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昭和52年5月の会主様御講話。

(2003/02/12)

昭和52年5月号(秀明紙86号)に掲載された会主様御講話を読んで気づいたことを記します。

会主様御講話 一言
 それにつけても思い出されるのは私の大失敗でございます。二十八年の春、大変お気に召したお家が前年に手に入りました

それまではご西下の都度ホテルの貴賓室や、立派なお家とは申せ、よそのお宅を借りていたのでした。誰しも家のたたずまいや間取りなどわかってはいても、初めて入居する時はとりわけ楽しみなものですね。

お屋敷の玄関のすぐ前に素晴しい山桜がありまして、大変その桜がお気に召されたようで明主様は笑顔で玄関をお入りになりました。

このお屋敷とは春秋庵のことですね。
U氏=華北交通の宇佐美氏でしょう。
なんで春秋庵の名前を隠すのでしょう。
会主様は春秋庵を、天国のひな形である平安郷の中心ではなく、明主様の単なる別荘くらいにしか思っておられないようです。

私は玄関でお迎えさせて頂きましたが、途端に鋭い厳しいお叱りのお言葉が頭上に落ちてきました。玄関はわりと手狭で、式台を上った正面に小さな額が掛かっておりました。

誰だ、この額を掛けたのは

と怒気を含まれたご叱声でした。とっさに「本当に申しわけございません。誰が掛けたのか存じませんがどうぞお許しくださいませ」と、それだけを申すのが精一杯でございました。

全く青天の霹靂というのか、頭上への大落雷でございました。
その家はU氏から譲り受けられたお屋敷で家と共に美術品もお買い上げになったと聞いておりました。大掃除をする時にも初めから額が掛かっていたので、.別に気にもとめないでいたのです。ですから手がまわらないというよりも、目がとどかなかったわけです。

皆さん方もよそのお家にお招きを受けたり、有名な料理屋に行かれたら、お床の掛物や花器または置物、その他額だとか、調度品に興味を持たれる方もあるでしょう。然し案外そういうことに無頓着な人も多いのではないでしょうか。

明主様は物はあるべき場所にそれがあってこそ調和がとれその物が生きてくる、場違いの所に物があるとかえって落ち着きが悪く気分をこわすとよく仰ったのでございます。

先程のご講話にあったように、床の間の広さ、壁の色、掛物とのつり合いなどを考えて花器を選び、花を入れなければならないと仰っておりますが、大概は好みの花を買ってきて、調和など考えずに無鉄砲に入れてしまうものです。それでも部屋はちょっと花があると彩りがあって、何もないよりもぐっと華やいで楽しいものでございます。でも、段々教えて頂くと心しなければならないと気付くわけで、こういうことまで誰も教えてくれずなかなか覚れるものではありませんね。
で、明主様の『すぐかたづけろ』とのご厳命で、取りはずそうとよく見ますと、その額は大きさからいうと手狭なお玄関には不釣合いではありませんでした。

バカでかい額が小さい部屋にあるとおかしいですし、またあまり小さい額が大きな部屋にあっても釣合いはとれません。

ですから形、大きさにおいてはよかったのですが、そこに書かれている書、つまり文字の意だったのです。「大自在」と書いてありました。
天国のひな形である平安郷の中心、春秋庵の玄関に「大自在」があるのは大変な問題です。
今になりますとどういうことかわかるのですが、もう二十数年前のことでたといその前に文字を読んでいたとしても大自在、ああこれ大自由ということだな、いい言葉だなくらいで見過こしてしまうのが落ちでございましょう。

大自在とは大自在天の略であり、大自在天とは印度バラモン教の万物創造の最高の神様のお名前と分かれば、玄関などには勿体なくて掛けられないのでした。

会主様は明主様に叱られた原因を「大自在天のお名前はあまりに尊くて玄関にはもったいない」からだと判断しました。では大自在天は奥座敷にあったら良かったのか。そうではありません。明主様は奥座敷に移せと仰ったのではなく、「片づけろ」と仰ったのです。

大自在天は、神様には間違いありませんが、釈迦よりも以前の時代における夜の世界の主催神です。昼の世界のひな形である平安郷の中心である春秋庵の中にあってはいけないものなのです。

あれにもこれにも手落ちのないように気配りをしてお迎えしたつもりでも、そのような大失敗をしご不興を蒙ったのでございます。
どんなに心をつくしても自分自身の内容が乏しければ、やはりそれは外に暴露してしまうのでかくせるものではございません。皆さん方も数多くのみ教えを項き、頭の中ではみ教えの理解ができているつもりでも、案外実際生活にはそれが生かされていない場合が多いんじゃないでしょうか。

それじゃ、お前はどうなのかと聞かれても、やっぱりまだまだあかんなあと恥入る次第でございます。年齢だけは確実に重ねていきますが、道なを遠しで足りないだらけの己を何時も恥じております。そしてあの厳しいご叱声がなつかしく、今は頂けるすべもなく本当に寂しいことでございます。
皆さん方も信仰だけしっかりしていればその他のことはどうでもいいと思ってられるかも知れません。勿論信仰がない物識りよりも信仰の柱がしっかりしていればこれは千万力でございます。と言って信仰とても頭だけの理解ではまことに力が弱く、手厳しい浄化には負けてしまいます。

どうぞ信仰を体で実践体得してくださいませ。と共に、先ほどの私の失敗談のように、巾広い教養も身につけ、世の動きも勉強しなければならないこともどうぞ忘れないでくださいませ。

この御講話より、会主様は「乙姫」「大自在天」「伊都能売大神」などの基本的なみ教えを、まったくご存じではなかったという事が分かります。会主様が、もっともみ教えを極められた方、というのは、秀明会だけの迷信だということです。

(写真は春秋庵の玄関)

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