ダイヤモンドは永遠に

(2001/06/15)

神慈秀明会ではダイヤモンドの奇瑞というのがあります。信者の元に忽然とダイヤモンドが現れるという不思議な現象であり、これを頂いた人はあまりに多く数えきることが出来ません

この度、「第一回世紀の飲み会」におきまして、救世教系の某教団の信者さんにダイヤモンドの実物を見せ、同時に奇跡集の文章を読んでもらいましたところ、次のようなコメントを頂きました。

奇跡集では、たった一回の浄霊で病気が治ったという奇跡が多いようですが、それも医学的見地から研究するなどしてデータとして残すようなことをしないと、その場限りの、その人だけの物になって終わってしまうのではないでしょうか。

「祈りの浄霊」はあくまでも宗教活動としての浄霊です。しかし明主様が究極の救いの手段、神霊科学として昭和10年から世に問うたのは「日本医術・浄霊」です。ですから二代様が発案なさった「祈りの浄霊」では研究・データ化は不必要でありますが、明主様は、どうしても科学で立証し、普遍的に広める努力が必要であると・・・だから奇跡は奇跡だけにとどめず、なぜ、どうしてそういった奇跡=明主様からの証がいただけたのかを検証し、天国化に向かってその証を生かしていかなくてはならないと思うのです。

同様にダイヤモンドについて。ダイヤモンドは、無から有を生じる奇跡として書かれておりますが、もしダイヤモンドを売ってお金にし、それを献金したというならば無から有を生じたという事になるけど、そうでなければただの自己満足で無から有を生じたといってもたいしたことではないと私は思うのですが、いかがでしょうか。

私の奇跡についての受け止め方は、奇跡=明主様からの証です。いただいた証をどのように生かすか・・・自分のために生かすか、明主様の為に生かすか、ダイヤモンドにはどのような意味があるのか?それによって現れたダイヤモンドについては、ただ出た出たと言ってありがたいと言っておしまいにしているのでは既成宗教と同じです。

その出てきたダイヤモンドを換金して大光明世界の建設(地上天国建設)の為に献金をしたほうがいいのではないか・・・それが明主様の献金の御教えに適ったありかたではないのかと思うのです。

しかし、ダイヤモンドの奇跡については、う〜ん、唸ってしまいました。 出てきたダイヤを科学的に鑑定士さんが分析したら1億円だっただなんて、すっごいですね。宝くじ当たったみたい。そりゃやっぱり売るべき でしょう(^^)。

この意見は、いかにも救世教系の某教団(^^;の信者さんらしい意見でありましたが、私にはなるほど!と思えました。もちろん他の教団の方からは、また違ったご意見が頂けることでしょう。インターフェイス活動(ただしその実態は飲み会)のおかげで、おなじ明主様のみ教えに基づきながら別の意見が聞ける機会が得られたことは実に幸いなことだと思います。

というわけで、神慈秀明会では今はあまりご献金のご用はありませんが、過去のご用のために生活が苦しい方はダイヤモンドを売ってみるなんていうのはいかがでしょうか?(^^;;

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