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おひかりと家庭用ご神体について

おひかりと家庭用ご神体を撮影する

「お屏風観音様」を移籍信者さんからお借りしたとき、同様に不要になった「家庭用ご神体」と「おひかり」「光明」もお借りしました。

この移籍者の方は救世教でおひかりを拝受した後、明主様の「古いおひかりは額にしたらよい」というお言葉どおり、額に入れて御書として飾らせて頂こうと、「御霊抜き」のご挨拶を行いおひかりを開かれたのです。また、ご神体も拝受されたので、家庭用の「光明」も「御霊抜き」をしてありました。今回は開封済みの「おひかり(光)」「おひかり(光明)」「家庭用ご神体(光明)」を借り受け、写真撮影を行いました。

信仰的解説

くどいですが、ここで「おひかりやご神体をテーブルの上に並べて撮影なんて不信仰なことをしてよいのか?」というご疑問にお答えしておきます。この家庭用ご神体やおひかりも、秀明会から救世教への移籍者が、不要になったので提供してくださった物です。持ち主が新しいものを拝受し直したため、どちらも「ご処置」という処理を待つものです(秀明でいうご焼却)。ご処置の前に「御霊抜き」のご礼拝をし、神霊様に抜け出て頂 いているため、残ったおひかりやご神体は、いままでの礼拝対象としてのお取り扱いではなく、秀明で言うとだいたい「聖教書」と同じくらいのお取り扱いで許されるようになります。

家庭用ご神体

おひかり

持ち主はせっかくお額にしようと思ったのに、おひかりを開けてみたところ予想以上に小さく、これでは写真立てにしか入らないということで、あきらめたそうです。

ご神体の光明とおひかりの光明は同じ物

家庭用ご神体の「光明」、とおひかりの「光明」を並べてみてわかった事があります。驚いた事に、それら二つは同じ文字であるという事です。つまり、どちらかがどちらかの拡大または縮小コピーなのです。

写真:「明」の比較  と  おひかりの光明  (画面で並べるか、印刷するかでご確認ください。)

左がおひかりの「光明」の「明」、右が家庭用ご神体の「光明」の「明」です。線のはらい、かすれ、すべてが「同じ」であることがおわかりだと思います。


左がおひかり、右がご神体です。



おひかりの「光」とおひかりの光明の「光」も同じ物

よく見ると、

家庭用ご神体の「光」とおひかりの光明の「光」は、同じ

であるばかりではなく、

おひかりの「光」も、それらの「光明」の「光」と同じ文字だったことがわかりました。


左がおひかりの「光明」の「光」、右が家庭用ご神体の「光」 これは同じですね。(写真をクリックすると大きな画像が表示されます。)


そして、これが「おひかりの「光」です。(クリックすると大きな画像が表示されます。)


秀明会では「光と明を切り貼り」してご神体やおひかりの光明を作ったか、「光明のお文字を半分に切断」して、おひかりの「光」を作ったかのいずれかをおこなったということになります。

結論

このページでは、こういう切り取り、おひかりご神体兼用、拡大縮小行為が信仰的にどうなのとか、これでおひかりが出るのかとか、そういうことを考える事が目的ではありません。ここで伝えたい事は、神慈秀明会のもつ信仰的感覚、常識についてです。

このページの解説より、神慈秀明会というのは、

などが平気な感覚である事がわかります。これについて良いとも悪いとも言及するつもりもありませんが、この感覚をもった教団であるならば、本部や支部用の「御真筆」と称しているご神体が、実は別々の文字の切り貼りであったり、教師用のおひかり「大光明」を拡大コピーしたものを使用していたとしても、さもありなんと言えるでしょう。

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