第二回「世紀の飲み会」は行われたのか?

昨年の地上天国祭には、明主様教団4団体の信徒が集まって第一回世紀の飲み会が行われましたが、今年の地上天国祭にははたして第二回は行われたのでしょうか?

実は集まりが小規模でしたが、4教団のメンバーが集まり、ささやかながら有意義な会合がもたれました。筆者以外の主なメンバーは次の通りです。

A 東方之光のメンバー
B 天聖真美会から東方之光への移籍者
C 浄霊を独自の視点から研究しておられる天聖真美会の信者
D いづのめ教団の信者(神慈秀明会からの移籍)
E 神慈秀明会の信者

今回は、「東方之光」の人が主なる集まりでした。簡単に今回の「ミニ世紀の飲み会」についてご報告をしたいと思います。

まず15日は箱根神仙郷での地上天国祭に参加しました。お話は、例のバス事故に関することが主で、川合理事長は、「私の長年の信仰生活で培われた信仰においても、受け止めきれることが難しい事態である」ということを素直に吐露していたことが印象的でした。また、今回の事件を、教団全体に頂いた型、浄化として真摯に受け止めていこうということでありました。バス事故での被害者となられました台湾の女性の冥福を心からお祈り致します。

ちょっと意外だった事は、祭典の前に配られた冊子が「長期奉仕研修事例集」といい、箱根神仙郷のご奉仕の体験談が記されているのですが、この内容が非常に充実しており驚きました。私は、東方之光というとそれぞれの地元での瑞泉郷建設、小浄院活動を行っているイメージばかりで、聖域ご奉仕のイメージがなかったのですが、この冊子より、ご奉仕によりとても厚いご守護を頂いていること。ご奉仕の精神がとても充実していることが感じられ、意外な一面を見せつけられたような気がして感心するばかりでした。


そして、箱根の地上天国祭において最も印象的だったのは、神山荘の中を見学させて頂けたことでした。他にも山月庵の見学、観山亭入り口に明主様のお帽子、杖、下駄などが展示されていたことなど、秀明信者の自分にとっては非常に感慨深い一日でありました。

夜はホテルで主に東方之光方式の浄霊について語り合いました。まず天聖真美会に所属しながら東方之光などと接触して急所の浄霊を科学的に研究しているCさんが、すでに天聖真美会から東方之光に移籍したBさんの身体を実験台にし(なんでもBさんは実験台に最適な毒素のつき具合なのだそうです。)、熱と固結より急所を探り、そこに浄霊したところ、Bさんは痛烈な痛み(効き)を感じて驚いていました。

Bさんという方は昨年の世紀の飲み会において、箱根仮光明会館で東方之光の信者Aさんに受けた浄霊の効果に驚き、それまで受けてきた天聖真美会の浄霊とのあまりの違いから、真美会の浄霊やおひかりはまやかしであると思っていたとのことですが、この度のCさんの浄霊が、天聖真美会のおひかりで、普段受けている東方之光の浄霊にも遜色のない効果を発揮しているということに、Bさんはそれまでの認識を改めたとのことでした。すなわち、み教えに従い真摯に研鑽を重ねれば、おひかりがどこの教団からのものであっても、本流に迫る力を発揮できるということを体験したのでした。

思えばその日の川合理事長の話は、「教団に所属した証としての「おひかり」とか、拝受したから浄霊ができる「おひかり」といった安易な捉え方ではなく、「おひかり」というのは、明主様との霊線を結ぶためのものであり、その認識が重要である。」という内容であり、それはこのことを裏書きするものでありました。

また、浄霊の実験において、左側の脇腹を浄霊すると右側の脇腹が熱くなること(平均浄化)。一カ所の毒素が溶解すると別の箇所が発熱したり固結が移動したりする様子を見ることが出来ました。

そして、みんなで夢中になって急所に浄霊していたとき、一つの急所に、「東方之光」「いづのめ教団」「神慈秀明会」「天聖真美会」の4種類のおひかりによる同時浄霊が行われていることにふと気づきました。これも昨年の「3種類の善言讃詞の合唱」に続く和合の型か?と勝手に思いました。

東方之光のAさん、Bさん、および、一日2時間も自己浄霊をすることがあるというCさんの肩はとても柔らかく、私たちも、もっと徹底した浄霊が必要であることを反省させられました。

東方之光のAさんに、岡インの筆者として、一言、東方之光への希望を申し上げました。それは、東方之光では、いわゆる信者(個人コードがある人)を「メンバー」、未信者を「フレンズ」と呼んでいますが、「東方之光のメンバーではないが明主様のおひかりを拝受し、み教えを学び浄霊を行う人」に対する呼び名がないので、それを作って欲しいということです。なぜこのような要望を申したかと言いますと、筆者が東方之光を訪れ、その活動内容を伺おうとしたり、様々な質問をしても、その回答が、筆者のような立場の者にとって適切なものが得られないことが多いからです。つまりメンバーさんには、メンバーという概念とフレンズという概念しか存在しておらず、それ以外の立場の者の存在に概念がないので、自分たちの活動をそういった人にどのように説明して良いのかわからないようなのです。従って、言葉(概念)を作ってもらい、その人たちに対する対応方法を考えてもらえば、それは解決するのではないかと思った次第です。今後は、様々な団体の人が東方之光を訪れることでしょう。そんな近い将来のために、ぜひにとお伝えしました。

また、Aさんは、「このように離脱教団の方々と交流を持つようになって気づかされたことがある。それは、彼らが明主様の御足跡に触れたときの熱い感動であり、いかに明主様を高く掲げていたかということである。私たちは、明主様というと常に私たちのそばにいらっしゃる方で、非常に身近な存在であったため、そういう高く掲げる明主様観が新鮮に映った。私の仲間に『本当はこうでなくてはいけないんだ』ということを伝えていくのが私の使命ではないかと思っている」と言われました。

Cさんは、急所の浄霊の他に、食、芸術を楽しみつつ岡田茂吉思想を研鑽しておられるので、私はCさんと、今後、私たちの活動は単に自然食を作って食べるだけではなく、素材を引き立てる料理法や、料理と酒の理想的な組み合わせ、美しい盛りつけなどといったものを研究史、一般家庭でも可能なレベルでの、食生活への美の導入ということが岡田茂吉思想の具現化として必要になってくるのではないかということを語り合いました。

翌日は熱海のいづのめ教団地上天国祭に参加しました。東方之光のAさんは、「箱根では理事長『ご指導』」熱海では『ご挨拶』の違いがある。」と言っていました。天聖真美会の方は、いづのめ教団の祭典の様式や御講話、体験談などがあまりにも天聖真美会とよく似ていることに驚いていました。しかし、いづのめ教団の祭典や御講話と神慈秀明会のそれは、さほど似ていませんので、似ていると思っていた天聖真美会と神慈秀明会にも、どうやら多少の違いがあるようです。やはり開祖が御在世当時を知っているかいないかに違いが出ているような気がします。

祭典の始めに、渡辺理事長が外国人の参拝団を紹介していましたが、その中でアフリカの某所から来られた一団が、「ジョウレイ、ジョウレイ♪」と浄霊をたたえる歌を披露していました。この国は僅か数年で二千人の信者が六千人にもなり、大きな発展を遂げたそうです。私はこの歌を聴きながら、「昨日の夜は、東方之光方式の急所の浄霊の奥深さに感心したが、こんな風に『ジョウレイジョウレイ』と陽気に歌っちゃったり、リオのカーニバルで大騒ぎする脳天気な民族たちが、『急所の浄霊』と称して、慎重に熱や固結を探り、ねらいを定めて手を翳して人を癒していくような、精密で細かくて時間のかかる浄霊はなかなか発展しないだろう。浄霊にもいろいろな姿があることは間違いではないんだな」と思いました。

今回も、忘れられない地上天国祭となりました。明主様のお導きに心から感謝致します。一日も早く、すべての明主様教団の皆さんが、なんのわだかまりもなく、楽しく笑いあい、み教えや浄霊を学び合うことが出来る日が来ますように。

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