ある秀明信徒さんが東方之光の方に「東方之光とはなんぞや」という取材を行いましたのでその内容を掲載します。

東方之光とはなんぞや

(2003/09/17)

秀明会現役信者である私が、東方之光(MOA)のメンバー(信者)に、東方之光に関する取材をしました。(東方之光とは、世界救世教の被包括法人の1つで、教団浄化で、救世教が3つの分離したうちの1つです。) 私たち秀明会信者の目から見ると、東方之光は、世界救世教が3つに分裂したうちの1つにすぎないというイメージしかありませんが、実際、そういった認識で正しいのでしょうか? 東方之光の真実の姿をこの取材で明らかにしたいと考えます。

〔東方之光の発足について〕

[秀明] 宗教法人「東方之光」の設立の経緯をお伺いします。

[東方] 教団浄化の中にあって、明主様への絶対信仰が求められるようになったのですよね。その中で、特に、昭和61年に、教団浄化が激しさを増して、我々再建(現在の東方之光)が熱海の救世会館を使用できなくなったんですよね。そんな中で、明主様のご神格を信じて、もう一度、箱根根本霊地に明主様信仰を求めたところから始まるわけです。そして、教団浄化が極に達していた頃、平成元年に、川合輝明先生をもう一度指導者として迎え入れたわけです。そこで、さらに、明主様のご神格を求め、そして、明主様への絶対信仰を確立するというその信仰改革運動がそこから始まるわけです。どこまでも、明主様を世界救世教の一教祖という位置づけから、人類の救世主という位置付けとすることから始まったのでした。

明主様観を正すというところの改革からまず始まった。そういった部分を内に求めるだけではなくて、当時、社会に向かって明主様の救済と建設ということをMOA活動として具体的に実行していったのですよね。MOAの自然食運動、お花の活動ということが始まりだったんです。そういう外に向かって、明主様の三大事業を具体的に展開していく中で、それらが、宗教とか民族とかイデオロギーとかの枠を超えて、受け入れられていくという事実を体験したのです。そういうことで間違いなく明主様は救世主としてお働きになっておられるんだと事実を通して確信を持てるようになってきたました。

また、明主様のみ教えで、「東方之光」とは私であるという明主様のご生誕地に関する「東方之光」というものがありますよね。明主様ご自身を「東方之光」として求めていくという営みが、東京から始まったんですよね。当時、平成2年に、MOA東京宣言というのをやったんですよね。一宗教団体の教祖という位置づけに明主様をとどめるのではなく、世界の救い主として、そのご経綸を進めて頂くために、広く、思想、哲学として、明主様の救いを広めていく運動を展開していこうということで、MOA東京宣言をして、また、MOAブランチも生まれてくるし、従来の布教所をMOAセンターという名称に変更して、超宗教的な活動として、MOA活動を展開していった。その積み重ねた基盤があって、救世教三派の和解が成立した時の「東方之光」という名称も、信徒に違和感なく受け入れられたということです。

[秀明] 東方之光と昭和50年代の世界救世教とはどこが違うのでしょうか?

[東方] 明主様ご昇天後、色々な事情から、明主様のご神格、み教えが奥に隠され、明主様のみ教え通りではない時代が長く続いたんですよね。それを改め、もう一度、明主様のみ教え通りに進めていくということで、明主様ご在世中、明主様ご自身が実行され、型としてお示しになられたことをもう一度、型の復活として、型の拡大として、実現していくということが東方之光の特質であり、昔の救世教との大きな違いです。

[秀明] 全く違うと考えていいのでしょうか?

[東方] そのような理解でよろしいと思います。

[秀明] 昔の救世教のやり方を変更したということは、昔の救世教は、明主様のみ教えに照らして、異なる部分が多々あったのでしょうか?

[東方] 明主様本来のお考えとは、違った部分が少なからずあったと思います。明主様のご神格についても、メシヤという部分は引っ込めて、第三天国のエンゼルということにしましたし、夜昼転換のみ教えについても、霊界だけの事象であるというような内容に改ざんされました。浄霊についても、治すという部分は引っ込めて、祈りの浄霊として行われました。

[秀明] 明主様ご昇天後、なぜ、救世教は間違った方向に行ってしまったのでしょうか?何か、きっかけがあったのでしょうか?

[東方] 当時、明主様ご昇天ということで、信仰的中心を失ったわけですから、大きな動揺と混乱があったと聞いています。また、社会の無理解のために、教団が社会から、非難、中傷、攻撃を受けたため、これを避けるために、どうしても、超宗教であるはずの世界メシヤ教を、一宗教としての体制で行かざるをえなくなった。そのために、メシヤ教本来の信仰部分が大きく変えられていったということではないでしょうか。

[秀明] 社会との摩擦を避けるために、明主様のメシヤとしてのご神格を一時的に隠したという理解でよろしいでしょうか?

[東方] そのように聞いております。

[秀明] なぜ、この時点(教団浄化により、東方之光の前身である世界救世教再建派が生まれた時点)で、間違った方向に来てしまった救世教を、正しい方向に変えることができたのでしょうか? 何か、きっかけがあったのでしょうか?

[東方] 当時の教団再建運動本部の指導者として、川合輝明先生をお迎えして、その川合先生のご指導の下で、全てが正しい方向に変えられていったと思います。

〔教団浄化について〕

[秀明] 救世教内部の信者さんの目から見て、教団浄化はどのように映りましたか?

[東方] まずは、宗教団体として、明主様の教えからいっても、あるまじき出来事であったと思いますし、実際に、それまで仲間だった信者同士が争ったり、別れてしまったり、また、教団浄化を契機に、多くの信者さん特に有力な男性信者が御用から離れていったりと悲しいこともあったのは事実です。しかし、なぜ、そのようなことがあったかについては、やはり、私達の明主様信仰に絶対の信仰という部分がなかったことによって、こういう人間的な争いが起きたと今は整理しています。

〔四代教主推戴について〕

[秀明] 東方之光(当時、再建派)の信者さんの目から見て、四代教主様の推戴はどのように映りましたか?

[東方] 本来、三代教主としての位置づけは、明主様のご長男のご長男である岡田陽一様がなるべきところ、まだ、幼少のために、それまでの間、岡田斎様が三代としてやってほしいという二代教主様のお言葉を聞いておりましたので、四代教主様が立たれることについてはよかったと思いました。そして、また、立たれたときに、箱根根本霊地を本山と定められたことは、大変、うれしいことでした。

〔箱根神仙郷について〕

[秀明] 四代様推戴後、箱根神仙郷はどのように変わりましたか?

[東方] 四代様が、箱根光明台を本山としてお定めになり、そして、み教えに基づいて、明主様の神的順序を正される中で、次々とみ教えにかなった改革が進められていきました。奥津城(明主様の墓所)も、明主様を中心として、礼拝ができるような位置関係に改善がなされ、また、観山亭においても、教祖記念館的な過去の建物という所から、明主様が実際にそこで生活をされながら、三大事業を中心に救済と建設のご神業を進められたいわば私達の活動の原点として、また、明主様からお力を頂く中心的な所としての霊的意義が明確になってきました。

〔ご神体について〕

[秀明] 現在の東方之光のご神体はどのようになっていますか?

[東方] 明主様ご直筆の「大光明」の御書と明主様ご尊影の二位一体をもって、ご神体として、礼拝をさせて頂いております。

[秀明] 以前の「大光明真神」は、今振り返って考えると間違いであったと考えますか?

[東方] それは、明主様のご経綸上、必要があって、ある時期までは、二代様がお書きになった「大光明真神」が、ご神体として、許されたのだと思いますし、明主様の直接ではなく、間接的な働きであったと受けとめています。

[秀明] 東方之光の「大光明」のご神体による奇跡の話しを聞かせて下さい。

[東方] たくさんありますが、顕著な奇跡としましては、阪神大震災で、家中のたんす、冷蔵庫が倒れる中で、ご神体さらにその前に置いてあった花瓶が微動だにしないで、そのままになっていたというような奇跡が至る所でありました。最近、地元では、東方之光のメンバー宅に隣接する民家が火災を起こして、全焼したのですが、そのメンバー宅は軒先が多少焦げる程度で類焼を免れました。そして、また、そのメンバー宅は消防車の水をかなりかぶったのですが、その部屋にかかっていたご神体や扁額(明主様ご直筆)の上には、水がたれてこず、さらに、倒れていた明主様色紙の周囲は水びたしになっていたのに、その色紙そのものは、濡れずにいたということもありました。

〔祖霊祭祀について〕

[秀明] 紫微宮(東方之光の祖霊祭祀のための建築物)の意義及び祖霊舎との相違点をお伺いします。

[東方] 神幽現の三界の実相を説く明主様のみ教えにかなった祖霊観の転換が図られ、そして、最奥天国の雛形である紫微宮が設置されることとなりました。紫微宮の建物そのものは、祖霊舎と同じ場所にありますが、中身は全く新しくなったということです。それによって、神界・幽界・現界が明主様を中心に結ばれて、明主様の経綸に参画する位置が開かれたというふうに受けとめています。ですので、神界に救われた祖霊が、明主様の救済と建設のご経綸に許されていく、そのための力を許されることになったと思います。 また、以前の祖霊舎では、二代様がお書きになられた「大光明真神」がご奉斎されていましたが、現在の紫微宮には、明主様ご直筆の「光明」がご奉斎されています。祭式のあり方も、大本教的色彩の強い以前のあり方から、明主様のみ教えにのっとった、東方之光方式といってもいいあり方に改められています。

〔祭事変更について〕

[秀明] その他に祭事は、四代様推戴後、どのように変更されましたか?

[東方] 今も、なお、変更は続けられていますが、明主様のご神格にふさわしく、また、明主様の超宗教的救いにふさわしい形に変更されていますし、明主様の進み行くご経綸を踏まえ、ご神意を伺いつつ、変更が進められております。 また、明主様のご論文である「文明の創造」というものがあります。それは、「科学編」、「宗教編」、「天国編」という構成に分けられていますが、今は、「科学編」の段階として、ご経綸が進められているという受けとめをしております。また、浄霊についても、MOAとして、岡田式浄化療法というあり方で、進められています。

[秀明] 二代様が大本教から一時的に導入した祭式を改めたという理解でよろしいでしょうか?

[東方] そのように聞いております。

〔瑞泉郷構想について〕

[秀明] 瑞泉郷構想についてお伺いします。

[東方] 瑞泉郷構想は、もともと、明主様が21世紀の都市構想として、お示しになられたもので、健康作りの雛形とでもいうべきものです。この柱は、療院事業、農園事業、花園事業という明主様の三大事業をもって、人々の健康と幸せに貢献し、それを、社会に拡大していくための雛形として、実際に明主様ご自身が手掛けられた熱海の瑞泉郷構想を基に、現在、各地に、建設が進められているものです。

〔分院について〕

[秀明] 分院とからめて、現在の布教方法をお伺いします。

[東方] MOA憲章によると、「分院とは、岡田茂吉師が定めた分院の条件をみたした会員家庭で、療院のもとにあって、岡田式浄化療法を中心に三大事業をにない、雛形の建設と拡大に率先して努める真文明建設の要の機関である」となっています。(岡田式浄化療法とは、MOAの浄霊法の名称です。)分かりやすく言うと、分院とは、明主様のご構想の実現に努める機関であり、より具体的には、明主様の示された岡田式浄化療法を中心とする三大事業を実践し、救済と建設を担っていく機関であるという位置づけになっていると思います。また、このことを明主様ご在世中のご事跡に求めると、応神堂を岡田式神霊指圧療法の本院とし、大森の松風荘を分院とされた明主様のご事跡に基づいて、今、進められております。東方之光の活動とMOAの活動が違和感なく交わって実践される所が、分院であるとも言えます。

[秀明] 東方之光とMOAとの関係はどのように理解すればよいのでしょうか?

[東方] 分かりやすく言うと、東方之光が霊で、MOAが体という霊体の関係と言えるのではないでしょうか。

[秀明] そうしますと、分院というのは、東方之光の定めたご神体をご奉斎している一方で、MOAの定めた岡田式浄化療法を実践しているという点からも、交わった活動をしていると言ってもいいですね。

[東方] よろしいと思います。

〔世界布教について〕

[秀明] 東方之光の世界布教の状況をお伺いします。

[東方] 布教という言葉は今、使いませんが、明主様がお進めになる世界経綸そのものを担っていくという位置づけでやっております。具体的には、先程、申し上げました瑞泉郷を世界各地に建設しておりますが、その瑞泉郷の建設と併せて、今、タイ、メキシコ、ペルーの国で、その国の厚生省、文部省等の行政機関が認めた生命科学芸術学院という教育機関を設置しています。その中で、国が認可した三大事業として、人材の育成を図り、これにより、明主様の思想、哲学の実践者の拡大を図っています。ハワイでも、瑞泉郷が6つの島に建設され、ハワイ州あげてMOAと一体となって、三大事業が進められておりますが、間もなく、ハワイにも、生命科学芸術学院が誕生すると聞いております。日本とアメリカが、経緯結ばれて、初めて、世界が救われると明主様の教えがあります。そのためには、まず、飛び石としてのハワイに、そういった礎が築かれなければならないという教えに基づいて、ハワイにそういったことが進められていて、それが、今、ロスアンゼルス、東海岸へと拡大しつつあるところです。

〔地上天国実現について〕

[秀明] 将来、どういった形で、地上天国が実現されると思われますか?

[東方] これはやはり、昭和10年、明主様が世界を救うために大日本観音会を発会させた時に、すでに、明主様は天国建設に至るご計画を発表されています。まず、世界の最小単位である個と家を雛形として定められて、その個と家を心身ともに救い、完成させることによって、その型が順次拡大をして、そして、社会・国家・世界というふうに、天国世界が拡大し、建設されていくというふうに説かれています。そのように導いていく力は何かというと、明主様の三大事業ですね。岡田式浄化療法、美術文化、自然農法、自然食という、それを社会、人間生活に定着させることによって、そこに働かれる明主様の救いの力によって、それが間違いなく実現していくという。それは、今の私達の瑞泉郷構想、療院構想、分院構想の中で、それは日々実感していることで、間違いなく、地上天国は実現すると今は信じています。

〔最後に〕

[秀明] 最後に、秀明会の信者さんに、メッセージをお願いします。

[東方] 同じ明主様を信奉する仲間同士として、共に、手を取り合って、地上天国建設のために、頑張れたらいいなと思います。

[秀明] 今日は、大変、長い時間、ありがとうございました。

〔感想〕 

以上が、今回の取材の内容です。秀明会現役信者である私の感想としましては、東方之光の信者さんが、自分たちの過去の間違いを素直に認め、冷静に分析している点に、東方之光の信者さんの真摯な信仰姿勢を感じました。また、東方之光の現在の活動がすべて明主様のみ教え、ご事跡をもとに、設定されている点に、東方之光の団体としての明主様信仰の姿勢、具体的には、明主様のみを見つめる信仰、明主様と信者との間に何者も介在しない純粋な信仰を感じとりました。秀明会信者として、羨ましいと正直、思いました。皆さんは、この取材の内容を御覧になられ、一体、どのようなご感想をお持ちになられたでしょうか? そして、秀明会の現在の活動内容と比較して、どのような相違点を感じられましたか?

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