起きても真理を教える処か見つからないので、一生涯迷路を辿り、懐疑は懐疑を生んだままで終ってしまうので、そういう者が殆んどである。中には本教が説く真理を鼻の先で笑って、雲煙過眼してしまう人もあろうが、こういう人はよくよく不幸な人である。

現在、本教に入信し救われ歓喜に浸っている人も、嘗ての懐疑者であったことを思えば、懐疑ほど結構なものはないであろう。

従って、人間は懐疑を起す位の人でなくては駄目だと共に、一歩進んで懐疑を暴くという勇気も必要である意味も分ったであろう。嗚呼、懐疑なる哉懐疑なる哉である。

(昭和二十六年三月二十一日)

程とは

私は以前某所で、山岡鉄舟先生筆の額を見て感心したことがある。それは最初に“程”という字が大きく書いてあり、その次に小さく“人間万事この一字にあり”とあった。これは今以て忘れられない程私の心に染みついている。というのは、私は今日まで何十年の間、何かにつけてこの額の字を思い出し、非常に役に立っているのである。

昔からよい格言も随分あるが、これ程感銘に値する文字はないようだ。たった一字の意味であるが、何と素晴しい力ではないかと思う。したがってこの程の字を標準にして世の中の色々なことをみると、何にでも実によく当嵌る。例えて言えばやり方が足りないとか、やりすぎるとかいうことや、右に偏ったり、左に偏ったりする思想、金があると威張り、ないと萎びたりするというように、どうも片寄りたがる。多くの場合それが失敗の原因になるようだ。彼の論語に、中庸を得よとの戒めもそれであろう。昔から程々にせよとか、程がいいとか、程を守れという言葉もそれであって、つまり分相応の意味でもある。

これに就いて、信仰的に解釈してみると、いつもいう通り、本教は経と緯、即ち小乗と大乗を結べばその真中が伊都能売の働きとなるというので、これも詮じ詰めれば程の意味である。したがって人間は第一に程を守ることで、程さえ守っていれば、凡てはスラスラとうまくゆくに決っている。嗚呼程なる哉、程なる哉である。

(昭和二十六年八月八日)

満足と不満

人間誰しも満足の境地になりたいのは言うまでもないが、それが思うように得られないのが人生であって、考えようによってはこれも面白いのである。処がよく考えてみると文化の進歩の動機は、人間の不満足な心にあるのだから、世の中というものは単純に解釈できないものである。つまり不満足がある程向上もし、改革も出来、進歩もされるのである。そうかといって不満がありすぎると、これ又困る事になる。例えば争いの原因となったり、身の破滅となる事さえある。個人的には家庭の不和、友人、知己との仲違い、喧嘩口論、自暴自棄、警察沙汰というように、危険の因となる事さえ往々ある。又社会的には過激な思想団体を作ったり、火炎瓶や破壊行動にまで発展し、内乱を起す事にもなるから軽視出来ないのである。

又右とは反対に彼奴は好人物だ。お目出度いと言われるような人間は、余り不満が起らないらしく、いつも満足しているようだが、併しこういう人間に限って、能力がないからマイナス的存在となる。とすれば満足でもいけないし、不満足でもいけないという事になり、どちらがいいか分らなくなる。併しそれは大して難かしい事はない。帰する処偏るのが不可ないので、両方を巧く按配すればいいのである。といっても口では易しいが、さて実行となると中々難かしいもので、そこが人生の人生たる処かも知れない。要は千変万化どちらにも決めない融通性があって、その根本に誠があれば、その人は世の中から用いられ、出世もし、幸運を贏ち得るのである。

(昭和二十八年三月十八日)

本能主義と禁欲主義

独逸の有名な哲学者ニーチェの本能説に従えば“人間誰もは生まれながらにして種々な本能をもっていて、それはどうにもならない宿命のようなもので、勿論人為的に抑えることは不可能に近いというべきものである”というのである。なるほど一応は納得できないこともないが、それだけの説き方では不道徳も許されるということになり、一種の危険思想である。従って相当智性のある人なら、一つの学説として取扱うこともできるが、我々宗教人からみる時、絶対受け入れ難い説である。

処が右と全然反対な説もあって、しかも古くから実行もされている。それは宗教中の或る種のものであって、本能の罪悪観である。それがため極端な禁欲主義に陥り、その苦しみを聖なる実践と解し、錬磨修業の道程ともされている。これを我々から客観すると承服できないと共に、こういう信仰に限って社会とも同化せず、独りよがりに陥っている。このたぐいの信仰で代表的なものとしては、彼のマホメット教(別名回々教、イスラム教)と、印度の婆羅門教、キリスト教中での清教徒(ピューリタン)等であって、日本には余り見られないが、若干それに似たのが今なお残っている。

以上の如き相反する両者を並べてみると、そのどちらにも軍配は挙げられない。というのは勿論一方に偏しすぎているからであるが、これについて神は厳たる標準を示されている。そうしてこの誤まりは簡単に分りそうなものだが、割合世人は軽視し勝ちで分らないようだ。これを一口に言えば彼の孔子の唱えた中道説である。これについては私は常にあらゆる面から説いているから、信者はよく知っているだろうが、実際問題としてはやはり孔子の言った今一つの“言うは易く行いは難し”である。処がこのことこそ実は信仰の本道でもあって釈尊の唱えた覚りもこれである。そこで私はこの理をできるだけ平易に説いて見ると、こうである。

先ず卑近な例ではあるが、四季の気候を見ても分る如く、極寒と酷熱は人間誰もは嫌うが、寒からず暑からずという中和を得た春秋の気候こそ快適であり、喜ぶのは当然である。昔からこの季節に仏教重要行事としてのカノ彼岸会がある。それは気候が極楽浄土の実相を表わしているからである。だがそれは別として今私の言わんとする処は、処世上についてであるが、これも一切万事極端を避けなければ駄目だ。処が人間はどうも右か左かどちらかに片寄りたがる。これが不可ないので、失敗の原因も大抵はここにあるといっていい。そうかといって決めなければならないこともあるから、この取捨按配が中々難かしい点である。そうしてこれを一層徹底的に言えば、つまり決めないと思う心が已に決めている訳であるから、決めてもいけず、決めなくてもいけず、といって中途半端でも不可ないという実に曖昧模糊としているようで、実はこれが厳たる法則であり、ここに世の中の面白味があるのである。つまり応変自在自由無碍の境地になればいいので、要は一切に捉われないことである。観世音菩薩の別の御名無碍光如来も、それを表わされているのである。

そうして今日の政治や思想問題にしてもそうだ。彼の右派とか左派とか、資本主義とか、共産主義とか決めてかかるから間違いが生ずるのである。何故なれば、決めれば局限されるから他との衝突は免れない。これが今日屁のようなことでも、一旦は必ず悶着が起り、何処も彼処もテンヤワンヤであるのはこのためである。またこれは世界をみても同様、国際関係にしても年中ゴタゴタが絶えないのである。尤も今日までの世界はこれあるがため、物質文化の発達を見たのであるから止むを得なかったが、これからは逆になる以上、頭の切替えが肝腎である。ということは、愈々真の文化時代が今や来らんとする時となったからである。つまり彼岸の気候を標準として進めばいいので、これが我が救世教の本領でもある。

(昭和二十七年十二月二十四日)

禁欲

昔から立派な宗教家たらんとするには、禁欲生活をしなければならないように思われ、それが真理を悟り魂を磨く最良の方法とさえ思われていた。併し私は反対である。以下分り易く書いてみよう。

抑々、森羅万象一切は人間の為に存在している事である。見よ、春の花、秋の紅葉、百鳥の囀り、虫の鳴く声、明媚なる山水、月の夜の風情や、温泉等々は、何が故に存在するのであろうかという事を考えなくてはならない。言う迄もなく神が人間を楽しませる為に造られたものでなくて何であろう。又人間が歌う美しき声や、舞踊や、文学、芸術等も、勿論それによって当人も楽しみ、他人をも楽しませるのである。それのみではない、人間生活に於て凡ゆる美味なる食物は固より、建築、庭園、衣服等も必要の為のみではない、より楽しむべき要素が含まれている。飲食を楽しむ事によって、栄養となり、生命が保持される。住居も衣食も必要だけの目的であれば甚だ殺風景のもので済む訳である。子供を作る事も必要の目的のみでない事は言う迄もない。以上の如く、大自然も人為的の凡ゆる物も、一方それを楽しむべき本能を神が人間に与えられている以上、それを楽しむのが本当である。それを拒否し、生存上必要のもののみに満足するという禁欲主義は、深き神の恩恵に対する背反的考え方である。又他の方面を見る時、今日迄の特権者が利他的観念に乏しく、自分や自分一族の者のみの快楽に専心し、社会や他人を顧慮せず、衆と倶に楽しむという、人類愛的思想の発露が余りにもなかった。それは神の恩恵を独占する訳になろう。この意味に於ても私は、富豪の大庭園を開放し、美術品を公開し、衆と倶に楽しむべきが神慮に応える所以である。飜って思うに、古えの聖者が粗衣粗食極端なる禁欲生活をなし、「祖師は紙衣の五十年」的生活に尊き一生を捧げたという事は、神の恩恵に叛く訳になろう。それに気づかない世人は宗教家を見る時、禁欲者でなくては有難くないように思う傾向があるのは遺憾である。私は前述の如く禁欲に反対であるから、普通人と同様の生活を営んでおり、これが神意に添うものと考えている。従って地上天国とは、人類総体の生活が向上し、芸術その他の清い楽しみは大いに発達する世界を言うのである。

又真善美という事は、真とは偽りのない事であり、善とは正しい行であり、美とは美しい事であるから、禁欲生活に於ては善はあるが真と美がないばかりか、反って文化の進歩を阻止する事にもなるのではないかと思う。かつては非常に文化の栄えた印度が、今日後れをとっているという事も、精神生活のみに偏した結果と考えられる。

(昭和二十三年九月五日)

逆効果の説

どうも世の中の人を見ると、骨折って行ったり、いいとして行った事が、思うような結果が得られないのは、全く逆効果という事を知らないからで、言い変えれば理外の理を弁えないからでもある。今これを説明してみるが、これを読んでこの理窟が分るとしたら、案外に得をする場合があろう。先ずそれに就いての例を挙げてみるが、信者中の先生格になっている人達などによくある事だが、自分の値打をより高く見せようとし、偉く思われようとする考えがあると、人から見て肚の中が見え透き、反って偉く見えなくなるものである。だからどこまでも控え目な態度で、下座に満足するような人は、反って偉く見えるものである。又自分の手柄話をしたがる人もあるが、これも聞きいいものではなく、聴く人は苦々しく思うもので、又衒う事もいけない。只事実ありのままを言うのが一番好感を持たれるし、何事も内輪に話をする方が、奥床しく見られるものである。又人を世話する場合なども、恩に着せるような言い方は慎しむべきで、反って有難味が薄くなるものである。

右はホンの一部分の話であるが、何事にも逆効果があるからよくその点を考えてやると案外結果がよいものである。いつかも私は、会いたくない人が度々人を介して言って来るので、仕方なし会ってやった処、その人は曰く「救世教とはどういう神様ですか」と訊くから「私は一向分らない」というと、今度は「明主様は世の中の先の事は、何でもお分りになるでしょう」というから「私は神様でないからサッパリ分らない」と言った処失望したとみえてそれっきり来なくなった。又こちらは買いたいし、先方は売りたい土地などあった場合、訊いてみるとつけ込んで高い事をいうので、暫く放っとくと、先方が気を揉んで訊きに来る。すると私の方は、もう要らなくなったと言うと、先方は本当にして、非常に安くするのである。以前私を騙して金を出させようとする人が随分来たものだが、そういう時先方が言わない先に私の方から、金に苦しんでいるのでどこか金を貸す処はないかと訊いてやると、先方は黙って帰ってしまったものだ。又この人は将来役に立つと思うと、私はワザと冷淡にする事がある。するとその人は反って一生懸命に、いい仕事をするので、こういう人こそ立派な人として重く用いるようにする。まだまだ色々あるが、この逆効果という事を心得ておくと、大いに役立つものである。

(昭和二十六年十月三日)

悪人を見分ける法

私は長い間、随分いろんな人に接近したが、先ず世渡りの必要上、悪人か善人かを見分ける事が一番肝腎だと思った。然も、近来は強請が非常に多く来るので、特にそう思う。処がこの強請連中にもそれぞれ特徴があるから面白い。それを書いてみよう。

第一彼等は非常に口が巧い。彼等の話し振りには警戒しながらも魅せられてしまう事がよくある。この点殆んど例外はない。次は大声を発する事、非常にしつこいこと、今一つ注意すべきはこわもての奴もあり、それと反対に非常に優しくもって来る奴との二種あるから面白い。総じて悪事をする奴は恐ろしい顔付のように想像されるが、これは反対の場合が多い。それは頗る優しく人なつっこいものである。成程考えてみれば、恐ろしい顔だと相手が警戒をするから成功率が低い訳で、優しいとどうしても引っ掛り易いという訳である。次は善人であるが、私の長い経験上、話の上手な人より、下手な人の方が多く、又仕事の結果も良いのである。それもその筈で、話が巧いから人が騙されるという訳で、自然人を騙す事によって世渡りをするようになる。処が話し下手だと人を騙し得ないから、腕で成績を挙げようとするから、前述のような結果になるのであろう。

(昭和二十四年七月九日)

信仰は信用なり

抑々、宗教信仰者は世間無数にあるが、真の信仰者は洵に寥々たるものである。然らば私は真の信仰者とは如何なるものであるかを書いてみよう。

如何程立派な信仰者のつもりで自分は思っていても、主観だけでは何等の意味もない。どうしても客観的にみてのそれでなくては本物ではないのである。そのような信仰者たるにはどうすればいいかという事を先ず第一に知らねばならない。そうなるには理屈は簡単である。それは人から信用される事である。例えばあの人の言う事なら間違いない、あの人と交際をしていれば悪い事は決してない、あの人は立派な人である--というように信用される事である。

それでは右のような信用を受けるにはどうすればいいかというとこれも訳はない。何よりも嘘を言わない事と、自分の利益を後にして人の利益を先にする事である。いわばあの人のお蔭で助かった、あの人につき合っていれば損はない、実に親切な人だ、あの人と会うといつも気持がよい--というようであれば、何人と雖も愛好し尊敬する事は請合いである。何となれば自分自身を考えてみれば直ぐ分る。右のような人と知り合うとすれば、その人と親しく交際したくなり、安心して何でも相談し、いつしか肝胆相照らし合う仲になるのは当然である。今一つ言いたい事は、どんなによくしても一時的ではいけない。丁度米の飯と同じようで一寸は味がないようだが、長く噛みしめれば噛みしめる程味が出てくる。人間は米の飯とは一日も離れる事は出来ないと同じように、私は常にいうのであるが、人間は米の飯人間にならなければいけない--と。

処が世間を見ると、右とは反対な人が余りに多い事である。それは態々信用を落すような事を平気でする。何よりもジキに尻からばれるような嘘をつく。一度嘘をついたら最後、外の事はどんなによくても一遍に信用は剥げてしまう。全く愚の骨頂である。如何程一生懸命に働き苦心努力をしても一向運がよくならない人があるが、その原因を探れば必ず嘘をついて信用をなくす為で、これは例外がないのである。全く信用は財産である。信用さえあれば金銭の不自由などは絶対にない。誰でも快く貸してくれるからである。

以上は、人間に対しての話であるが、今一歩進んで神様に信用されるという事、これが最も尊いのである。神様から信用されれば何事もうまくゆき、歓喜に浸る生活となり得るからである。

(昭和二十四年六月十八日)

優しさと奥床しさ

凡そ現代の人間を見る時、最も欠如しているものは優しさと奥床しさであろう。

先ずここでは本教を主として書いてみるが、例えば自分の信仰がどれ程進み身魂がどの位磨けたかを知るには一つの標準があって、これはさ程難かしい事ではない。何よりも人と争う事を好まなくなり、優しさが湧き奥床しさが現われる。こういう心と態度になるこそ磨けたとみてよく、この点最も信仰の価値を見出すのである。そのようになった人にして一般から好愛され、尊敬され、無言の宣伝となるのである。

処が、今日の世の中を見ると、右のような優しさと奥床しさが余りに欠けている。何処を見ても、人に対しアラ探し、憎悪、咎め立て等洵に醜い事が目につく。特に現代人の奥床しさなどなさすぎると言っていい。何事も利己一点張で、露呈的で、理屈がましく、人から嫌われる事など余り気にかけないのは、自由主義が行過ぎ我侭主義になったと見る外はない。最も見苦しいのは、他人の事となると暴露的で、排斥主義で、人情の薄い事甚だしい。このような人間が殖えるから社会は暗く、冷たく、人生の悲観者が益々殖えるという訳で、近来自殺者の多いのもこんな処に原因があるのではなかろうか。故に真の文化社会とは、英国の紳士道や米国の博愛主義の如きを奉ずる人々が殖え、社会道義がよく行われる事によって気持のよい住みよい社会が生まれるのである。そうなった社会こそこの世の天国としたら、天国は洵に手近い処にあるのである。

又別の面から見る時、今日観光事業が国策上最も緊要事と叫ばれているが、成程物的施設も大いに必要ではあるが、外客に好感を与える事は、より以上の必要事であろう。というのは、外客に接する場合、優しさ、奥床しさと、清潔のこの三つが揃う事で、これこそ一文の金も要らない外客誘致の最も有力なものとなろう。そうしてこういう人間を作るその根本条件は、何と言っても信仰であって、本教はその方針のもとに邁進しつつあるのである。

(昭和二十五年十月二十五日)

感じの良い人

凡そ感じが良いという言葉程、感じの良い響きを与えるものはあるまい、処がよく考えてみると、処世上これが案外重要である事である。それは個人の運命は固より、社会上至大な関係があるのである。例えば、誰しも感じのいい人に接すると、その人も感じが良くなり、次から次へと拡がってゆくとしたら、心地よい社会が出来るのは勿論である。故に、忌わしい問題、特に争いは減ると共に、犯罪も減るから、精神的天国が生まれるわけである。然もこの事たるや、金は一文も要らず、手数もかからず、その場からでも出来るのであるから、こんな結構な話はあるまい。と言うと、至極簡単に思えるが、事実はそんな旨いわけにはゆかないのは、誰も知るであろう。

というのは、これは外形的御体裁では駄目だからで、どうしても心からの誠が沁み出るので、その人の心の持ち方次第である。つまり利他愛の精神が根本である。これについて私の事を少し書いてみるが、私は若い頃から、自分で言うのも可笑しいが、どこへ行っても人から憎まれたり、恨まれたりする事は余りない。親しまれ、慕われる事の方が多いのである。そこで、その理由を考えてみると、これだと思う一事がある。それは何かというと、私は何事でも自分の利益や、自分の満足は後廻しにして、人が満足し喜ぶ事にのみ心を措いている。と言っても、別段道徳とか、信仰上からではなく、自然にそうなる。つまり私の性格であろう。換言すれば、一種の道楽でもある。そんな訳で、得な性分だとよく人から言われたものだが、全くそうかも知れない。然も、宗教家になってから一層増したのは勿論である。そこで、人が病気で苦しんでいるのを見ると、居ても立っても居れない気がして、どうしても治してやりたいと思い、浄霊をしてやると、治って喜ぶ。それをみると、それが私に写って嬉しくなる。それが為以前は随分問題を起し苦しんだものである。というのは、もう駄目だと思ったら早く手を引けばよかったものを、本人や家族の者に縋られるので、つい利害を忘れて夢中になり、遠い所を何回も行って、暇をつぶし、金を遣い、その揚句不結果になって失望させ、恨まれたり、愚痴られたりした事もよくあったもので、その度毎に、俺はもっと薄情にならなければいけないと、自分で自分を責めたものである。

この私の性格が、地上天国や美術館を造る援けともなったのであるから、こういう性格を神が与えたものであろう。例えば、結構な美術品や絶佳な風景を見ると、自分一人楽しむのは張合もないし、気も咎めるので、一人でも多くの人に見せ、楽しませたいと思う心が湧いて来る。という具合で、私は、自分だけでなく、人に楽しませ、喜ぶのを、自分も楽しみ、喜ぶという事が一番満足なのである。

(昭和二十九年四月二十一日)

評判と感情

この評判の善い悪いという事は、人間の運命に案外関係があるのは人の知る処である。世間よくアノ人は評判が好いから信用が出来るとか、悪いから気をつけろなどという事が、その人の運命に如何に影響するか分らない程であろう。勿論評判の好いに越した事はないが、これが信仰上にも大いに関係するものであるから、それを書いてみよう。というのはこの事を邪神は最も利用するもので、本教なども今までにその意味で狙われたものである。その手段として言論機関を利用したり、悪い噂を蒔いて評判を悪くしようとする。これが為本教発展の上に少なからず影響を受けるのであるから、この事は中々油断は出来ない。特に個人の場合大いに心すべきである。何といっても人間は感情に左右されるもので、小さな事でも感情を害ねる事が案外不利益で、それには我を通さない事である。つまり相手のいう事が少々間違っていても、それに合槌を打ってやる雅量である。又何事も勝とうと思わないで負けてやる事で、負けるが勝というのはいい言葉である。私はいつもその方針にしているが、結果は反っていいものである。

しかし只負けるといっても、偶には負けられない事情もあるが、これは別で滅多にはない。先ず十中八、九は負けた方が得となる。彼のキリストが十字架に懸けられる直前“われ世に勝てり”と曰ったのは、この真理を教えたものであろう。私の長い年月の経験から言っても、負けて負けて兎も角今日のようになったのである。処が人間というものは勝ちたい心が一パイで、負けてなるものかと思うのは誰しもだが、そこを反対に考えればいいのである。

(昭和二十八年十月二十八日)

善を楽しむ

私はつくづく世の中を見ると、多くの人間の楽しみとしている処のものは、善か悪かに分けてみると、情ない哉、どうも悪の楽しみの方がずっと多いようである。否楽しみは悪でなくてはならないように思っている人も少なくないらしい。

先ず一家の主人公であるが、生活に余裕が出来ると花柳の巷へ行きたがり、二号などを囲いたがる。然もそれが為の金銭は正当でない手段によって得る方が多いようであるが、勿論それは悪に属する行為である。それが為危い橋を渡り、国家社会に損失を与えたり、自分自身としても家庭の円満を欠き、不安の生活を送る事になろう。然も成功と享楽が人生最後の目的であるかの如く思惟し、不知不識の裡に現世的地獄に転落するのであって、そういう人士は中流以上に多い事であると共に、それ等成功者を見る大衆は外面の様相のみに眩惑され、人生これなる哉と羨望し、その真似をしたがるから、何時になってもよい社会とはならないのである。又“正直者は馬鹿をみる”という言葉もあり、真面目に世渡りをしている者は下積みになり、危い綱渡りをする者が出世をして豪奢な生活をするという現状である。その他官吏の役得、会社員の不正利得、政治家の闇収入等々、全く俯仰天地に愧じない人は今日何人ありやと言いたい程である。

ここに於て私は善を楽しむ事を教えたいのである。即ち相当社会に頭角を顕わすようになっても柳暗花明の巷に出入する事は出来るだけ避け、余財あれば社会公共の為に費し、困窮者を助け善徳を施し、神仏に帰依し、時々は家族を引き連れ映画、演劇、旅行等を娯しむのである。こういうような行り方であれば一家は団欒し、妻は夫を尊敬し感謝するようになり、子女の如きも先ず不良になる心配はないであろう。従って経済不安もなく、不摂生もなく、健康も恵まれ、長寿も保ち得らるる訳で、日々を楽しみ心は常に洋々たるものがある。明治の富豪として有名な大倉喜八郎氏は面白い事を言った。「人間長生きをしたければ借金をしないことである」と。それは借金程精神的苦痛はないからである。私も二十年間借金で苦しんだ経験があるのでよく分る気がする。然るに現代人の中には暴露すれば法に触れたり涜職罪になったりするような事を為し、暗闇の取引を好み、妻君に知れたら大騒動が起るような秘密を作り、高利の借金をし常に戦々兢々として不安の日を送っており、その苦痛を酒によって紛らそうとする。酒が何程高くなっても売れるのはそういう訳もあろう。従って健康を害し短命となるのは言うまでもないと共に、こういう泥沼生活に入ったものはなかなか抜け出る事が出来ないのが通例である。先ず抜け出る唯一の方法としては宗教に入る事で、それ以外に方法はないであろう。

私は以上の如き善悪二筋道を書いてみた。悪を楽しむ人と善を楽しむ人とである。読者諸士よ、卿等は何れを選ぶや、熟慮を望むのである。

(昭和二十三年九月五日)

物を識るという事

この“物を識る”という言葉ほど、深遠微妙にして意味深長なものはあるまい。恐らくこの語は世界に誇っていい日本語といえよう。併し簡単には分り難い言葉なので、今出来るだけ分り易く書いてみよう。

物を識っているという言葉の意味を、解剖してみるとこういう事になる。それは世の中の凡ゆるものを経験し、透徹し、実体を掴み、何等かの形によって表現するという意味である。例えば或る問題に対して、こうすればこうなるという只一つの急所を発見する事である。それに引換え大人気ない小児病的議論を振り廻したり、軽率な行動に出たり、人から非難され軽蔑される事に気がつかないで平気で行う事がつまり物が見えない、物を知らないという人である。世間よく言われる、彼奴は未だ若いとか、乳臭いとか、野暮天だとか言われるのがそういう人間である。又識者という言葉があるが、これは物を識っている人を文化的に言ったのである。

以上によってみても、今日の政治家などは物を知らない人が多過ぎる。大した問題でもないのに、無理に大きく取上げて騒ぎ立て、識者から顰蹙される事に気がつかないのであって、自己の低級さを表白する以外の何物でもないのである。そうしてこういう人間に限って小乗的主観の亡者である。こういう小人物の行動によっていつも国会の能率は阻害され、国会の信用を傷つけられる。常に独りよがり的売名に一生懸命である。故にこの物を識らない人を言い変えれば没分暁漢でもある。

今日政治の論議なども、長い時間を潰してもなかなか結論が得られないのは、右のような没分暁漢が多過ぎるからであろう。分った人が多ければ容易に一致点を見出される筈である。処がここで困る事には、物の分った人はどうも出しゃ張りを嫌い、わからずやと争うのを避けようとし、つい温和しくなり、引込思案となる。処が没分暁漢共はこれをよい事にして益々出しゃばる。処が世の中は面白いもので、出しゃばると有名になる。有名になると選挙の時の当選率が高くなるので、その結果分った人はいつも少数となり、わからずやが多数を占めるという事になる。近頃の如く問題の論議に徹夜までしなければ結論を得られないとういうのはよくそれを表わしている。

とはいうものの結局は分った人の意見が採用されるのも事実である。何よりも政界で頭角を顕わす程の人は出しゃばらないでいていつとはなしに人望を博し重用されるのである。今の吉田首相などは、現政治家中一番物の分った人といえるであろう。

処がひとり政界のみならず、社会各面に於ける有能者といわれる人は比較的物の分った人であるのは自然の成行きであろう。以上は精神的方面を書いたのであるが、次に他の面、即ち物的の面を書いてみよう。

これを分り易くかくには、芸術的方面が一番いい。というのは物を識っている人は、偉人型が多いと共に審美眼に於ても優れているからである。

先ず、最先に取上げたい人は彼の聖徳太子である。彼が仏教文化特に芸術方面に優れていた事は論議の余地はあるまい。今尚法隆寺その他に残っているものの何れも燦として光を放っているに見ても明らかである。又有名な憲法十七条は、日本に於ける法の基礎ともいえよう。次に挙げたいのは彼の足利義政である。彼が他の面ではとや角言われるが、芸術方面に到っては立派な功績を残した。彼の銀閣寺の如き建造物は固より、彼は支那美術を好み宋元時代の優秀なる芸術品を蒐めた外、日本美術を奨励し、珍什名器を作らせた事で、東山御物として今も尚、我等の鑑賞眼を満足させている功績は高く評価してよかろう。

ここで、我々が最も最大級の讃辞を与えたい人物としては彼の豊太閤であろう。彼が桃山式絢爛たる芸術文化を生んだ半面佗の芸術としての茶の湯に力を注いだ事で、それまで甚だ微々たる存在であった茶の湯を、一世の鬼才千利休を援け、茶道大成の輝やかしい功績を残した事も特筆大書すべきであろう。これ等によって当時美術文化の勃興と共に名人巨匠続々輩出した。彼の小堀遠州や楽陶の名手長次郎の如きもそれである。彼は又義政に習い、支那日本の美術は固より朝鮮の名器までも蒐集し、日本の陶芸に新生命を与えたのも彼の業績である。ここで見逃し得ないのは彼の本阿弥光悦の生まれた事である。彼光悦は画を描き、書を能くし、蒔絵に新機軸を出し、楽陶を作る等、何れも独創的なもので、ゆく所可ならざるなき多芸ぶりは、到底他の追随を許さないものがあった。然も彼が予期しない一大功績を残した一事は、彼歿後百年を経て、日本が生んだ最高峰の偉匠尾形光琳である。彼は既に亡き光悦を慕い、出藍の一大名人となった。その他陶工仁清、乾山も差挿まない訳にはゆくまい。その又流れを汲んだのが抱一で、彼も凡手ではなかった。

然も秀吉の傑出している点は、彼が百姓の子でありながら、若年にして既に美術の趣味を解し、早くから名器を蒐めたという一事は洵に驚嘆すべきものである。普通世間からいえば物を識るまでには相当の苦労を重ね、然も中流以上の境遇を条件とするに対し、彼の如き卑賎より出でて殆んど戦塵の巷を彷徨し続け来ったに拘わらず、何時何処で習得したかは分らないが、あれ程物を識る人間となったという事は、実は稀世の偉人というべきである。

ここで、文芸の面を瞥見する時、何といっても歌人として西行、俳人としては芭蕉であろう。この二聖の芸術は、物を識る人にしてはじめて成る作品であり、その代表作としていつも私の頭を去らないのは、西行の

 心なき身にもあわれは知られける

    鴫立つ沢の秋の夕暮れ--と

芭蕉の

 閑かさや岩にしみ入る蝉の声

である。

又今一人書落し難い物を識る人がある。それは不昧公の名で知られている彼の松平雲州公である。彼が多数の珍什名器を蒐め整理し、分散を防ぎ、萎靡せんとする茶道に活を入れたるその跡を見れば、彼も又尊敬すべき人といっていい。

近代に至って物を識る人として、私は俳優故市川団十郎を挙げたい。これは自観随談に詳しく載せてあるからここでは略すが、とに角大ザッパに代表的の数人をかいたが、物を識る人とは全く最高の文化人であって、彼等の業績が如何に後世の人々に魂の糧を与え、趣味を豊富にし、情操を高からしめたかは今更言うまでもあるまい。成程発明発見や学問の進歩も、人類文化に貢献する力は誰しも知っている事ではあるが、右に説いた如く、物を識る人の業績が、如何に暗々裡に文化に貢献したかは、改めて見直す必要があろう。

(昭和二十五年八月十五日)

新人たれ

人は常に進歩向上を心掛けねばならない。特に信仰者にして然りである。処が世間宗教や信仰などを口にすると、どうも古臭く思われたり、旧人扱いされたりする。成程在来の宗教信者は、そういう傾きがあるのは否めないが、本教信者に限っては全然反対である。否反対たるべく心掛けねばならない。

先ず何よりも大自然を見るがいい。大自然に於ては一瞬の休みもなく、新しく新しくと不断の進歩向上を続けている。見よ人間の数は年々殖える。地球上の土地も年々開発される。交通機関も、建造物も機械も、一つとして退嬰するものはない。草も木も天に向って伸びつつある。一本と雖も下を向いているものはない。このように森羅万象悉く進歩向上しつつある実体をみて、人間と雖もそれに傚うべきが真理である。

この意味に於て、私と雖も去年より今年、今月より来月というように、飽迄進歩向上、心の弛まないよう努めている。といってもただ物質的の事業や職業や地位が向上するというそれだけでは、根底のない浮遊的のものである。根無し草である。どうしても魂の進歩向上でなくてはならない。要するに人格の向上である。この心掛けを持って一歩ずつ気長に、自己を積みあげてゆくのである。無論焦ってはならない。ほんの僅かずつでもいい。長い歳月によれば必ず立派な人間になる。否そのように実行せんとする心掛け、それだけでもう既に立派な人間になっている。そのようにすれば、世間からは信用を受け、万事巧くゆき幸福者となる事は請合である。

こういう言い方をすると、現代青年などは何だか旧道徳論を聞くようで、陳腐に思うかも知れないが、実は陳腐処ではない。これが出来れば本当の新人である。このような点を規準として私は多くの人を見ると古臭く見えて仕方がない。何等進歩がなく、相変らずの考え方や話で、何処にも変り栄えが見出せない。だからこういう人に会っても少しの興味も湧かない。話し合ってみても世間話以外何物もない。宗教も政治も哲学も、芸術などの匂いすらない。世間の大部分はこういう人が殆んどであるが、それも敢えて咎める気はないが、少なくとも救世教の信者だけはそういう旧人型は感心しないし、又そういう人は余りないようだ。本教は知らるる如く、世界の転換期に際し、全人類救いの為に、誤まれる文化に目覚めさせ、理想的新世界を造るにある以上、飽迄新人たる事を心掛けねばならない。私がいつもいう二十一世紀的文化人にならなくてはいけないと言うのはその意味である。

(昭和二十五年十月十一日)

世界人たれ

これからの人間は世界人にならなければ駄目だ。これに就いて面白い話がある。終戦直後或る軍人上りの人が私の所へ来て、憤懣に堪えない面持で「今度の降伏はどう考えても分らない。実に怪しからん」と言って、憤慨しながら話しかけるのだが、私の方はサッパリ気が乗らないので、彼は呆れたらしく曰く「先生は日本人ですか」と質くから、即座に私は『日本人じゃない』と答えると、彼はギヨッとして、震えながら「では何処の国の人間ですか」と質き返すので、私は言ってやった。『つまり世界人なんですよ』その言葉に、彼はポカンと気の抜けたような顔をして、その意味の納得のゆくまで説明してくれろと言うので、私も色々話してやったが、今それを土台にして書いてみよう。

元来日本人とか支那人とか言って、差別をつけるのが第一間違っている。あの頃の日本人がそれで、日清、日露の二回の戦役に勝ち、急に一等国の仲間入りをしたので逆上せ上り、日本は神国なりなどと、何か特別の国のように思ったり、思わせたりして、遂にあのような戦争まで引起したのである。そんな訳だから、他国民を犬猫のように侮蔑し、その国の人間を殺すなど何とも思わず、思いのままに他国を荒し廻ったので、遂に今日のような敗戦の憂き目を見ることになったのである。そのように自分の国さえよけりゃ、人の国などどうなってもいいというような思想がある限り、到底世界の平和は望めないのである。これを日本の国だけとして例えてみても分る。丁度県と県との争いのようなものとしたら、日本内のことであるから、言わば兄弟同志の食み合いで簡単に型がつくに決っている。この道理を世界的に押し拡げればいいのである。彼の明治大帝の御製にある有名な“四方の海みな同胞と思う世に、など波風の立ち騒ぐらむ”即ちこれである。みんなこの考えになれば、明日からでも世界平和は成立つのである。全人類が右のような広い気持になったとしたら、世界中どの国も内輪同志という訳で、戦争など起りよう訳がないではないか。この理によって今日でも何々主義、何々思想などといって、その仲間のグループを作り、他を仇のように思ったり、やれ国是だとか、何国魂とか、何々国家主義だとか、神国などといって、一人よがりの思想がその国を過らせるのみか、世界平和の妨害ともなるのである。だからこの際少なくとも日本人全体は、今度の講和を記念として世界人となり、今までの小乗的考えを揚棄し、大乗的考えになることである。これが今後の世界に於ける最も進歩的思想であって、世界はこの種の人間を必要とするのである。話は違うが宗教などもそれと同じで、何々教だとか、何々宗、何々派などといって、派閥など作るのは最早時代遅れである。処が自慢じゃないが本教である。本教が他の宗教に対して“触るるな”などというケチな考えは聊かもない。反って触るるのを喜ぶ位である。というのは本教は全人類を融和させ、世界を一家の如くする平和主義であるからで、この意味に於て、本教では如何なる宗教でも仲間同志と心得、お互に手を携え、仲良く進もうとするのである。

(昭和二十六年十月三日)

人が恐ろしい

今日、私の仕事をみる人がよくいう言葉に、先生は実に大胆で何をやっても構想が大きいと驚いているが、全くそうであろう。全人類を救い、病貧争絶無の世界を造り、現世を天国化するというのであるから、先ず普通人から見たら誇大妄想以外の何物でもあるまい。否私自身としても何と大きなことを計画し、しかもそれの実現を確信するというのであるから驚いている次第である。

ところが私は若い時分はそんな大それたことは思ってもみなかった。十五歳から二十歳頃までは人並以上の意気地なしで、見知らぬ人に遇うのは何等の意味もなく恐ろしい気がする。特に少し偉いような人と思うと、思うように口が利けない。又若い女の前などに出ると、顔が熱して眼が暈み、相手の顔さえもロクロク見えず口も利けないという訳で、大いに悲観したものである。従って自分の如きは一人前の人間として社会生活を送り得るかということを随分危んだのである。そんな訳であるから、その頃世間の人を見ると、自分よりみんな利巧で偉いように見えて仕方がなかった。それがどうだ。今とくらべてあまりの違いさに、自分乍ら不思議にたえないのである。こんなことを書くのは、世間によくある気の小さい青年に読ませたいためで、この一文を読んだら、如何なる小心翼々者も発奮するであろうと思うからである。

(昭和二十四年八月三十日)

正愛と邪愛

信仰は愛なりとはよく言われる言葉だが、単に愛といっても色々ある。正なる愛、邪なる愛、大なる愛、小なる愛というように多種多様である。このような訳であるから、信仰者は愛に対しても正しい認識を失ってはならない。

先ず、その例を挙げてみるが、正愛に属するものとしては、夫婦、親子、兄弟等の家庭愛は固より、友人、親戚、知人等に対する普通人間としての愛は、それが如何程昂まっても別段非難する処はない。問題なのは邪愛である。

邪愛は、説明するまでもないが右と反対で、夫婦の仲は円満を欠き、親子兄弟の間は冷たく、友人、親戚等とも仲違いとなり、疎遠勝ちとなったりする等で、これは世間にはあまりに多い話で、邪愛による事もあり、薄愛の為もある。

以上は正愛と邪愛を簡単に類別したのであるが、愛の中で最も批判を要するのは、何と言っても恋愛であろう。これは以前も説いた事であるが、単に恋愛といってもそこに大いに正邪がある。勿論、純粋なる青年男女が、結婚の目的で相愛するのは正愛であるが、世間よくある気紛れな一時的衝動に駆られた、所謂、刹那的、熱病的恋愛は勿論邪恋である。早い話が、凡そ叡智の閃きのないのが邪恋と思えばいい。処が、邪恋が極端に進むと必ずといいたい程悲劇を生む。それは妻あり夫あるに拘わらず、他に恋愛の対象を作るのだから厄介である。暫時の享楽に耽った結果、一生の破滅的運命に陥ったり、中には生命を失う者さえあるのだから、こんな算盤に合わない話はない。最も慎むべきものである。

右は、恋愛の正邪に就いて簡単に批判したのであるが、ここで最も言いたい事は、愛の大小である。即ち曩に述べた家庭愛や周囲愛は小乗的愛で、利己愛の部に属するが、一般人はこの種の人が一番多く、所謂普通の善人型で、無信仰者にもあり、別に非難の点はないが、本当の信仰者となると全然違うのである。信仰者の愛こそは大乗であって、所謂利他愛である。この大乗愛が最大に拡充されたものが、即ち人類愛であり、世界愛である。

ここで注意すべきは、終戦前までの日本人は真の大乗愛を知らなかった。というのは最も最高のものとされていたのが国家愛であった。国家の為に生命を捧げるのが、人生最大の目標とされていたのは周知の事実であるが、これは小乗愛であって、これを最高のものと信じられて来た結果が、今日の如き悲惨なる日本の現実となったのである。

この理によって、民族愛も階級愛も本当のものではないから、一時は栄えても最後は必ず失敗する。故に何々主義などといって、限られたる目的の下に、何程努力しても大成の可能性のない事は前述の通りである。故に、主義とすれば世界主義だけが本当のもので、宗教と雖も世界主義的でなくては本当の救いとは言えないのである。本教が世界の文字を冠したのも、そういう意味からである。

(昭和二十五年十月十八日)

自殺者の無責任

何時の時代でも、自殺者が絶えない事は誰も知る処であるが、特に近来は多いようである。とすれば文化の進歩は自殺とは関係がない事を知るのである。自殺にもその動機が日本と外国とは余程違うように思う。先ず我等の見る処では、外国人の自殺者は多く精神的苦悩が原因のようだが、日本のそれは別のようである。というのは、昔の封建時代はお詫びの印とか、殿様に対し一身を犠牲にして諌言の為とか、身の潔白を示す為とかいう崇高なる精神的動機が多かったのが、自殺者へ対し一種の尊敬さえ払われたのである。彼の乃木大将の如き自殺の結果、神に祀られたというのにみても推して知るべきである。

処が近来は右のような動機は殆んどないといってもいい。つい最近自殺した学生高利貸山崎某なる者の如きは、一時は成功してヤンヤと言われたのも束の間で、遂に二進も三進もゆかなくなり、苦境を逃れんが為と謝罪の意味もあろうが、自殺の止むなきに至ったのであろう。併し乍らよく考えてみると、実は無責任極まると言うべきである。人にサンザ迷惑をかけておき乍ら、聊かの償いもせず彼世へ逃避するのであるから、甚だ怪しからん行為といってもいい。本当から言えば、身命を賭しても出来るだけ生き長らえて、迷惑の幾分なりとも償うべきであるに拘わらず、そうしないのは寧ろ卑怯者と言ってもよかろう。又近来話題に上る文士の自殺の如きも無責任の譏りは免れ得まい。自己の不道徳による苦悩の清算からでもあろうが、死によって遺族や関係者に如何に不幸や迷惑を与えるかである。そうして特に言いたい事は、この種の自殺者に対し、社会の一部には讃美する者さえみらるるのであるが、この輩は寧ろ一種の罪悪を作るといってもいい。その証拠には、最近自殺した田中英光氏の如きは、太宰氏の墓前において自殺したにみても、太宰氏の行為に憧れを持ったからであろう。それのみではない。太宰氏が玉川上流に投身した同じ場所で、その後数十人に上る追随者が出たのであるから、呆れざるを得ないのである。今以て彼の数十年前華厳の滝へ飛込んだ藤村操の跡を追うものが、絶えないという事等も、右をよく物語っているのである。

次に、近来の自殺の原因に相当多いとされているヒロポンやアドルムの如き麻薬中毒であるが、これ等に対しても大いに反省の要がある。麻薬中毒の最初はただ一服であって、それが将来の生命とりになる事を徹底的に知らしむべきである。最近当局に於ても、それに気がつき禁止の手段に出たが、寧ろ遅しというべきである。

以上自殺行為は無責任極まるものであり、卑怯者であるという事を強調し、聊かの讃辞など与えないよう、特にジャーナリスト諸君に警告したいのである。本来宗教的からいえば死人に鞭打つ事は宜しくない事ではあるが、今後出るであろう自殺者を未然に防ぐ意味から、敢えて自殺の不可を注意したのであるから、死者の霊も又満足すると思うからである。

(昭和二十五年一月十四日)

夢について

私は夢に就いてよく人から質かれるので、ここに語ってみよう。凡そ人間と生まれて夢を見ない人はあるまい。併し単に夢といっても種々ある。ザッと種類を並べてみれば、神夢、霊夢、雑夢、正夢、逆夢等であって、神夢とは神の御告げであり、霊夢とは守護神の警告であり、雑夢とは他愛もない何人も常に見る夢である。正夢とは読んで字の如く、夢の通りが事実に表われ、逆夢とはその反対である。元来夢というのは幽冥という言葉を詰めたもので、その人の霊が睡眠と共に離脱し、幽冥界に往くのである。そうしてその場合潜在意識や常に希望していることなどが種々の形となって表われ、連続的でとりとめのないもので、これは人間の作為である。神夢は信仰者に限るので、その信仰する神霊が何等かの必要によって夢をもって御告げをされるのである。霊夢は守護神が夢をもって知らせるのであるから、大抵は守護神の創作により寓意的や比喩的なものが多く、夢判断を要するものが多いのである。さきに述べた如く、現界は霊界の移写であり、種々の事象は先に霊界に起るから、霊界にいる守護神には前以て判るので、右の手段を執るのである。よく虫が知らせるというのは守護神の知らせである。

霊が幽冥界に脱出する時、霊と肉体とは霊線によって繋っており、眼が醒めるや一瞬にして肉体に戻るのである。

ここに注意すべき事がある。それは熟睡をすれば夢を見ないという説であるが、これは間違っている。尤も非常に疲れた時などは夢を見ないが、浅い眠りは夢を見る。これは気にすることは少しもない。浅い眠りでも夢を見るという事は確実なる睡眠に違いないからである。私などは人と談話をしながら薄ら眠いことがあり、一分か二分夢を見る事がある。電車の吊革へブラ下りながら夢を見ることもあるが、別に何ともない。夢を見る人は頭が悪いように心配するが、そんなことは決してない。私などは若い時はあまり夢を見なかったが、その頃の方が反って頭が悪かったように思う。

(昭和二十三年九月五日)

家相方位

私は、家相方位に就いてよく質問されるから大略を書いてみるが、人間には人相ということがある如く、家にも家相があるのは当然であろう。人間も人相の善し悪しによって運不運に大関係のある如く、家相も善い悪いによって運不運に影響するのである。私の説く家相は易者等のいうのとは相当相違点があるが、これは私は誰からも教えられたものではない。自分の霊感と経験によるものであることを断っておく。

世間一般の家相見が鬼門の方角を重要視することは私も同様である。只私の方との解釈が違うのである。抑々鬼門とは艮即ち東と北との間であるが、この方向に限って何故重要であるかというと、この方角からは頗る清浄な霊気が流れて来る。昔から鬼門を汚してはいけないという所以である。例えば便所、浴室、台所、出入口等があると、それ等から発する汚濁せる霊気が鬼門よりの霊気を汚すからで、その結果として病魔や禍いの原因である邪神悪霊が跳梁することになるからである。故に艮から流れ来る霊気は、より清浄に保たせなければならない。この意味においてもし出来得れば艮の方角に小庭を作り、それへ雄松雌松を植え得れば理想的である。

次に裏鬼門であるが、勿論艮の反対で、坤即ち西南の間である。これは物質が流れ来るという福分の霊気であるから、より富貴を望む上に於て重要である。それには先ず石と水を配するのが良い。例えば小さくとも池を掘り、石をあしらうというふうにするのである。

次に、入口は辰巳即ち東と南の間がよい。そうして門を入って玄関に到るまで漸次高くなるのが最もよく、凡て家の位置は坂の中途又は坂の下、往来より低いのはあまり感心出来ないから、こういう家は長く住むことは面白くない。併し高所といってもその付近からみて比較的高ければよいので、相当離れた所に山や高地があっても差支えはない。また玄関が門から入って後戻りする位置はよくない。門から突当り左右いずれか横の方にある玄関がよい。また玄関を入り突当りが突抜けになっているのも良くない。これは運勢が止まらず行過ぎる意味になる。また奥の主人の間へ行く迄に二三段高くなっているのは最も良い。

家相を見るに当って磁石を置く場所が正しくなくてはならない。しかるに多くの家相見は、家を基本とし、家の中心から方位を計るが、これは非常な間違いである。抑々家とは人間の為の家であって、家の為の人間ではない。人間が主で家は従である。家を建てるも壊すも主人の意のままであるからである。従って、家は主人が中心で、主人の安住所、即ち寝床がそれであるから、寝床を中心に方位を計るべきである。そうして家の形は大体において凹みのある形はよくない。所々出張る個所があるのがよい。また鶴翼の陣といって玄関から両方へ棟が長く出る、これもよいのである。

次に畳数であるが、十畳は火水または結びの間と言い、主人の居間に適し、八畳は火の間で、火は上位であるからこれも主人の居間によく、六畳と三畳は水の間であるから妻女の居間によく、すべて畳数は偶数がよく、四畳半、七畳、九畳等は不可である。故にそういう畳数の場合は板の間を混ぜて偶数にすればよいのである。また床の間は向って右、違棚は左が原則であるが、入口の関係上その反対でも差支えはない。床のない部屋なら入口より離れたる処ほどよく、入口に接近したり後戻りして床に面する形は最も不可である。

洋間は二階は面白くないから下に作るべきである。それは洋間は靴穿きであるから道路と同じ意味になり、上下逆になるからである。

次に方位であるが、何歳の年齢は何の方角がよいなどというが、これはあまり意味がない。よく鬼門への引越しは悪いというが、これは反対である。前述の如く鬼門は清浄な霊気に向うのであるから極めてよいのであるが、ここに問題がある。それは鬼門に移住する場合、その人の業務や行為が正しくなければならない。何となれば、鬼門の霊気は浄化力が強いから、邪念や不正行為のある場合、浄化の為苦痛が早く来るからである。今日迄の人間は邪念や不正業務等の人が多いためそれを恐れ、鬼門を嫌うことになったのである。

(昭和二十三年九月五日)