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明主様と二代様(1)

岩松部長講座から学ぶ

昭和30年2月7日

昭和30年2月7日その日、ご浄化されていた明主様に、猛烈な発作が起こって、予定であった瑞雲郷の視察に行くことはできませんでした。熱海にお帰りになってたった一日だけ台風で視察に行くことが出来なかったけれども、ご自身の都合で取り止められたのは、この2月7日一日だけです。そして翌2月8日、今日は気分がいいからと仰って、周囲の者誰もが、「明主様今日はおやめになった方がいいんじゃないですか」というのを押し切って明主様は瑞雲郷の視察に行かれました。

藤壷

そしてこの日、明主様のところに藤壷が届きます。五島慶太さんとの間で、宝山荘を巡って昭和13年から営々として係争事件があった。それを明主様はやはり自分の死を予感してでしょうか、昭和29年、五島慶太さんとの間で示談をして、そして土地を譲る代わりにお金を頂いたんです。そして、そのお金で藤壷を購入したんですね。

ワカモトがあの藤壷を持っていたんですけども、なかなか値段の折り合いがつかなくて購入することが出来なかった。その前に紅白梅図屏風を購入するときに美術商の方が、明主様に、「向こうの方は、こういう風に仰ってる、明主様が提示された金額はこれだけ、つまりこれだけの差がある。明主様だったら、これぐらいのお金は何でもないでしょう?後これだけお出しになればあの紅白梅図屏風が購入出来るんだから、それぐらいお出しになったらどうですか」とこういう風に仰った時に、烈火の如く明主様はお怒りになった。『私は信者さんの浄財を使って御神業しているんだよ。信者さんの浄財を一銭たりとも無駄にすることはできない』。このように仰ったことがあります。藤壷を購入する時も、なかなか値段の折り合いがつかなかった。しかし、あの宝山荘を譲ることで藤壷を購入することが出来た。三千二百坪あったんですね。あの宝山荘、それを一壷に変えてしまったんです。そしてこのように立つ鳥後を濁さず、ちゃんと明主様はけじめをつけておかれたんです。

そしてその藤壷が本当は、2月10日以降に明主様のところに届けられる予定だったのが、相手の都合で2月8日に届きました。明主様は待望の藤壷が届けられて、それを手に取られて、飽かずに眺められます。そしてそれを枕元におかれてお休みになられます。

昭和30年2月10日

あけて2月9日、お昼を召し上がります。この日のお昼はカレーライスだったという一説がありますけれども、そしてお昼を召し上がった後、前日見てきた瑞雲郷のことについて、そして箱根美術館のことについて担当者に指図をされます。三時から視察に行かれるまでに、まだ時間があるからと仰って、明主様は、碧雲荘の応接間に入られて、そしてそこから見える今を盛りとさいている白梅の花をご覧になります。いろいろな思いが明主様の心の中をよぎったのではないでしょうか。

明治15年12月23日、橋場の四畳半、三畳二間の貧しい貧しい家に生まれて、そして、神様からいろいろな事を体験させられて、そして、人類救済の為に立ち上がり、そして歩んでこられたことが走馬燈のように巡ったでしょう。その明主様が、その白梅の花を見ている時に猛烈な発作に見まわれてその場に倒れてしまいます。ご奉仕の方がすぐに明主様を御寝所にお運びをします。しかし、次第次第に明主様の意識が混濁し、そしてあけて2月10日、午後3時33分、御歳73才にして明主様は神界に旅立たれます。

可能な限り人類を救いたい、そのように仰せになって困難な時代に立教され、度重なる苦難を受けて来られた明主様。その明主様は昭和25年には、部下が犯した仕事上のミスで5月29日に逮捕されて、厳しい厳しい取り調べを受けます。神人合一のためとはいえ、肉体的には過酷な状況に明主様は置かれます。戦前三度警察に逮捕され、拷問も受けられましたが、それ以上の厳しい取り調べだったと明主様は仰っています。その場に意識を失って倒れたことがあります。刑事さんの背中に背負われながら、頭脳の拷間だとつぶやいたそうです。この取り調べを受けた時、明主様は、66才という老齢です。どれだけ、明主様のお命を縮めたことでしょう。

そして明主様は100万体とも150万体とも言われるくらいの御光筆をお書きになっておられます。人を救う人を作ると仰って、人を救う為のお光を書いて下さった。文字は生きて働くと仰って御光筆をお書き下さった。考えようによっては、このことがどれだけ明主様のお命を縮めたことか。筋肉を神経を使うところに毒素は集溜すると仰っています。かつて明主様は病気の卸問屋と言われるくらいあらゆる病気を体験し、浴びるほど薬を飲まれ、お医者さんと親戚づきあいをしてきた。その薬毒というものが、筋肉を神経を使ったところに、集溜をする。明主様の背中は盛り上がっていたと三代様は仰ってますけれども、このことが私は、あの脳溢血のような症状の引き金になったんじゃないかなと、そのようにも思います。

ご浄化と御神業

御浄化に入られて5日目、人類の最後の様子を見せられて、何とか地上天国の雛形を作ることによって、一人でも多くの人を救いたいという思いから、明主様は命の最後の火を燃やして肉体の限界を超えて、聖地建設を急がれたんですね。もしあの御浄化に入られて、あの大峠の様を見せられなければ、そして静養されていれば、まだまだ長生きをされたと思います。明主様は、『私は90才になってからは菜食にします。まだ今は、いろんな事をしますから肉食をしますけれども、90才になったらば、菜食にします。人間の寿命は120才ですよ』。そのお言葉の背後には、120才まで生きますよというお考えが、多分あったと思います。しかし明主様は御浄化に入られて人類の最後の様子を見せられたんですよ。もうじっとしていることはできない。何とか一人でも多くの人を救いたいという思いが明主様をかりたてたんです。御昇天になられたそのお体はいつまでも暖かく、お顔はピンク色に輝いていました。

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写真は昭和26年春期大祭の奉納演芸を楽しまれる明主様、二代様、三代様。

明主様と二代様と三代様