大自在天と乙姫と観音様

大自在天と観音様、そして乙姫尊の関係を示したみ教えを紹介します。

(※)部外者の方へ。ここは世界救世教教祖、岡田茂吉の、非常に独創性あふれる説を紹介しているページです。大自在天や観世音菩薩に関する歴史的、伝統仏教的考察は、このページにはありませんのでご了承下さい。


御講話 (S25.8.1)

 伊都能売大神(いづのめのおおかみ)は日本を脱出せられ、印度へ渡られ、観自在となられた。印度の自在天の世を観てる事である。

日蓮宗の曼荼羅にあるが、自在天は悪魔に騙され、最初は良かったが、インドは段々悪くなった。その邪神が大六天の魔王で、一名帝釈天という。帝釈天は邪神の顔をしている。

チャート!
伊都能売大神という神様が
インドに渡り
「観自在菩薩」と呼ばれた。
大自在天の世を
客観視していたからである。

  伊都能売神 (S27)

 前項に述べた処は、大自在天なる言わば婆羅門宗旺んであった頃の、主宰者を表わしたのであるが、其の当時曩に述べた如く、日本古来の神々は印度へ渡航し、化身仏となられたので、其の化身仏の総領が伊都能売神であって、当時日本に於ける最高の地位であられたのである。

処が其の頃素盞鳴尊を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売神の地位を狙って犯そうとしたが、容易に応諾されない為威圧や迫害等から進んで、遂に生命に迄も及んで来たので、急遽御位を棄てられ、変身によって眼を外らし、窃かに日本を脱出し、支那を通って印度へ落ち延び給うたのである。

そうして観自在菩薩の御名によって、当時印度の南方海岸にある補陀洛という名の、余り高からざる山の上に安住せらるべく、新たなる清き館を建てられた。此の事は華厳経の中にある。曰く『観自在菩薩は補陀洛山上柔らかき草地の上に金剛精座を出来、二十八部衆を随え結跏趺坐して説教をされた云々』とある。

当時まだ善財童子という御名であった若き釈尊は、此の説教を聴聞して、其の卓抜せる教えに感激すると共に心機一転してそれ迄の悉達太子という皇太子の御位を放棄し、一大決意の下に、当時紊れていた俗界を離脱し、直ちに檀特の山深く別け入り、菩提樹(一名橄欖樹)の下石上に安坐し一意専心悟道に入るべく、修行三昧に耽ったのである。此の修行の期間に就いて、諸説紛々としているが、私は七ヶ年と示された。

(中略)

又今一つは観世音の御姿である。其の最も特異の点は、漆黒の素直な頭髪で、之は日本人特有のものである。それに引換え釈迦、阿弥陀は全然異った赭色、縮毛であるにみても、両如来が印度人であった事は明らかである。又観世音の王冠や首飾り等も、高貴な地位を物語っており、頭巾を被られているのは御忍びの姿である。

(中略)

 そうして観自在菩薩は、終りには観世音菩薩と御名を変えられたのである。

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「観自在菩薩」は釈迦に仏教の
基本を教えた。
その後、観世音菩薩と
名を変えた。

仏教の起源 (S27)

 婆羅門の行者達は、何故それ程の難行苦行をするかというに、之に就いては其の頃多くの求道者達は、競って宇宙の真理を知ろうとして、其の方法を難行苦行に求めたのである。恰度今日学問の修業によって、博士号や、名誉、地位を得ようとするようなものであろう。

そうして達磨に就いての今一つの面白い話は、彼は面壁九年目の或夜、フト満月を仰ぎ見た時、月光が胸の奥深く照らすと思う一刹那、豁然として大悟徹底したので、其の喜びは絶頂に達したという事で、それからの達磨は、見真実の如くに如何なる難問にも明答を与え、当時抜群の行者として多くの者の尊信を集めたという伝説がある。

 そうして当時の印度に於いては、日本でいう天照大御神と同様、人民の最も畏敬の中心となっていたのは、彼の大自在天神であった。其の外大広目天、帝釈天等々、色々な御名があるが、之は日蓮宗の曼陀羅に大体出ているから見れば分るが、兎に角バラモン教が圧倒的に社会を風靡していた事は間違いない。

処が其の頃突如として現れたのが、言う迄もなく釈迦牟尼如来であった。此の経緯は後にかくが兎も角皇太子であられた悉達太子が、修業終わって大覚者となり出山したのである。太子は幽現界の真相を会得し、燃ゆるが如き大慈悲心を以て、一切衆生を済度せんとする本願を立てた。そうして其の手段として先ず天下に開示されたのが、経文を読む事によって覚りを得るという方法で、之を大衆に向かって大いに説諭されたのだから当時の社会に一大センセーションを捲き起こしたのは勿論である。

何しろ当時婆羅門式難行苦行を、唯一無二のものとしていた事とて、喜んだのも無理はない。何しろ之に代わるべきものとしての読経という安易な修行であるから、茲に大衆は釈尊の徳を慕い、日に月に仏門に帰依する者続出するので、遂に釈尊をして印度の救世主の如く信奉の的となったのは無理もない。其の様な訳で、遂に全印度を仏法化して了ったので、之が仏教の起源である。

それからの印度は、さしものバラモンの勢力も、漸次萎靡不振となったのは勿論であるが、といって全然消滅した訳でなく、今日も一部には尚残っており、同宗行者は、仲々の奇蹟を現わしているという事で、英国の学者中にも、研究の為印度に渡り熱心に研究する者もあるとみえ、私は先年其の記録を読んだ事があるが、素晴らしい奇蹟の数々が掲載されていた事を今でも憶えている。

チャート!
釈迦は観自在菩薩の教導
により仏教を初め、
大自在天が主催するバラモンの
「難行苦行を唯一の物とする」
夜の時代、地獄の世を救った。

すなわち大自在天とは夜の時代、
しかも釈迦の救いの前の
夜の世界の主催者である。

難行苦行 (S24.1.25)

信仰と難行苦行とは密接な関係があるように、昔から一般人に思われているが、元来難行苦行は古代インドのバラモン教が起源で、釈尊出現以前のインドは、ほとんどバラモン信仰がインド人の大半を占めていたということである。

かの達磨の面壁九年の苦行もそれであるし、また羅漢とは苦行の修業をしたときの行者の姿であって、その苦行たるや、羅漢の絵や彫刻にあるごとく片手に物を捧げたり、木の股に座したり、はなはだしきは板の裏から何本もの釘を打ち込み裏返してその上に座禅を組むので、臀部はその何本もの釘に刺され、非常な痛苦のもとに一年二年または数年に及ぶ者さえあるそうで、それらの痛苦を我慢することによって悟りを得る、すなわち覚者たり得るというのである。

かの達磨が苦行のある夜満月を仰ぎみている際、月光が胸中を明々白々照らすと思う瞬間、豁然として真理を悟り得たということは有名な話である。なにしろ九年も座禅をしていたので足は萎え起つ能わざるに至ったのが達磨に足がないという伝説となったものであろう。

今日もインドにおいてはバラモン行者が相当いるそうで、なかなかの奇蹟を表すとの話である。故タゴール翁が常に行ったという森林の冥想や、ガンジー翁が再々行った断食等もバラモン行の一種であろう。かの釈尊出現の当時盛んに行われていたバラモン式苦行の、あまりに悲惨なるに憐憫の情禁じ兼ねた釈尊は、苦行をせずとも、経文を読むことによって覚者たりうるということを教えたので、当時のインド民衆はその功徳に感激し、釈尊を讃仰の的とするようになったということである。

この意味において仏者が難行苦行をするということ、それは釈尊の恩恵に叛くというわけになろう。

日本においても未だ相当バラモン式苦行を行う行者や宗教家もあるようであるが、私はあまり賛成できないのである。というのはわが救世教の信徒が別段難行をせずとも覚者となり、正しき道を履み、天職使命を実践するようになりうるからである。

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難行苦行はダメ!

観世音菩薩 (S26.9.23)

伊邪那岐尊は、最初伊都能売尊に日本を統治させ次いで天照天皇次いで天照皇后の順序にされたのであるが、素盞鳴尊には最初から朝鮮を統治させたのである。そうして素尊の妻神とされたのが、勿論朝鮮で出生された姫神であって、此の姫神が弟の妻神となった、言わば弟姫であるから、之を詰めて音(乙)姫と呼ばれたのであるが、昔から乙米姫とも言われたが、之は未婚の時に朝鮮名の中に、米の字が入っていたからであろう。

そうして音姫が朝鮮の女王格であった時代は、日本も中国も圧倒されてしまい、インド以東は朝鮮の勢力範囲といってもいいくらいであった。勿論それは素盞鳴尊が、一時飛ぶ鳥も落とすほどの勢いであったからでもあり、その上音姫という女神は男勝りの女傑であったからでもある。ちょうどそのころインドの経綸を終えた観自在菩薩は、帰国しようとして中国南部方面にまで来たところ、まだ日本は危険の空気を孕んでいることが分かったので、しばらくその地に滞在することとなったので、そのときからが観世音の御名となったのである。というわけはつまりインド滞在中は、自在天の世を客観していたので観自在といい、今度は音姫の世を静観することとなったので、観世音と名づけられたのである。すなわち観世音を逆に読めば音姫の世を観るという意味になる。

妙智の光 (S25.1.20)

【問】

 観音に就いて。

【答】

 観音とは、梵語でアホロキテシュバラ(avolokitesvora)という。それを支那の鳩摩羅什という学者が観世音と訳し縮めて観音といったのである。

又観世音の三字を解釈すると面白い、観は客観とか観察するという意、古い時代、龍宮の音姫様に押し込められたその時から、音姫の支配する世を観てるというのが本当の意味で、菩薩の本体である伊都能売の神は素盞鳴尊の為に危ない目に遭われたので、印度へ逃避されたその後は素盞鳴尊が日本を統治された。

素盞鳴尊は天照大神の弟神であるから、その妻神は弟の姫というので弟姫といった、それをつめて乙姫といい、又音米姫ともいった。

乙姫様は物質欲が強い神様で、物欲の執着の為龍神となられ、海底に長い間潜まれていた。印度の古代に大自在天が天下を支配したのも乙姫の援助による。その時代観世音の別名観自在の名がそれである。

乙姫は朝鮮の或る海岸に龍宮城を造った。それで龍宮の乙姫といったのである。

龍宮城は女の家来ばかりであった。それは素盞鳴尊が日本へ来て稚姫君という、第二の妻をもたれたからで、その御留守中乙姫は空閨に堪えかねて、日本の青年漁師で、朝鮮に漂着した浦島太郎が美男だったので、先づ今でいう若い燕としたのであろう。この時代の男女関係は割合乱れていたようである。

観音講座 観世音の本体 (S10.8.5)

 音姫尊は素盞鳴尊の奥方であるが、是が乙姫の事である。天照大神様の妹(註:天照大神の弟、素盞鳴尊の妻の意)の為弟姫と言うたのを音姫又は乙姫と申されたのである。この神様は観音様と非常に関係のある神様である。

 音姫は非常に嫉妬深い神様で、遂に嫉妬の余り龍神となり海の底へ隠れられ、和田津海の神、大和田津海の神、海原姫命とも言うて海底へ龍宮城を造られたのであるが、是は霊界での事であって、海の王様となられたのである。

 音姫は非常に欲が深く、又非常に強かったから、世界の宝を集めて海に隠れたのである。宝と言っても霊的の事である。其の為地方にある鉱山が出なかったのである。その宝を以って天下の権を掌握しようとかかったが、女であるから駄目であった。致し方なくその時の支配者を援けたのである。

観音講座 神界の支配者 盤古神王 大自在天 (S10.8.5)

 此の神が金が必要の為龍宮の乙姫の宝を要する為に、乙姫から貰って来たのである。此の何千年末乙姫が実権者であったのである。上記の如く音姫の世を観ているというのが観世音であった。時期は約三千年で九千年六千年三千年となっている。

 国常立命が天照大神から命ぜられた時が九千年前である。音とは日即ち統一の形である。要するに「立(「りゅう」「たつ」)」即ち「龍(「りゅう」「たつ」)」が世界を統一するという字であるから、音姫が天下を統一している事になるのである。龍が天下を統一した時は暗となるのである。又闇である。ヤミの字には必ず音の字が附いているのを見てもよくわかる。字は皆意味があって出来ているのである。

 音姫の統一した間を「暗の世」と言う。乙姫ともかくのであって、此の乙姫の姿は黒龍である。黒龍は悪龍である。

(中略)

 暗黒無明の世であると言う事は音姫(乙姫)の世であるという事である。観世音とは乙姫が世を支配している間の御名であるから、今後余り長い間使用する様なことはない。乙姫が神様に世を譲れば観世音とは言われなくなるのである。この意味に於いても遠からず観音会も会名の変る時が来ることが悟られるのである。又一名観自在天とも言い、印度では要するに観自在天なのである。

 印度は「大自在天」が最高の神であるから、此の自在天の世を観ているという意味になるのである。日本では観世音である。是は前述の音姫の世を見ているのである。

チャート!
観自在菩薩(伊都能売神)は
釈迦の教導を含めた
印度での経綸を終え、
朝鮮に渡られた。

そのときの朝鮮の支配者が
乙姫(音姫)であり、
今度は音姫の闇の世を
客観視するから
「観世音菩薩」と
名乗った。

古い時代、伊都能売大神は
乙姫に押し込められたので、
観世音菩薩と顕現した。


観世音菩薩の御本体は
伊都能売大神である。

大自在天が伊都能売大神を
仮の姿である観自在菩薩に
したのと同様、
乙姫が伊都能売大神を
仮の姿である観世音菩薩にした。


明主様の御経綸において
観世音菩薩はご本体である
伊都能売大神に戻る。

乙姫は
素盞鳴尊の妻神であり
力強い龍神であり
物質に強い執着を持ち
世界の宝を独占した
闇の世の支配者である。

神慈秀明会の人へ:昭和52年5月 会主様御講話


御垂示 (S23.2.28)

 日蓮の曼陀羅にも大自在天がある。天照大神は下の方に小さく書いてある。ここにもいろいろ意味がある。伊都能売大神はネ、日本に居られた時迫害をうけてお逃げになった。その時姿をかくすため頭巾をかぶり身を包んだ、そのお姿が絵に書いてある。古事記には世を浄める神と出ている。で、日本を脱出して支那から印度に渡り庵を作り観自在天となられた。観音様は日本人ですよ。だから釈迦や阿弥陀は頭の毛が縮れているが、観音様は縮れてないんです。何故逃げたかと云うと、それは素盞鳴尊に命をとられ様としたからです。素盞鳴尊の奥さんは乙姫、又弟姫、オトヨの姫とも云う。素盞鳴尊は朝鮮のソシモリ山・・古事記にありますが・・に下り、日本へ来て実権を握った。之が出雲朝の始めです。

(中略)

観音とは、乙姫・・音姫を観ている事を意味する。そして何れは日本に帰り、素盞鳴尊の実権を取り返そうとする時期を待って居られた。千手観音がそれです。今迄は乙姫が財宝を握っていた。神様の話は虚々実々だがマンザラ作り話でもないんです。乙姫は物質に執着して竜になり、丹後の竜宮海という海に沈んだ。時期が来ると三寒三熱の苦しみにあい、逐には国常立尊にお詫びする様になる。

御垂示 (S26.3.25)

桃の実はこれもなかなか神秘がある物で、昔からの言い伝えに、西王母の園に三千年目に一つ成るという桃の実で非常に尊いものとなされている。その桃の実の力によって、結構な世の中が出来るというのである。謡曲の西王母には、桃の実を君に献上するとあるが、この君とは伊邪諾伊邪冊の神様のことである。また桃太郎もこのことで鬼ヶ島征伐とは、邪神を退治することで、宝物とは龍宮の乙姫様がもっていた宝である。

御垂示 (S23.7.18)

【問】

 桃太郎の鬼征伐について。

【答】

鬼が島征伐は今もやってます。
今迄乙姫がもっていた素晴らしい宝物がその中私の手に入るのですが、
今は一寸発表出来ない。

チャート!
乙姫という神様を知ることは
現代を知る上でも、
観音様のご経綸を知る上でも、
有意義です

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