ここまでの調査でわかったことをまとめます。
神慈秀明会のお屏風観音様は、オリジナルを誰か知らない人が書き写した模造品である。
一見、非常に緻密な作業が施されているように見えるが、こうして拡大してみると、線一本一本が違ってしまっている。
そもそも金色一色では墨絵の濃淡は再現できず、巨大な墨絵をかなり縮小した物なので、それを再現できるだけの解像度(画面の細かさ)も実現できていない。
描き忘れや、書き間違いなども見られる。所々手抜きも見られる。神様の書いたものなのだから線の一本一本細部にわたるまで忠実に再現しようという誠心は全く見ることが出来ない。(職人の「お仕事」としてみると、まあこんなものかなという出来。信仰というレベルでは論外。)
台座の蓮の花の花びらの中の線をあえて太く書いたのは、「お屏風観音様としての見栄え」をよくするためではないかと思う。つまり「誰だかわからない職人さん」が「観音様をよく見せようと演出をした」ということになる(明主様の作品ではなくまさにその職人さんの作品であるということ)。聖教書研究 でも書いたが、秀明会は「体裁をよくするために明主様の作られた物に手を加え、信者には内緒にしておく」ということを平気でする。
そして、これが最も大事なことだが、誰だか知らない人に観音様を模造させ、それを「明主様が書かれた観音様」として、離脱の翌年、昭和46年に信者に下付することを決定したのは、間違いなく会主様であり、離脱の当初から観音様は模造品だった。
いままで、神慈秀明会の旧体制に対し、「下の幹部が勝手にやっていたこと。会主様はご存じなかった」ということを主張する人がいましたが、このお屏風観音様に関してはものがものだけに、会主様がご存じないとか、指示 していないとか言うことができません。これは間違いなく会主様のご指示で「模造品」を作り、本物として信者に下付したということです。
みなさんは、この観音様の比較調査を見てどう思いましたか?
私にはこの観音様を見れば見るほど、この観音様を信者に下付することを認めた会主様が、「明主様がただ一人お選びになるほどのすばらしい明主様信仰をお持ちだった方」とはとうてい思えませんが、皆様はいかがお感じでしょうか?そしてこのようなへたくそな模造品の観音様を復活するための離脱は、果たして本物だったのでしょうか?
[戻る]