地上天国

地上天国という言葉は、何たる美わしい響であろう。この言葉ほど光明と希望を与えるものはあるまい。然るに多くの者は地上天国などという事は実現の可能性のない夢でしかないと思うであろうが、私は必ずその実現を確信、否実現に近づきつつある事を認識するのである。ナザレの聖者キリストが、「汝等悔改めよ、天国は近づけり」と言った一大獅子吼は、何の為であろうかを深く考えてみなくてはならない。その教えが全世界の大半を教化し、今日の如く大を成した処の立教の主たるキリストが、確実性のない空言をされ給う筈がないと私は思うのである。然らば地上天国とは如何なるものであろうかという事は何人も知りたい処であろう。私は今それを想像して書いてみよう。

地上天国とは、端的に言えば『幸福者の世界』である。それは病気、貧乏、争闘のない世界で、文化の最も高い世界である。然らば今日人類が苦悩に喘ぎつつある、病貧争に満ちたこの世界を、如何にして天国化するかという大問題こそ、我々に課せられたる一大懸案であろう。然も右の三大災厄の主原因こそは病気そのものである以上、先ず病気を絶無ならしむべき方法が発見されなければならない。次は貧乏であるが、これもその原因が病気が第一であり、誤まれる思想と政治の貧困、社会組織の不備等も第二の原因であろう。次に争闘を好む思想であるが、これは人類が未だ野蛮の域を脱し切れない事が原因である。然らばこの三大災厄を如何にして除去すべきや、ということが根本問題であるが、この問題解決に私は自信を得たのであって、最も簡単なる事実をここに説き明すのである。

本教団に入信し、教化さるるに従い、心身の浄化が行われ、真の健康者たり得ると共に、貧乏からは漸次解放され、尚闘争を嫌忌するに至る事は不思議として誰も驚くのである。その殆んどの信徒は年一年幸福者に近づきつつある事は、無数の事実が証明している。

私は他の欠点を挙ぐる事を好まないが、聊か左記の如き事実を挙げる事を許されたい。それは信仰をしつつ難病に呻吟し、貧困に苦しみ乍ら満足し、喜んでいるものがあるが、成程これ等も無信仰者よりは精神的に救われてはいるが、それは霊だけ救われて体は救われていないのである。即ち半分だけ救われている訳で、真に救われるという事は、霊肉共に救われなくてはならない。健康者となり、貧困から脱却し、一家歓喜に浸る生活にならなくてはならない。然るに今日迄の凡ゆる救いは精神を救う力はあるが、肉体まで救う力はなかった訳で、止むを得ず「信仰とは精神のみ救わるべきもの」とされて来たのであろう。その例として宗教家がよく言う言葉に「現当利益が目的の信仰は低級信仰である」と言うが、これは可笑しな話である。何人と雖も、現当利益を欲しない者は決してある筈がない。又病苦を訴える者に対し「人間は宜しく死生を超越せざるべからず」と言うが、これも聊か変である。何となれば、如何なる人間と雖も、死生を超越するなどという事は実際上出来得るものではない。もし出来得れば、それは己を偽るのである。この事に就いて私は沢庵禅師の一挿話を書いてみよう。

禅師が死に臨んだ時、周囲の者は「何か辞世を書いて戴きたい」と紙と筆を捧げた。禅師は直ちに筆を執って『俺は死にたくない』と書いた。周囲の者は「禅師程の名僧がこのような事をお書きになる筈がない。何かの間違いであろう」と再び紙と筆を捧げた。すると今度は『俺はどうしても死にたくない』と書かれたとの話があるが、私はこの禅師の態度こそ実に偉いと思う。そのような場合、大抵は「死生何ものぞ」というような事を書くであろうが、禅師は何等衒う事なくその心境を率直に表わした事は、普通の名僧では到底出来得ない処であると私は感心したのである。

次に、世間よく人を救おうとする場合、自分が病貧争から抜け切らない境遇にあり乍ら宣伝をする人があるが、これ等もその心情は嘉すべきも、実は本当の行り方ではない。何となれば、自分が救われて幸福者となっているから、他人の地獄的生活に喘いでいる者を、自分と同じような幸福者たらしめんとして信仰を勧めるのである。それで相手が自分の幸福である状態を見て心が動く。宣伝効果百パーセントという訳である。私と雖も、自分が幸福者の条件を具備しなければ宣伝する勇気は出なかったが、幸い神仏の御加護によって幸福者たり得るようになってから教えを説く気になったのである。地上天国とは、幸福者の世界でありとすれば、幸福者が作られ、幸福者が集まる処地上天国の実相でなくて何であろう。

(昭和二十三年九月五日)

真善美

我等の理想とする地上天国とは、真善美完き世界であるのはいつも言う通りであるが、私はこれを一層掘下げてみようと思う。それには順序として『真』から書いて見るが、真とは勿論、真理の具現であり、真理とは事実そのものであって、一厘の毫差なく、不純不透明のない正しいあり方を言うのである。処が今日迄の文化においては、真理でないものを真理と誤まり、真理と扱われて来たのであるから、真理ならざる偽理が余りに多かった事実である。にも拘わらず、それに気がつかないというのは、低い学問の為であったのは言うまでもない。何よりも現在の実社会を見ればよく分る如く、殆んどの人間は、生きんが為只アクセクと働いているばかりで、そこに何等希望もなく、生きているだけの事である。病の不安、生活難、戦争の脅威の中に蠢いているに拘わらず、口を開けば進歩した文明世界と言っているが、厳正に見て殆んどの人間は、獣の如く相争い、啀合い、衝突を事として、不安焦躁の渦巻の中に喘いでいる様は、地獄絵巻である。これこそ前記の如く、偽真理文化の結果である。これに対し、識者でも気がつかず、文明世界と信じ、讃美しているのであるから、哀れな者である。

例えば病気にしてもそうだ。医学が真理に叶っていないからこそ、何処を見ても病人はウヨウヨしている。ヤレ結核、ヤレ赤痢、日本脳炎、脳溢血、小児麻痺、何々等、数え切れない程病気の種類の多い事である。然もこの逃口上として曰く“昔も色々病はあったが、医学が進歩していない為発見が出来なかったが、今日は発見が出来るようになったからである”としている。それはそれとして、我等が希う処は、病人が減り、健康人が増えればいいので、只それだけである。見よ、現代人の病気を恐れる事甚だしく、その為当局も専門家も衛生に注意し、予防に懸命になっているが、滑稽なのは予防注射である。これこそ病を治すのではなく、単なる一時抑えにすぎない。というように、医学は一時抑えと根治との区別さえ分らないのである。尤も、分っても治病方法を知らないから止むを得ないが、然も医学は病気は健康を増す為の神の摂理などはテンデ分らないから抑える事のみに専念し、これが進歩であると思っている。然も抑える手段が病原となるなどテンデ分らないので、進歩すればする程病気が増えるのは見らるる通りである。見よ、益々病人が増え、体位が低下しつつある事である。その為、疲労や睡眠不足を恐れ、根気なく、無理が出来ず、少し過激な運動をすると忽ちヘタばってしまう。滑稽なのは、健康の為の運動奨励である。処が事実は、スポーツマンの早死や、米国のスポーツマンが、近頃はニグロ系の選手には到底敵わない事実であって、これはどうしたものか、実に不可解千万ではないか。処が本教が唱える病理を守り、浄霊を受ければ、病魔は退散し、真の健康人となるのは事実が示している。

次に今度は『善』に就いて書いてみるが、善とは勿論悪の反対である。では悪とは何かと言うと、これこそ唯物思想から発生した無神論が原因であり、善はその反対である有神論からの発生で、これが真理である。処が、この真理である有神論を否定する事が科学の建前であるから、科学が進歩する程悪は益々増えるのみか、文化の進歩といえども上面だけの事である。というように、科学が作る功績も認めるが、科学が作る悪も軽視出来ないのである。それに気づかない人間は、プラスのみを讃美し、マイナスの方は巧妙な理論を作って指導者階級を虜にし、科学によらなければ何事も解決出来ないというように、精神的幸福とは凡そ掛離れてしまったのである。

次は『美』であるが、これが又問題である。成程文化の発達につれて、美の要素は大いに増し、個人的には結構であるが、大衆はそれに与り得ないのである。見よ、一部の特殊階級のみが美衣、美食、美邸に恵まれ、庶民階級はやっと食っているに過ぎない有様であり、美どころではない。腹を充たすだけの食物、寝るだけの住居、往来するだけの道路、押し合いヘシ合い漸く乗れる交通機関(これは日本だけかも知れない)があるだけである。

このような訳で、折角神の大ある恵みである山水、草木、花卉類の自然美は固より、人間が作った芸術美等も楽しめない社会である。というように、これ程文化が発達しながら、人類全体がその恩恵に浴せないとしたら、現代は全く金持の天国、貧乏人の地獄である。この原因こそ、文明の何処かに一大欠陥があるからで、その欠陥を是正し、公平に幸福が享有されてこそ、真の文明世界であって、これが我が救世教の使命である。

以上によって、真善美の真の意味は分ったであろうが、要はその実現力である。絵に画いた餅や御題目だけでは何にもならない。処が喜ぶべし、愈々その夢が現実となって、今やこの地上に現われんとするのである。

(昭和二十八年九月二十五日)

地上天国について

現在の世相を見るに、日々の新聞ラジオでも分る如く、碌でもない事が余りに多すぎる今日ではないか。誰も知る通り、ザッと数えても戦争は別として、ヤレ官吏の汚職、殺人、強窃盗、詐欺、万引、自殺、一家心中、結核や伝染病問題、米の不足、住宅難、金詰り、税金苦等々で、善い方の事は、全く暁天の星の如くである。としたらこの社会は、何故そう迄になっているかという疑問である。成程色々の原因もあるではあろうが、一言にしていえば道義の頽廃であり、人間のレベルの如何にも低下している事である。そこで近来、識者も、教育家も、その点に関心を持ち始めた。尤も戦後自由思想の行過ぎなどの原因もあるが、差当り教育、道徳、修身等を復活興隆させるより外ないとして、寄々協議中との事だが、このような場合、日本は決して宗教に求めようとしないのは、不思議とさえ思えるのである。しかしそれも無理はあるまい。何しろ古い宗教は余りに無力だし、そうかといって新宗教でも、インチキや迷信がその殆んどであるようだからである。そんな訳で、どうしても根本的解決の方法が見つからないのも誰もが知る通りである。

処が私は別の面からこの問題解決に寄与すべき、具体的計画を進めつつある。というのは先ず一般的娯楽である。勿論いつの世でも、大衆に娯楽の必要なのは今更言う迄もないが、今日の社会はそれが余りに、低劣野卑のものが多過ぎる。成程演劇、映画、スポーツ、碁、将棋、麻雀、バチンコ等々も結構ではあるが、私はそれ等よりも一層レベルの高い娯楽も、大いに必要と思うのである。その意味からいって、本教が目下造りつつある彼の箱根・熱海に於ける両地上天国の模型である。今迄にも屡々書いた通り、天然美と人工美とをタイアップさせた、理想的一大パラダイスが造られるのである。然もこれ程の構想は今日迄世界に、何人も企画した者はなかったであろう程の素晴しいものである。自画自讃ではないが、先ず何人と雖も、一度此処に身を置くや地獄的俗世界とは、余りに掛離れた雰囲気に陶然として一切を忘れ、身は雲上にある思いするとは、未だ半分も出来ない現在であっても、誰もが絶讃する処である。

箱根の方は既に完成に近いが、規模も小さいので、ここでは今盛んに造営中の熱海に就いて書いてみるが、何しろ三万坪の起伏ある庭園内には、いま梅、桜、躑躅等の花樹に、緑樹も交えて植えつつあり、その他百花の花壇等も作るべく準備中であって、春ともなれば目も綾なす美観は固より、遙か相模湾一帯の景観を眺むれば、誰も知る如く、先ず理想的一大楽園といっても過言ではあるまい。然も、この地上天国の位置としては、熱海随一であり、尚錦上花を添えるべく、典型的美術館も出来るのであるから、完成の暁、恐らく内外人憧憬の的となるのは必然であろう。従って何人も一度この天国に遊ぶや、娑婆の空気に汚れきった心魂を洗い浄め、乾き切った魂にも潤いを生じ、生々として仕事の上にも能率が上るのは勿論、自然道義心も向上するという訳だから、社会人心に寄与する効果は、並々ならぬものがあろう。

(昭和二十七年一月一日)

地上天国の一考察

我等の言う地上天国なるものを、最も分り易く言えば、美の世界である。即ち人間にあっては、心の美即ち精神美である。勿論、言葉も行動も美であらねばならない。これが個人美であり、個人美が推拡がって社会美が生まれる。即ち人と人との交際も美となり、家屋も美わしく、街路も交通機関も公園も、より美わしくなると共に、美には清潔が伴なうのは勿論で、大にしては政治も教育も経済関係も、美わしく清浄となり、国家と国家との外交も美わしくならなければならない。こう考えると、今日の人類社会が如何に醜悪であるかが分るのである。特に下層階級の如きは、美があまりにも欠けている。というのは、その原因が経済的に恵まれすぎないからであり、それが又教育の低下ともなり、社会施設の貧困ともなる結果、社会不安もそれに胚胎するわけであろう。

ここで特に言いたい事は、娯楽方面である。娯楽方面には大いに美を豊富にしなければならない。というのは、美意識ほど人間情操を高める上に役立つものはないからである。我々が常に芸術を鼓吹するのもそれが為である。現在見る如き芸術芸能の卑猥低俗が、如何に人心を頽廃せしめつつあるかは、今更言うまでもあるまい。

以上の如く、美の世界たらしむるに就いて、何よりも必要なものは経済力である。国民が貧乏では、到底実現などは思いもよらない。然らば経済力を充実させるにはどうすればよいかと言うと、国民が精一杯働き、生産力を高める事である。それの基本的条件としては、何と言っても人間個人々々の健康である。これこそ本教の主眼であって、世界に比類ない療病力を発揮しつつある一事で、完全健康人を現に多数作りつつあるに見て明らかである。

以上によってみても、本教にして初めて、美の世界樹立の資格を神から与えられたと言うべきであって、その達成は時期の問題であり、今後世人は本教の動向を刮目して見られん事である。

(昭和二十五年六月三日)

神の芸術

抑々現代人として、今は如何なる時代であるかということを認識しなければならない-という前提を以て何を私は言おうとするのであろうか? 外でもない、ラジオやテレビジョンの発明によって、全世界に起りつつある凡ゆる出来事を一瞬にして知り得るとういう事程、それほど物質文化は夢の間に進歩したのである。一体全体これは何を意味するのであるかというこの点が頗る重要事であっで、何よりもこれに気づかないとすれば、現代文化を語る資格はないというべきである。

彼の米国に於て、数年前より唱え始められて来た世界国家、世界政府という言葉こそ、近き将来呱々の声を挙ぐべき理想世界を暗示していることでなくて何であろう。実に一大問題である。そうなる暁は勿論世界大統領も選出されるであろう。如何なる国家といえどもその国民中から大統領候補者を出し得ることとなろう。この新世界が生まれるについては、凡ゆる部門に渉って大変革が行わるべきは勿論で、その中にあって根幹をなすべきものは人類思想の革命であろう。勿論凡ゆる主義は一掃されるとともに思想の統一が行われるであろう。

これを分り易くする為一つの例証を示してみるが、先ずここに大画伯が世界という一大絵画を描くとする。その場合各種の線と色彩とを以て最高の美を表現し、欠点のない神技を表現するであろう。勿論世界的絵画を描く準備としては、数千年か数万年を要したであろうことは想像に難からないであろう。そうして最も重要事であるのは最初の線で、即ちこれが長い歳月を費して作り上げた国境線で、この線が出来上れば今度は色彩である。その場合、赤も青も黄色も白も紫やその他頗る多彩な絵具が要る。仮にこれを民族や国に当嵌めてみよう。仮定的であるからそのつもりで読まれたい。その他の国々もそれぞれ特有の色彩の役目を果すのである。この巧みな線と多彩な色によって世界的名画は出来上るのであって、これこそ万能の神の一大芸術でなくて何であろう。処が今日迄の人類は自国特有の色彩を以て無上のものとなし、その一色のみで世界名画を描こうとするのであるから、成功する筈はなかったのである。勿論時を無視した点もある。日本や独逸の敗戦がこれを雄弁に物語っている。この理によって主義や思想というものは、自分の作った一種類の絵具であるから、線の外迄塗潰そうとしても不可能であるばかりか、他の同目的のものと摩擦を生ずることになり、これが闘争の原因となり、結局人類愛を基本として、神が描く世界名画の邪魔になる以上、一時は成功しても長くは持続しなかったのである。見よ、古来から幾多の英雄が輩出したが、その殆んどが神の芸術妨害の咎によってついに成敗されたではないか。これによってこれをみれば、今後の強大国家は他国を自国色に塗るのではなく、その国特有の色をより鮮かに美しくしてやることである。かような政策をとってこそ神意に添うこととなり、理想世界は実現するであろう。

以上の意味によって宗教を考えてみる必要がある。宗教といえども各宗各派が色の塗合いをしていた現在までのやり方では、時代の進歩に伴なわないのみか、神の経綸と食違うことになろう。故に文化の進歩の奥にある神の深意を認識し、今や新しく生まれんとする理想世界建設の為、全宗教をあげて一丸となり、我等と共に手を携えて邁進しようではないか。

(昭和二十四年十二月二十日)

宗教と芸術

今日迄宗教と芸術とはあまり縁がないように、多くの人に思われて来たが、私はこれは大いに間違っていると思う。人間の情操を高め、生活を豊かにし、人生を楽しく意義あらしむるものは、実に芸術の使命であろう。春の花、秋の紅葉、海山の風景を眺むる時、文芸美術の素養ある人にしてその眼を通す時、言い知れぬ楽しさの湧くものである。我等が理想とする地上天国は『芸術の世界』といっても過言ではない程のもので、よく言う真善美の世界とはそれであって、芸術こそ美の現われである。然るに今日迄案外閑却されていたのは如何なる訳であろうか。昔の高僧は絵を描き、彫刻を得意とし、堂宇まで設計するというように、美の方面に対して驚くべき天才を発揮している。その中で最も傑出した宗教芸術家としては、彼の聖徳太子であろう。太子の傑作として今も遺っている奈良の法隆寺の建築や、その中にある絵画、彫刻等を見る時、今から千三百年以前に建造されたものとは、到底想像も出来ない素晴しさは、何人も同感であろう。

然るに一方、粗衣粗食、禁欲的生活をしながら教法を弘通した聖者、名僧も多く輩出したので、芸術と宗教は甚だ縁遠いもののように思われる事になったものであろう。これ等は、真善はあっても美がない訳である。

この意味に於て、私は大いに芸術を鼓吹しようと思っている。

(昭和二十三年九月五日)

宗教と芸術

我等の常に唱うる如く、神の理想は地上天国を造るにあり、天国とは戦争のない恒久平和の真善美が完全に行われる世界であらねばならないとすれば、最も発達するのは芸術である。昔から宗教は芸術の母なりという言葉もある位で、宗教と芸術とは切っても切れない密接な関係にある事は今更言う迄もない。

処が、不思議な事には、古来からの数ある宗教の中で、その開祖が芸術に関心を持ったものは殆んど見当らないといってもよかった。ただ僅かに宗教人で芸術に意を向けたものは、外国では絵画に於けるダヴィンチ、音楽に於けるバッハ、ヘンデル位のもので、日本では聖徳太子の仏教美術、行基 空海の彫刻等で、支那では宋元時代、日本では天平前後、僧侶にして絵画を能くしたものが若干あった位である。という事は大いに理由がある。それを書いてみよう。

右の原因は全く夜の世界であったが為で、いわば未だ黎明には程遠い為、天国の準備の必要がなかったからである。忌憚なくいえば地獄の期間中であったからである。何よりもその現われとして各宗の開祖が、天国的というよりも地獄的境遇にあって教義を弘通するにも茨の道を開いたその苦難は容易なものではなかった位で、事実天国とか芸術どころの話ではなかったという訳で、今日まで自分が天国を造るなどと唱えた聖者は一人もなかったと言ってもいい。併し時期は明示しなかったが、いつかは天国的理想世界出現の予言はされていた。彼の釈尊の弥勒の世、キリストの天国は近づけり、日蓮の義農の世、天理教祖の甘露台の世、大本教祖の松の世等々がそれである。

然るに、我等は時期いよいよ到れるを知り、天国は今や呱々の声を挙げんとする直前である事を、普く全人類に告げたいのである。勿論そのような誇大妄想ともいえる大企図は人間の力で実現するなどは予想だもつかないことではあるが、絶対権威者である神の経綸である以上、その可能は一点の疑う余地はないのである。何となれば今日神はその力を示すべく幾多の驚くべき奇蹟を顕わし、確固たる信念を我等に植えつけつつあるからである。このことは本教信徒の誰もが体験しつつ、不動の信仰を把握しつつあるに見ても知らるるのである。

以上の論旨の具体化として、本教が最も芸術に力を注ぎ、その手始めとして、いま箱根、熱海の景勝地に天国の模型を造りつつあるのである。以上の点を充分認識出来なければ、本教出現の真の意味は理解出来ないのである。これを一言にしていえば、今日までの宗教は、いわば天国出現の基礎的工作の役目であり、本教はその基礎の上に天国樹立の役目であり、それを担うべく出現したのである。

(昭和二十五年五月六日)

芸術宗教

人も知る如く、昔から宗教に対し、芸術はあまり関係がないように思われて来たが、それでも日本での芸術の始まりは、先ず仏教芸術からであった。しかしこれは甚だ単純な絵画、彫刻、織等は固より、音楽的には笙、篳篥、木魚、銅鑼の如き楽器類、読経による声の音律等であるから、先ず原始的と言ってもよかろう。それが後になって、支那、朝鮮の芸術が輸入され、それに刺戟されて最初の模倣時代を経て、日本独特のものを創造するようになったので、然も近代に至っては、西洋文化の輸入と共に、その芸術も入って来た。特に明治以後凄まじい勢いで欧米の芸術がドシドシ入って来たというわけで、現在に於ける日本芸術界は、世界中の勝れたものが集まり、消化されて、自分のものとし、綜合的芸術が追々作られつつあるのが現状である。だから日本は、文化のデパートメントと言ってもいいかも知れない。

処で、我が救世教であるが、本教位芸術を重視している宗教は外にはあるまい。否昔からも見なかった。というのは、本教の最後の目的である処の地上天国は、芸術の世界であるからである。勿論地上天国とは、病貧争絶無の世界であり、真善美完き世界であるとしたら、人間は真理に従い、善を好み、悪を嫌い、一切は美化されるのである。この意味に於て、どうしても芸術を娯しむようになる処か、芸術即生活という事になり、非常に発達する。つまり芸術の世界である。

だから私は、芸術に最も関心を持ち、将来大いに奨励するつもりである。その手始めとして、今造りつつあるのが熱海の地上天国の模型であるから、これが実現した暁、今更のように社会の注目を集め、賞讃を浴びせられるであろう。否、世界的にもそうなるのは必定である。故に、現在その方針を以て計画を進めつつあるのである。

(昭和二十六年六月六日)

科学と芸術

今日の時世は、何でも彼んでも科学で解決出来るように思っているが、ここにどうしても科学で解決出来ない重要なものも幾つかある。然も、それに案外気がつかないらしい。それは何かと言うと、彼の芸術である。絵画をはじめ幾多の美術工芸品から、文学、音楽、映画、演劇に至るまで、少しの科学性はあるにはあるが、大体としてはその人の天才、叡智、良心、努力等が綜合し、基調となっているのは言う迄もないが、事実人間社会に芸術が如何に必要であるからは誰も知る通りで、若し芸術なき社会としたら、無味乾燥、宛ら石の牢屋に入っているようなものであろう。

この例として、私は町を歩く度に感ずる事は、若し両側に商店も、住宅も、ビルも、デパートも、街路樹も、各家の庭木の青い色も見えないで、監獄の塀のように鼠一色の壁が直線に続いているとしたら、恐らく数丁と歩く事も堪えられないであろう。というように、色彩に富んだ家並の美観や、歩いている人間のそれぞれ異った顔々、服装や表情、歩き方、流行を凝らした若い男女の目立った姿、年老いた男女も、田舎から出て来たばかりの人達でも、何かしらそれぞれの興味は与えられる。このように千変万化目に映ってくるので、飽きずに歩ける。そうして、都会を離れ、汽車やバスに乗っても、窓外から目に飛び込んでくる山川草木、田園風景なども、退屈を紛らすに充分である。然も、春夏秋冬の気候による様々な変化も、心を豊かにしてくれる。全く、世界は自然と人間の手で作り出される芸術であって、それであればこそ、人間としての生甲斐があるのである。こう考えてくると、科学と雖も芸術の一部であり、補助的役目ということが分るであろう。そのように、芸術こそ人生とは切っても切れない重要なものであるのは、余りにも分り切った話である。

この意味に於て、我が救世教は、今迄の宗教には見られない程の関心事を持って、芸術を扱っており、奨励している。とは言うものの、単に芸術と言っても、上中下の段階がある。同じ芸術でも、低いのになると反って人間を下劣にし、堕落に導く危険さえあるので、これは警戒の要がなる。そこでどうしても、楽しみつつ情操を高めるという、高度の芸術でなくてはならない。処が口では言うものの、果してそのような機関があるかと言うと、外国はいざしらず、日本に於てはその点洵に貧弱であるのは周知の通りで、この意味に於て本教が地上天国と、それに附随する美術館を建設し、右の欠陥を補うべく現在実行しつつあるのである。昔から“宗教は芸術の母なり”と言われるのも、それをよく表わしている言葉であろう。

(昭和二十七年四月三十日)

芸術の使命

凡そ世にありとし凡ゆるものは、それぞれ人間社会に有用な役目をもっているのである。所謂天の使命である。

勿論芸術と雖もその埒外ではない。とすれば、芸術家と雖も社会構成の一員である以上、その使命を自覚し、完全に遂行する事こそ真の芸術であり、芸術家の本分もである。

処が、今日一般芸術家をみる時、そのあまりに出鱈目な行動に呆れ返らざるを得ないのである。勿論中には立派な芸術家もないではないが、大部分は自己の本分を忘れているというよりか、全然弁えていないといった方が当っていよう。然も彼等は自分は特別の人間であるかのように思い、自己の意志通りに振舞う事が個性の発揮であり、天才の発露であるという考えの下に、気侭勝手な行動をし、恬として恥じないのであるから始末がわるい。又社会も芸術家は特殊人として優遇し、大抵な事は許容している。という訳で、彼等は益々増長慢に陥るのである。

ところが芸術家たるものは、一般人よりも最も高い品性を持さなければならない事である。それを宗教を通じて解説してみよう。

抑々、人類の原始時代は獣性が多分にあった事は事実で、野蛮時代から凡ゆる段階を経て、一歩々々理想文化を建設しつつある事は、何人も疑うものはあるまい。この意味に於て文化の進歩とは、人間から獣性を除去する事である。故にその程度に達してこそ真の文明世界である。併し乍ら今以て人類の大部分は、戦争の脅威に晒されているので、それは獣性が未だ多分に残っているからである。故にこの獣性を抜くべき重大役目の中の一役を担っているのが芸術家である。

とすれば、芸術を通して人間の獣性を抜き、品性を高める事である。勿論文学を通じ、絵画を通じ、音楽、演劇、映画等の手段を通じて、その目的を遂行するのである。それは芸術家の魂が右の手段を介在し、大衆の魂に呼びかけるのである。判り易くいえば芸術家の魂から発する霊能が、文学を、絵画を、楽器を、声を、踊りを通じ、大衆の魂の琴線にふれるのである。つまり、芸術家の魂と、大衆の魂との固い連繋である。故に、芸術家の品性が、下劣であれば、そのまま大衆も下劣する。芸能家の品性が高ければ、大衆の情操も高められるのは当然である。

ここに芸術の尊さがある。言い変えれば、芸術家こそ、魂を以てする大衆の指導者であらねばならないのである。

この意味に於て、今日の如き社会悪の増加も、その一半の責任は芸術家にあるといっても過言ではあるまい。

見よ、低俗極まるエロ、グロ文学や、妖怪極まる絵画や、低劣なる芸術家が発する声も、奏する音楽も、劇、映画等も、心を潜めてよくみれば、右の説の誤まりでない事を覚るであろう。

(昭和二十四年十月十五日)

天国は芸術の世界

私は常に“天国は芸術の世界なり”というが、単にこれだけでは、余りに概念的である。成程美術、文学、芸能等が充実する事も、右の通りで大いに結構ではあるが、本当からいうと凡ゆる芸術が揃わなくてはならない。否、芸術化されなければ真の天国とは言えないのである。

私が唱える処の、神霊療法による病気治しにしても、実をいえば立派な生命の芸術である。何となれば芸術なるものの本質は、真と善と美の条件に適わなければならないからである。先ず何よりも、病人には真がない。というのは人間は健康であるべきが真であって、健康を害ねるという事は、最早人間本来の在り方ではなくなっている。例えば、ここに一箇の器物があるとする。その器物のどこかに破損が出来るとすれば、その器物の用途は果せない。水が漏るとか、置くと倒れるとか、使うとすると毀れるとかいうのでは、器物としても真はない。従って何とか修繕して役に立たせるようにしなければならない。人間もそれと同様、病気の為人間としての働きが出来ないとすれば、無用の存在となってしまうから、その修繕をする。それが本教の浄霊である。

次に善であるが、人間に善がなく悪のみを行うとすれば、これも真の人間ではない、動物である。かかる人間は社会に害を与えるから、不要処か寧ろ生存を拒否しなければならない事になる。併しそれは生殺与奪の権を握られ給う神様が行わせられるのである。その結果失敗したり、病気で苦しんだり、貧乏のドン底に落ちたり、中には生命迄も失うようなものさえある。これは全く神様に裁かれるのである。併し単に悪といっても、意識的に行う悪と、無意識的に行う悪とがある以上、その差別に相応の苦しみが来る。その点は実に公平である。最後の美であるが、これは説明の要がない程分り切った事だから略すが、以上によってみても明らかな如く、真善美の具現こそ、この世界を天国化する根本条件である。

従って、我々が病気を治すのも、農耕法を改革するのも、勿論芸術である。前者は前述の如く生命の芸術であり、後者は農業の芸術である。これに加えて、我等が地上天国の模型を造るのも、美の芸術であって、右の三者の合体によって、真善美の三位一体的光明世界が造られるのである。これ即ち地上天国、ミロクの世の具現である。

(昭和二十五年十月四日)

天国は美の世界

神様の御目標は、真善美完き理想世界を御造りになるのである事は、本教信者はよく知っている処である。としたらその反対である悪魔の方の目標は、言わずと知れた偽、悪、醜である。今それを解釈してみるが、偽は勿論文字通りであり、悪も説明の要はないが、ここに言いたいのは醜の一字である。

処が世の中には、往々間違えている事がある。というのは醜が真善に附随している例で、これを見た人達は、反って讃仰の的とさえする場合が往々ある。これを判り易くいえば、粗衣粗食、茅屋に住み、最低生活をし乍ら、世の為人の為を思って、善事を行っている者も昔から少なくないのである。成程境遇上そうしなければ生きてゆかれないとしたら、止むを得ないとしても、それ程にしなくとも差支えない境遇にあり乍ら、好んでそのような生活をするのは、どうも面白くないと思うが、中には修養の手段として特に禁欲生活をする宗教家も、今迄沢山あったが、こういう人は自分もそれが立派な方法であると思い、世人もそれを見て偉い人と思うのであるが、実をいうとこの考え方は本当ではないのである。何となれば肝腎な美というものを無視しているからで、つまり真善醜である訳である。この意味に於て人間の衣食住は、分相応を越えない限り、出来るだけ美しくすべきで、これが神様の御意志に叶うのである。何よりも、美は自分一人のみの満足ではなく、他人の眼にも快感を与えるから、一種の善行とも言えるのである。第一社会が高度の文明化する程、凡ゆる物は美しくなるのが本当である。考えてもみるがいい、蛮人生活には殆んど美がないではないか。これにみても、文化の進歩とは、一面美の進歩といってもよかろう。

勿論個人の場合、男性と雖も見る人に快感を与えるべく、適当の美しさを保つべきで、まして女性にあっては、より美しくするよう心掛けるべきである。尤も女性にそんな事をいうのは、反って余計な御世話かも知れないが、マアーそういう理屈であろう。又一家の部屋内もそうで、天井の蜘蛛の巣などにも常に注意を払い、座敷は塵一つないようよく掃き清め、目障りな物は早く片づけると共に、調度、器物なども行儀よく、キチンとして置くようにすれば、第一家族の者は勿論、人が来ても気持よく、自然尊敬の念が湧くもので、その家の主人の値打も上るのである。又家の外郭も敢えて金をかけなくともいいが、努めて修理を怠らず、清潔にすれば、道行く人にも快感を与えるばかりか、観光国策にも好影響を与える訳である。それに就いて彼の瑞西の話であるが、同国は狭い為もあろうが、何しろ町も公園も塵一つない程掃除がよく行届き、実に気持がいいと言われている。この国の観光客の多いのも、それが大いに原因しているという事で、これ等も他山の石として、大いに参考としてよかろう。

以上によってみても、我々日本人は、大いに美の観念を養う必要があろう。これによって、小は個人は固より、大にしては社会国家に対しても、意想外の好影響を与える事になろう。処がそればかりではない、美の環境によって社会人心も美しくなるから、犯罪や忌わしい事などもずっと減るであろうから、この事だけでも地上天国の一因ともなるであろう。

最後に私の事を書いてみるが、私は若い時分から美に関した事が好きで、随分貧乏に苦しみ乍らも、小さな空地へ花を作ったり、暇さえあれば絵を画いたり、出来るだけ博物館や展覧会などへ行き、春は花に楽しみ、秋は紅葉を愛でなどしたものである。そうして今は神様の御蔭で自然に生活も豊かになり、美を楽しむ事も思うように出来ると共に、それが御神業の一助ともなるのであるが、これを知らない第三者から見ると、私の生活は贅沢のように見られるが、これも致し方ないであろう。いつもいう通り、昔から宗教の開祖などと言えば、貧しい生活をし乍ら難行苦行をし、教えを弘通した事などと比較して、余りに違っているので変に思うであろうが、実はその時代は夜の世界であったから、宗教と雖も地獄にあり乍ら信仰を弘めたのである。処が愈々時期転換、昼の世界となりつつある今日、反対な天国に住し乍らの救いであるから、その点深く考えなければならないのである。

最後に言いたい事は、彼の共産主義であるが、これも目標は地上天国を造るのだそうだが、他の事は別としても、同主義者に限って、美の観念が薄い事である。としたら、同主義が美を採り入れない限り、本当のものでない事が分るであろう。

(昭和二十六年七月十一日)

美術の社会化

私は、今度美術館を造ったに就いての、根本的意義を書いてみるが、それはいつも言う通り、本教の目標は真善美完き世界を造るにあるので、その中の『美』を表徴すべく、天然の美と人工の美をマッチさせた、未だ誰も試みた事のない芸術品を造ったのである。そうしてその狙い所としては、今日迄外国は別とし、日本という国が世界の何処の国にも劣らない程の、立派な美術品を数多く持ち乍ら、これ迄は特権階級の手に握られ、邸内奥深く秘蔵されていて、解放する事なく、時々限られた人にだけしか見せないような有様なので、早く言えば美術の独占であり、これが今迄の日本人の封建的考え方であったのである。

この事に就いて私は、以前からまことに遺憾に思っており、何とかしてこの悪風を打破し、美術の社会化を図りたいと思っていた。つまり美術の解放であり、一般民衆を楽しませる事である。そうしてこそ芸術の生命を活かす所以でもあると思い、心掛けていた処、私が宗教家なるが故に、信徒の献身的努力と相俟って割合短期間に完成したのであるから、私の長年の希望が達成したわけで、喜びに堪えないのである。そうして、今日各地に個人美術館はあるにはあるが、それを造った意図は、私の目的とは凡そ違っている。それは、富豪や財閥が金に飽かして、自分の趣味の満足と財産保護、名誉欲等のため蒐めた数多い美術品を、将来の維持と安全のため法人組織にしたものであって、それには、一カ年何日以上は公衆に展観させなければならないという法規によって、春秋二季の短期間、申訳的に開催するのであるから、社会的意味は甚だ乏しいと言わねばならない。

それに引替え本美術館は、箱根の気候の関係から十二、一、二の三カ月間だけは休館するが、後は常設であるから、いつでも見たい時には見られるという便宜があり、この点から言っても理想的であろうし、然も本美術館の列品は、美術に関心を持つ人達が、一度でもいいから是非見たいと思うような珍什名器が、所狭き迄並べてあるのだから、その人達の満足も大きなものがあろう。又、料金も割合低額のつもりであるから、社会福祉の上にも相当貢献出来ると思っている。

そればかりか、現代の美術家で参考品を見たいと思っても、御承知の通り博物館は歴史的、考古学的の物が多く、仏教美術が主となっているし、その他の個人美術館にしても、支那美術、西洋美術が主であるから、真の意味に於ける日本美術館はなかったのである。然も、兎角散逸し勝ちな、貴重な文化財保存の上から言っても、大いに貢献出来るであろう。先日も国立博物館長浅野氏や、文化財保護委員会総務部長富士川氏等が参観されての話によるも、こういう美術館は、現在国家が最も要求している条件に叶っているので、我々も大いに賛意を表し、援助する考えだから、そのつもりで充分骨折って貰いたいとの事なので、私も大いに意を強うした次第である。

最後に特に言いたい事は、将来観光外客も続々日本へ来るであろうし、箱根へ立寄らない外人はあるまいから、本美術館も必ず観覧するに違いあるまいから、この点からも、日本文化の地位を高める上に、少なからず役立つ事であろう。それに就いて、彼の有名なウォーナー博士を始め、有力な外人の参観申込も続々あるので、何れは海外に知れ渡り、日本名物の一つとなる日も、さ程遠くはあるまいと思っている。そこで、それに応ずべく目下凡ての充実に大童になっている次第である。

(昭和二十七年八月六日)

日本文化の特異性

日本人諸君に向って大いに言いたいことがある。というのは、日本の国柄と日本人としての特異性である。これが心底まで分ったとしたら、決して敗戦や亡国のような悲惨な運命にはならなかったのである。よく自分を知るという言葉があるが、それを推ひろめて、自分の国を知らなくてはならない。昔のように鎖国時代ならともかく、現在の如くすべてが世界的となり国際的となった以上、どうしても自分の国を知ることが肝腎である。即ち我が国としては如何なる役割をなすべきか充分知ることである。

右の如く、日本の存在理由を認識出来なければ国家の大方針は確立される筈はないのである。何よりも終戦までの日本を見ればよく分る。それまでは、国内的には軍閥と称する特権階級が絶対権力を揮って、少数者の意図の下に勝手放題な政治が行われたのである。それが為一般民衆は権力者に対し何等の発言権もなく、唯々諾々として奴隷化されていたことで、これは今尚記憶に新たなる処である。成程、明治以来憲法を制定し、代議政体を作り、民意を尊重するかのように見せかけて、実は政権は少数者の手に握られ、遂に無謀な戦争を引起したのである。丁度羊頭を掲げ、狗肉を売るのと同様である。

ここで日本歴史を省みてみよう。実にこの国は神武以来内乱の絶え間がなかった。政治は全然武力に支配されてしまった。武士道の美名に隠れて個人としては殺人行為の勝れたものが勲力を得、戦争の勝利者が時代の覇者たり得たのであった。以上のような暴力的太い線によってひきずられて来たのが、終戦までの日本であった。その太い線が敗戦という一大衝撃にあってもろくもたち切られたのである。この意味を日本人全体が深く認識しなければ、平和国家としての真の国策は生まれないであろう。

右に対し重要なることは日本の再認識である。というのは、元来日本という国は、我々が常にいうところの封建的武力国家とは凡そ反対である平和的芸術国家でなくてはならない。それが日本に課せられたる天の使命である。従って、再建日本ということをよく言うが、只それだけでは大した意味がない。文字通りとすれば軍備のなくなった民主的国家というだけである。それも勿論喜ぶべきではあるが、実は世界に対し日本の特殊的役割を自覚し全人類の福祉により貢献すべきで、それが新日本としての真の役割である。我等はその理由を順次書いてみることにしよう。

先ず何よりも日本国土の風光明媚なる点である。これは恐らく世界に比を見ないであろう。外客が称讃の声も常に聞くところである。又気候に於ても春夏秋冬の四季が鮮明であるということにも大きな意味がある。それは山川草木は固より風致に於ける絶えざる変化である。この四季に就いては、先年高浜虚子氏が世界漫遊後の言に徴しても明らかである。氏は「日本程四季のはっきりしている国は世界中何処にもない。俳句は四季を歌うのであるから、日本以外の国では本当の俳句は出来ない」とのことである。その他、草木、花卉、魚介の類に至るまで、日本程種類の豊富な国はないといわれる。

特に日本人の特異性としては手指の器用である。ということは美術工芸に適しているということで、何よりの証拠は、前述の如く殆んど戦国時代の続いた過去を有つ日本が幾多の勝れた美術が作られたことで、今に於てもその卓越せる技巧に驚歎するのである。

大体以上の理由によってみても、日本及び日本人が如何なる使命を有するかはよく分るであろう。これを詮じつめれば、日本全土を打って世界の公園たらしめ、美術に対する撓まぬ努力によって最高標準にまで発達せしめるべきである。即ち我等の唱える観光事業と美術、工芸の二大国策を樹立し、それに向って邁進することである。この結果として全人類に対し思想の向上に資するは勿論、清新なる娯楽と慰安を与えることである。一言にして言えば高度の文化的芸術国家たらしめることである。

現在、全人類は戦争を恐れ平和を如何に欲求しているかは、今日程痛切なる時代はないと言ってもよかろう。我々が常にいう如く、戦争の原因は人間に闘争心が多分に残っているからである。勿論、闘争心とは野蛮思想に胚胎するのであるから、いわば口には文化を唱えながら実は野蛮性の脱皮は未だしで、この解決の方法こそ人類の眼の向うところを転換させることである。その転換の目標こそ芸術であらねばならない。言い変えれば闘争という地獄世界を芸術という天国世界に転換させるのである。要するに恒久平和の実現は、武器の脅威で作るのは一時的でしかない。どうしても根本としては思想の革命である。思想の革命とは、宗教と芸術以外決してないことを断言するのである。

以上の意味に於て再建日本といわず、再建新日本といいたいのであって、その国策としては勿論芸術化国家以外にないのである。

(昭和二十五年一月一日)

日本は木の国

このことは余り人に知られていないから、一通りは書いてみるが、それは日本は霊の国、外国は体の国と自ら定っているのである。それについて気のついた種々の点を書いてみるが、第一建築である。日本は木造建築が多く、外国は天然石と人工石ともいうべきセメントが多く、模造石さえ出来ている。又楽器にしてもそうだ。琴、三味線、笛等、木と竹が主となっているが、外国は金属が主となっている。又声にしても、日本人は鳥の声に似通っており、外国は獣の声に似通っているのも、日本は草で作った畳の上に寝起きするに対し、外国は石やセメント、絨緞という獣毛で出来た物を敷いている。そうして日本は気の国というのは、気は霊であり、外国は身であり、体である。又気は火であり、陽であるから男性である。これに対し体は水であり、陰であるから女性である。という意味によって、昔から日本は男の方が威張って、女の方は温和しいのである。又妙な話だが、日本人の米食であるのも、米の形は男子の○○の形であり、外国人の麦であるのも、女子の○○の形であるにみても分るであろう。

まだ色々あるが、これだけでも大体分ったであろう。処がこれがミロクの世となるに従い、両方が歩み寄り、経緯結んで伊都能売となるのである。ということが分って、その目で現在の世界をみるとハッキリしている。それは、日本は体的米国文化を盛んに採入れると共に、米国の方も近頃日本文化を大いに採入れ始めたということで、つまり東西文化の融合である。という点からみても、人間には気がつかないが、神の経綸は一歩々々進んでいることが頷けるであろう。

(昭和二十八年四月八日)

神仙郷神苑について

私が五年前から造営しつつある、箱根強羅のこの神苑は、殆んど八分通り出来上ったが、これだけでも、日本の各地にある昔からの有名な庭園に比べて、遜色がない処か、口巾ったい言種かも知れないが、格段の違いさであろう。成程、それぞれ特色ある立派な名園も数多くあるにはあるが、大体どこを見てもそれ程の特色はないようである。処が、見らるる通りこの神仙郷に至っては、全然違う。何しろ自然の奇巖珍石が驚く程豊富にあるので、私は神示のまま、それぞれの配置や岩組をなしつつ、昔からの庭園としての約束を破り、型に因われず、全然新しい形式で造ったのである。樹木にしても、それに相応すべく、色々の種類を集めてよく調和させ、滝や渓流にしても、出来るだけ自然の味を出しながら、山水の美と庭園の美とをタイアップさせて、自然の芸術の高さと良さとを充分出そうとしたのである。言う迄もなく、見る人の眼を通して、人間に内在している美の観念を引出し、自らなる品性を向上させ、魂の汚れを洗うのが狙いである。

そのようなわけで、岩の組合せは勿論、樹木や草なども撰びに撰んで、一々に心を篭めてあしらい、丁度自然の材料で絵を画くようなものである。というようなわけだから、そのつもりで見て貰いたいと思う。即ち、近くで見ても離れて見ても、部分的に見ても、総体的に眺めても、どの角度から見ても、それぞれの味が出ているつもりである。然も、年月を経るに従い、箱根特有の色々な苔や、名も知れぬ小草、小やかな可憐な花、盆栽のような芽生えの木など岩の凹みに見えて、おのがじし人の眼を引こうとしている。昨今は庭一面に時代がつき、落着いて来たので、見違える程良くなって来た。自分乍ら低徊(ていかい)去るに忍びない事もよくある位である。又雨後の水の多い時など、深山の渓流を俯瞰するようで、石走る水のせせらぎ、砕けては白々と飛沫が散り、潺々としつつ幾曲りし乍ら、落つる所二カ所の瀑布があって、その景観に心を奪われる。

この二つの瀑布の右手「龍頭の滝」の段になって落ちるのもいいが、左手の滝を見ていると、水は幾条にも破れては飛び散り、今しも岩燕一羽スッと掠めるのが眼に浮んで来る。全く自然と人工の調和美がよく現われていて、これも予期以上の出来栄えに私は満足した。眺めていると、宛ら深山幽谷にある思いがし、又一幅の名画に向うような気もする。よく人間の造った滝と言えば、どうも俗味が邪魔するが、これは又、そのような臭さは聊かもなく、飽迄自然である。滝と照り映う紅葉の色、それぞれの樹木の色、深々とした植込みなど、深山にある思いがする。先ず出来上った庭の方はこの位にしておいて、次に、公園寄りの裏手に当る広々とした空地も、大いに変った庭に造りたいと思って、拵えにかかったが、此処も一寸想像出来ない程の珍らしい企画で、恐らく出来上った上は、誰しもアッと言うであろう。

以上、私が思うがままを書いて来たが、自分でやった事を何の会釈もなく褒めそやすのは、自惚れも甚だしいと思うであろう。普通人的に見ればそれに違いあるまいが、何しろ神様が私を通じて造られたのであるから、神様の技術、即ち神技であってみれば、これを褒めたとしても、何等差支えあるまい。それは神様を称える事になるからで、寧ろ結構だと思う。これに就いて、この間米国の某高等学校の地理学の教授、ウィリアム・W・シュドラー氏が観覧に来られたが、氏は自己の専門的見地から“世界到る所の庭園を見ても、まだこれ程の珍らしい、芸術的なものはない、恐らく世界随一と言ってもよかろう”と激賞されたのである。次は、愈々最後に造る美術館であるが、これは来年の夏迄に完成の見込みで、出来上ったからには、神仙郷神苑も一段の光彩を放つであろう。そうして陳列の美術品も、私の手持は少しはあるが、博物館はじめ各地の美術館や、個人の所蔵家、寺院等にある国宝級の物も大体調べてあり、連絡も漸次つきつつあるから、先ず何処にも引けをとらない程の美術館となるであろう。尚私の方針は、歴史的、考古学的なものは少しにして、審美眼的に見て、東洋の新古を問わず、その時代の名人巨匠の傑作品のみを選んで、並べるつもりである。何となれば、鑑識眼の有る無しに拘わらず、誰が見てもその美に打たれ、楽しめるものでなくては、美術館としての意義は発揮されないからである。勿論、この美術館も、建築の設計から、室内の設備、装飾等、悉く神示のまま私が当るのであるから、出来上った上は、また別な効果を見せるであろう。

右によって、大体神仙郷は完成するのであるから、その暁、御神業は本格的発展の段階となるであろう。そればかりではない。熱海の方の造営も、飛躍的建設の順序となるのは勿論で、神は凡て順序正しく進まれるので、これが真理である。

(昭和二十六年九月十九日)

美術館建設の意義

私は救世教教主岡田茂吉であります。今日は御多忙の処、折角御光来下さいました段、厚く御礼申し上げます。

さて今回特に開館に先立って御覧を願う次第は、美術に対する具眼者である諸氏の御批判を仰ぎたいと共に、一言私の抱負を開陳致したいからであります。そうして、宗教本来の理想としては、真善美の世界を造るにあるのでありまして、真と善とは精神的のものでありますが、美の方は形で現わし、目から人間の魂を向上させるのであります。御承知の通り、西洋でも、希蝋、羅馬の昔から中世紀頃迄は勿論、日本に於ても聖徳太子以来鎌倉時代までは、宗教芸術が如何に盛んであったかは御存知の通りであります。従って、絵画、彫刻、音楽等凡ゆる芸術は、宗教が母体であったことは、否み得ない事実であります。

処が現代に至っては、それが段々薄れてゆき、宗教と芸術とは離れ離れになってしまい、そこへ近代科学の影響も手伝って、宗教不振の声は常に聞く処であります。そのようなわけで、どうしても宗教と芸術とは、車の両輪の如くに進まなければならないと思うのであります。

処で、それはそれとして、日本という国柄に就いて一言申したい事は、本来地球上の国という国は、人間と同様、それぞれその国独自の思想文化を持っている事であります。では、日本のそれは何かと申しますと、美によって世界人類を楽しませ乍ら、文化の向上に資する事であります。日本の山水美が特に秀でている事や、花卉、草木の種類の多い事、日本人の鋭い美の感覚、手技の勝れている点等を見ただけでも、よく分る筈であります。処が、そのような根本を知らないが為、戦争などという無謀極まる野望を起した結果、アノような敗戦の憂目を見るに至ったのであります。然も、再び戦争などを起さないよう武器まで取上げられてしまったという事は、全く神が、日本人の真の使命を覚らしむべくなされたのは、言う迄もありますまい。尤も、最近再軍備などと喧しく言われていますが、これは単なる防衛手段であって、それ以上の意味はないのは勿論であります。

以上によってみても、今後日本の進むべき道は自ら明らかであります。即ち、それを目標とする以上、永遠なる平和と繁栄は必ず招来するものと信じ、かねてこの事を知った私は、微力乍ら、その考え方を以て進んで参ったのであります。そうして、その具体的方法としては、先ず、美の小天国を造って天下に示すべく企図し、その条件に適う所としては、何と言っても箱根と熱海で、交通の至便と、山水の美は勿論、温泉あり、気候、空気も良く、申分ない所であります。そこで、この両地の、特に景勝な地点を選び、天然の美と人工の美をタイアップさせた、理想的芸術郷を造るべく、漸く出来上ったものが、この地上天国と、そうして美術館であります。

それに就いては、御承知の如く日本には今日迄、日本的の美術館は一つもなかった事であります。支那美術館、西洋美術館と、博物館の宗教美術等で、日本人であり乍ら日本美術を鑑賞することは出来ないという有様で、いま仮に外国の人が日本へ来て、日本独特のものを見たいと思っても、その希望を満たす事は不可能でありました。としたら、美術国日本としての一大欠陥ではありますまいか。とういうわけで、今度の美術館が、幾分でもその欠陥を補うに足るとしたら、私は望外の幸いと思うのであります。

それから、こういう事も知って貰いたいのです。それは、昔から日本には、世界に誇り得る程の立派な美術品が豊富にあり乍ら、終戦迄は華族富豪等の奥深く死蔵されており、殆んど大衆の眼には触れさせなかった事であります。つまり、独占的封建的思想の為でもあったからでありましょう。それが民主的国家となった今日、昔の夢となった事は勿論であります。そうして、元来美術品なるものは、出来るだけ大衆に見せ、楽しませて、不知不識のうちに人間の心性を高める事こそ、その存在理由と言えましょう。とすれば、先ず独占思想を打破して、美術の解放であります。

処が幸いなる哉、戦後の国家的大変革に際して、秘蔵されていた多数の文化財が市場に放出されたので、これが我が美術館建設に如何に役立ったかは、勿論であります。

そうして、今度の美術館は規模が小さいが、今後次々出来るであろう内外の美術館に対し、模範的のものを造りたい方針で、一から十まで私の苦心になったもので、勿論庭園も一切私の企画で、一木一草と雖も悉くそうでありますから、素人の作品として欠点は多々ありましょうが、聊かでも御参考になるとしたら、私は満足に思うのであります。尚且つ将来あるかも知れない空襲や、火災、盗難等に就いても、環境、設備等充分考慮を払ったつもりでありますから、国宝保存上からも、お役に立つでありましょう。

以上で大体お分りの事と思いますが、つまり日本本来の美の国、世界のパラダイスとしての実現を念願する以外、他意はないのであります。

尚、近き将来、熱海にも京都にも、地上天国と、それに附随する美術館を造る計画でありますから、何卒、今後ともよろしく御支援あらんことを、ここに御願いする次第であります。これを御挨拶と致します。

(昭和二十七年七月九日)

美術品の集まる理由

箱根美術館を見た人は分るであろうが、容易に手に入らないような物が豊富に蒐っているので、驚かない者は殆んどないのである。これに就いて最初からの経路を書いてみるが、先ず買始めたのが終戦直後からであった。何しろ日本は嘗てない世の中の変り方で、誰も知る如く一挙に貴族、富豪、大名、財閥等残らずと言いたい程特権階級の転落となったので、忽ち経済的苦境に陥り、先祖伝来大切に秘蔵してあった書画骨董類を手放さない訳にはゆかなくなった事である。従って珍什名器は随分出たと共に、値段も安かった。搗て加えて巨額な財産税を課せられたので、どうしても手放さなければならない窮地に追込められ、泣く泣く売払ったのであるから、余りの気の毒に私は同情に堪えなかったのである。そうかといって売らなければ追っつかないから、私は買いつつも助ける気持も手伝った位である。という訳で、私は値切らず殆んど言い値で買ったものである。併し欲張り道具屋の暴利だけは加減したのは勿論である。そのようにしてボツボツ集まるには集まったが、いつもいう通り私は若い頃から美術が好きではあったが、鑑識の点は無論素人の域を脱していなかったと共に、買った経験もないので相場も分らず、只見て気に入った物だけを買ったのである。処がその方針が当ったとみえて、全部と言いたい程買損いがなかった。

これは美術館を見た専門的知識のある人は、御世辞でなく褒めている。“今迄どんな美術館を見ても、如何わしい物は相当あるものだが、この美術館は屑がない。逸品揃いだ”と言うのである。先頃来られたニューヨーク・メトロポリタン博物館、東洋美術部長プリースト氏なども、この点特に褒め讃えていた。そうこうしている内大分品物も集まり、私も段々目が利くようになったので、何れは美術館を造らねばならないと思いはじめたのが、忘れもしない三年前位であった。それから不思議にもその目的に合ったものが予想外に集まって来たので、愈々神様が美術館建設に力を注ぎはじめた事がハッキリ分ったのである。それに就いての奇蹟は余りに多いので、一々は書けないから、その中の著しいものだけ書いてみよう。

最初の頃であった。或る蒔絵専門の道具屋が、不思議と思う程上等な蒔絵物を次から次へと持って来るので、私も驚いたと共に、道具屋も実に不思議だといったものである。然も時も時とて非常に良いものが驚く程の安価で手に入ったもので、先ず今日の相場から言えば、少なくとも数倍以上は違うのである。今美術館に並んでいる蒔絵物がそれで、あれだけの品物が僅か半年位で集まったのである。特に稀世の名人白山松哉の物なども、現在並べてあるのが二点であるが、まだ数点は蔵ってあるから、何れは並べるつもりである。何しろこの人の作品は、今日殆んど売物には出ない位で、如何に品物の少ない事と、所持者が珍重して手放さない事が分るのである。

又私が以前から好きなのは、琳派物と仁清の陶器であったが、これなども時の経つに従い段々高くなるばかりで、近来売物は殆んど影を没してしまい、希望者は歎声を漏らしているそうだ。処が終戦直後のドサクサ紛れで、値も頗る安く、相当数手に入ったので、全く神様の力である事がよく分るのである。そんな訳で私が是非欲しいと思う物、美術館になくてはならないという物は、必ず手に入る。その都度道具屋は“不思議だ、奇蹟だ”という。それに就いてこういう事があった。私は広重の有名な東海道五十三次の初版のものが欲しかった処、或る版画専門の道具屋が来て、広重物など見せたので、私は初版の五十三次ならいつでも買うと言ってやった処、その翌日持って来たので驚いた。すると彼曰く“こんな不思議な事はありません。昨日帰宅するや、或る人が昨日のお話通りのものを持って来たので、吃驚しました。私は四十年前から心掛けておったのですが、昨日帰宅するやそれを売りに来たのですから、どう考えても分らない”というので、私も余りの奇蹟に感激したのは勿論であった。よく見るとこれは有名な某大々名の秘蔵していたもので、先祖が作ったとかで、その立派な画帖にも二度吃驚したのである。且つ値段も非常に安く喜んだのである。

次に支那陶器であるが、私は以前から全然趣味もなく、鑑識もなかった処、美術館としてはどうしても必要と思った処、それから間もなく方々から集まって来た。今並べてあるものがそれだが、何しろ約一年位で蒐めたので、これを知った誰もは本当に思わない。然も初めは全然目が利かず、道具屋の説明や自分の六感で選んだのだが、今日専門家は、よくこんな好い物が、これ程沢山集まったものだと感心している。という訳で、いつも乍ら御守護の偉大さは何ともいえないのである。まだ色々あるが、後は想像して貰いたい。

そこでこの奇蹟は、何が為かという事をここに書いてみるが、これこそ霊界に於てその作者は勿論、愛玩していた人、その品物に関係のあった人等の霊が、大いに手柄を立てたいと思い、適当の順序を経て、私の手に入るように仕向けるのである。何故なればその功績によって救われ、階級も上るからである。言う迄もなく僅かの期間でこれ程の美術館が出来たというのも、全く右の理由によるのである。考えてもみるがいい。今日迄財閥富豪が一世一代掛って漸く出来る位の美術館が、瞬く間に出来たとしたら、到底人間業ではない事が誰が目にも映るであろう。

(昭和二十七年十月八日)

花による天国化運動

本教の目標である地上天国建設という、その地上天国とは如何なるものであろうか。言う迄もなく、真善美が完全に行われる世界である。

勿論本教の生命である健康法も、自然栽培も、その具体化であり、又浄霊法は、肉体は固より精神的改造でもあるが、それとは別に、人心を美によって向上さす事も緊要である。美に就いては差当って今着手の運びになっている本教の新しい企画である。それに就いて先ず日本の現状を書いてみよう。

美とは、大別して耳と眼と舌の領分であるが、耳の方は今日ほど音楽の盛んな時代は先ずあまるい。その原因としては勿論ラジオを第一とし、蓄音機、録音盤等の発達も与って力ある。処が眼の方に至っては、ただ演劇、映画等によるだけで、洵に心細い状態である。もっと簡単に身近に時間の制限がなく、美の感覚に触れるものが欲しいのである。成程演劇や映画は眼を楽しませるものとしては上々のものであるが、時間と経済と交通等の制約がある以上、全面的に受入れる事は出来ない。処が我等がここに提唱する処のものは、美の普遍化に好適である花卉の栽培と、その配分である。一般住宅その他の部屋に花を飾る事である。現在と雖も中流以上の家庭には大抵飾られているが、それだけでは物足りない。我等の狙いは如何なる階級、如何なる場所と雖も花あり、誰の眼にも触れるようにする事である。

事務室の隅に、書斎の机に、一輪の花が如何に一種清新の潤いを覚えしむるかは、ここに言う必要はない。理想からいえば留置場、行刑場等に迄も一枝の花を飾りたいのである。そうすれば彼等犯罪者の心理に如何に好影響を与えるであろうかである。このように人間の居る処必ず花ありというような社会になれば、現在の地獄的様相を相当緩和する力となろう。

処が、そうするには今日の如き花の高価ではどうにもならない。どうしても非常なる低価で手に入れるようにしなければならない。それには食糧生産に影響を与えない限り、大いに花卉類の増産を図るべきである。これに就いて、今一つの重要事を書いてみよう。

日本は花卉類の種類の多い事は世界一とされている。又、栽培法に於ても世界の最高水準に達しているという事で、彼の和蘭特産のチューリップなどが今次の戦争前越後地方に栽培され、相当の輸出額に上っていた事や、白百合が神奈川県下に生産され、英米に輸出し、年々増加しつつあったことなどは人の知る処である。

我等の調査によれば、米人などは日本の花卉に憧れ、米国にない名花珍種を要望してやまないそうであるから、今度は大々的増産によって外貨獲得の一助たらしめるべきである。処がこの事は案外今日迄閑却されていたが、今後は大いに奨励する必要がある。然も輸出高に制限の憂えがない貿易品であるによってみても、大いに属望の価値があろう。

(昭和二十四年五月八日)

植物は生きている

私は庭の植木を手入れするのが好きで、常に枝を切ったり、形を直したりするが、時にはうっかり切り損なったり、切りすぎたりする事が間々ある。又木を植える場合、場所の関係もあって、止むなく気に入らない所へ植える事もあり、周囲の関係上、木の裏を表へ出したり、横向きにしたりするので、その当座見る度毎に気になるが、面白い事には時日が経つに従い、木の方で少しずつ形を直すとみえ、いつかはその場所にピッタリ合うようになるのは、実に不思議で、どうしても生きているとしか思えない。全く樹木にも魂があるに違いない。

この点人間が、人に見られても愧しくないよう、身づくろいするのと同様であろう。これに就いて、以前或る年寄の植木屋の親方から聞いた事だが、思うように花が咲かない時は、その木に向って“お前が今年花を咲かせなければ切ってしまう”というと、必ず咲くそうである。だが私はまだ試してはみないが、あり得る事と思う。このように大自然は如何なるものにも魂がある事を信じて扱えば間違いない。以前或る本で見た事だが、西洋の人で普通十五年で一人前に育つ木を、特に愛の心を以て扱った処、半分早く七、八年で同様に育ったという話である。

これと同じ事は生花にも言える。私は住宅の各部屋々々の花は、全部私が活けるが、少し気に入らない形でも、そのままにしておくと、翌日は前日と違って好い形となっている。全く生きてるようだ。又私は花に対して決して無理をせず、出来るだけ自然のままに活けるので、生々として長持ちがする。というように、余り弄ると死んでしまうから面白くない。そこでいつも活ける場合、先ず狙いをつけておいて、スッと切ってスッと挿すと実にいい。これも生物と同様弄る程弱るからである。又この道理は人間にも言える。子を育てるのに親が気を揉んで、何や彼や世話を焼く程弱いのと同様である。

そのようにして活けるから、私が活けた花は普通の倍以上持つので誰も驚く。一例として世間では竹や紅葉は使わない事になっているが、それは長持ちがしないからであろう。しかし私は好んで活ける。三日や五日は平気で、竹は一週間以上、紅葉は二週間位持つ事もある。又私はどんな花でも切口などそのままにして手をつけない。

処が花の先生などは種々な手数をかけて、反って持ちを悪くしているが全く笑うべきである。

(昭和二十八年八月五日)

歌集『山と水』について

いつも言う通り、信仰の目的は、魂を磨き、心を清める事であるが、その方法としては三つある。一は難行苦行や災害による苦しみと、二は善徳を積む事と、三は高い芸術によって、魂を向上させる事とである。以上のうち、最も簡単で捷径なのは、高い芸術による感化である。然も楽しみながら、知らず識らずに磨けるのだから、これ程結構な事はあるまい。この意味に於いて『山と水』の和歌を暇ある毎によむ事である。それによって知らず識らず、魂は向上する。魂が向上すれば智慧証覚が磨かれるから、頭脳が明晰となり、信仰も楽に徹底する。それというのも、『山と水』の和歌悉くに真善美が盛り込まれているからである。以上の如く、私の目的は、言霊の力によっても信仰を進めんとするのである。

(昭和二十五年五月六日)