「なんじゃこりゃ」須玉美術館!

神慈秀明会の信者さんが、山梨の須玉美術館の「岡田茂吉展」に拝観に行った感想を送ってくださいましたので掲載します。なお、「なんじゃこりゃ!」というのは、「感動した」という意味ですので誤解のないように。

「なんじゃこりゃ」須玉美術館!

(秀研)を見て、自分の目で見るまでは信用出来ないと早速須玉美術館にいきました(2002年12月)。

MIHO美術館に比べて小さい建物だった。まずは一階から回るようになっていて、御書体や観音様などがところ狭しと展示されている。

おもわず手を合わさなくてもいいのか・・・と思いつつ回った。雲上観世音菩薩は本当に素晴らしい!!美しいバランス優雅な御顔立ちに感動!!

少し歩くと「なっ、なんと、真神の御書体が・・・」しかもこんなに大きく迫力のある御文字!真神=狼 四足を拝んでいると教えられたのは「嘘」だったのか?会主様は明主様のお書きになったものを知らないのか?会主様は明主様の一番弟子だろ!愕然。明主様を冒涜しているんじゃないか?

心が動揺して二階に、またあった・・「散花結実」の御書体。なんだこういうご書体はいろんな人達が頂いたんだ。離脱の神秘って想い込みなのかも・・・・・・

その後も御手形や御歌など見せていただきました。明主様がお庭をお手入れされている連続写真は感動!販売コーナーは旭ダイヤ時代のイミテーションブローチ、明主様のデザインが手に入るのは嬉しい。でもここは救世教じゃないのにどうなっているんだろう?と疑問を持ちました。

明主様の御文字の墨から強力なる光を頂きました。みなさんも絶対自分の足で目で本物を見て感じてください。

自分もこれからは上から教えられるだけでなく真実かどうか?確認していくつもりです。まずは図書館に行き、岡田茂吉全集を読むつもりです。こういうものを是非秀明会に紹介してほしいものだ。

目から鱗がおちた信者より

須玉美術館「岡田茂吉展」について

(写真は救いの光教団、神成郷 入り口)

須玉美術館は、離脱教団である「救いの光教団」の本部神苑である、「神成郷」に建つ美術館です。「救いの光教団」の前身は「大成会」といい、澁井先生の「みろく会」、中島先生の「天国会」と並ぶ大きな会派でした。そのため会長の大沼先生は明主様からたくさんの御書体を頂いておられ、昨年2002年は明主様ご生誕120年を記念して、所蔵の御書体をすべて公開する「岡田茂吉展」が開催されたのでした。

(写真は神成郷内 須玉美術館)

「眼から鱗が落ちた信者」さんは、ここでの御書体の多さに驚かれたそうです。秀明会で大事に展示する持経観音様や、会主様が欲しがっておられた玉持観音様もこの美術館で拝することが出来ました。

(写真は神成郷 本殿(光明殿))

こちらの先生方とお話しさせて頂きましたが、みなさんみ教え通りの「普通人」で、私たちを暖かく迎えてくださいました。自然で、気取ったり偉く見せようとしたりすることのないその姿勢に感心し、信仰とはこうありたいものだ、と思いました。とても居心地のよい、すばらしいところでした。

一番弟子?直弟子?

「目から鱗がおちた信者」さんによると、「会主様は明主様の一番弟子(一番すばらしい弟子)」であると、支部の勉強会で何度も何度も教えられていたそうです。しかし、明主様が「真神」のお文字を書かれたことをご存じないことや、観音様 に手を加えてしまうことを考えると、とても「一番の弟子」とは思えません。もちろん、そのような明主様のお言葉はありません。

また、会主様を明主様の「直弟子」という人がいますが、会主様は「直弟子」ではありません。川上吉子先生の弟子であり、川上吉子先生が明主様の『直弟子』であるから、会主様は明主様の孫弟子といったところです。すなわち会主様は明主様の「直弟子」ではありません。

(ある掲示板で、「川上先生が追放になったから会主様は繰り上げで直弟子になった」という愉快な事を言っている人がいて、思わず笑ってしまいましたが。)

そもそも古い秀明紙をみても、会主様ご自身が「直弟子」などと仰ったようには読みとれません。

では誰が初めにそのようなことを仰ったのでしょうか。探したら見つかりました。飛天「神慈秀明会の誇り」の一番最初のページ(P35)です。

(一) 教租明主様は神界から、至誠の入であり最高の信仰者であるみ弟子会主様を選びたもうた。

法の華散りて結びし一つ実は聖観音の身魂なるらむ

とのお歌は昭和二十三年会主様が明主様のご神筆のお軸を拝受されたのですが、その当時の状態をちょっと説明いたします。終戦後の新しい憲法によって信教の自由が認められ、昭和二十三年それまでの治療行為から宗教として脱皮し教団が形造られました。そのとき直弟子である会主様は規則によってやむなく”みろく会”に所属し、教団組織に入られたのです。

岡田三栄子先生からして間違っておられたのですから、神慈秀明会の中で間違った知識が横行してしまうのは仕方がないことでしょう。しかしもはや現代においては、誤った知識は正していかなくてはいけません。一番弟子という話も、「会主様はすごい」→「直弟子だ」→「一番弟子だ」と、想像が飛躍していった結果なのだと思います。

ところで直弟子といえば、当時を知る方の証言によると、「救いの光教団」の前身である「大成会」は、「明主様と霊的に直結な教団」という位置づけとして生まれたということです。会長の大沼氏はもともと五六七会系でしたが、明主様から信頼をおかれていたそうで、独立して大成会の名でやるようにとのご指示を頂かれ、明主様と直系の会派という位置づけを頂かれました。

秀明の人は会主様だけが偉い先生のように思いますが、このようにすばらしいお言葉を頂いている先生が他にもたくさんおられるのです。

散花結実の御書体

これは明主様が静岡事件(投獄され、獄中で神人合一になられた神秘の事件)釈放後、縦500体、横500体の「散花結実」の御書を書かれ、信者さんに御下付されたそうです。

みなさんもインターフェイス活動を

今回、須玉美術館訪問レポートをお送りくださった「目から鱗がおちた信者」さんは、大変大きな学びをされたと思います。みなさんもぜひいろいろなところに訪問し、明主様のお書きになったものやお作りになったもの、ご自分の教団以外の信者さんのあり方などに触れてみて、信仰の糧となさることをお勧めします。

参考リンク

救いの光教団

須玉美術館

[戻る]