明主様と二代様(2)

岩松部長講座から学ぶ

奥津城

2月17日現界での全ての経綸を成し遂げて明主様は二代様にバトンを渡され、突貫工事で三昼夜、信者さん方が、極寒の中を最後のご奉仕だということであの奥津城を造った。その完成した奥津城に神鎮まられたんです。明主様がお元気な時、読売新聞の科学部次長であった為郷恒淳さんがこのようにご質問になっています。「明主様が御昇天なったらお光はどうなりますか?」その時に明主様は、『神界からいくらでも出しますから、大丈夫ですよ。肉体がない以上もっと出しますよ』。そのように明主様は仰いました。そして明主様は神界にあって、無限に私達に光を送って下さっています。その明主様のお力を頂いて二代様が立ち上がります。

二代様

2月10日明主様が御昇天になったすぐあと役員会が開かれて明主様の奥様を二代教主にしようと役員一致で決まり二代様に報告をします。2月17日御昇天祭が行われたその一月後、世界救世教の理事長であった木原先生という方が、辞表を提出して自分の出身である九州の教会に帰って行かれます。二代様のやり方と自分のやり方が違うという理由から。その時には、木原先生は自分だけではなくて、先生の教会から来ている事務の方、又碧雲荘でお側の御用をしている方をすべて一緒に連れて帰ります。その為に事務に支障がきたし、諸々の弊害が、起きてきます。

しかし、二代様は毅然としてその困難を乗り越えて、3月30日二代教主推戴式を行います。二代様は、明主様がいらっしゃる時には、明主様の背後にあって、奥様業に専念し、又お稽古事だけをされていました。ですから奥様に二代教主がつとまるのだろうかという心配が幹部や教会長を始めとして、多くの人たちの中にはありました。しかし、その二代様が壇上に立たれ、そして大勢の来賓・信者さん方を前にして、堂々と挨拶をされます。「私は、明主様が御浄化に入られてから、明主様から修行させられました。そして後を託されました。明主様は全ての事を残して下さいました。その残されたものを元にして私がこれからやっていきます」と力強くお話されたのです。

二代様推戴式

(画像は二代様推戴式)

離脱の嵐

その挨拶を聞いて多くの方々は安堵の胸を撫で下ろしまずけれども、しかし、その一方で4月19日、木原先生は世界救世教から離脱をしていきます。そしてこの木原先生と姻戚関係のある大阪の栄光教会、ここも離脱をしていきます。このような教会の離脱というのはこれに止まりません。昭和31年4月7日、神奈川にあったふたつの教会が離脱をしていきます。さらに5月には京都にあった応神教会・また南光・帰一・如意輪という3つの教会が相次いで離脱をしていきます。この三つの教会が離脱をしたことによって、九州には一つの教会も無くなるという異常な事態になります。

昭和31年には信徒数は四万をも切ろうという窮状を迎えます。このような状況にあって二代様は昭和29年12月11日、あの水晶殿での明主様のお言葉、『いよいよ御神業の本筋に入ってきましたよ』というお言葉を受けて、「たとえ私一人になってもかまわない、神様と二人連れで、本筋の神業に生ききりたい」という風に仰って、本筋の信仰の立て替えをしていかれる訳です。神観の確立、浄霊観の確立、今まで治療浄霊であったものを祈りの浄霊とし、そして又、平和運動に他宗教との協力、又、今私達が日頃何気なくやっているほとんどがこの二代様によって確立されていくんです。

神殿

あの祖霊祭祀にしても、二代様によって確立されます。又天国の礎、あの題名も二代様によって決められます。そして又、青年会も二代様によって発会されます。そのように多くのことが、二代様によって確立されていきまずけれども、この本筋の信仰の最大眼目は、神殿建設だったんです。それはあの救世会館には神殿はなかったんです。

明主様は将来あの救世会館に神殿を建てようとされました。その構想はありましたけれども、あの救世会館を造った時には神殿は無く、神床しかなかったんです。それに対して二代様は仮の神床であれば、神の力も仮であって神殿が造られることによって、神本来の力が発揮され、救世教に与えられる使命は一段と大きく、御神徳も増します。その為に神殿を造りましょう。ということを31年の教会長会で発表されます。

しかし、多くの教会長たちは、それは無理でしょうという思いがあった、中には、二代様それはお止めになった方がいんじゃないですか。そういう風に進言する方もありました。というのは、その31年の教団の状況というのは、信徒数は四万を切り、そしてその5月にはやっと離脱問題がおさまったところです。しかしまだ各教会においては櫛の歯が欠けるように、ボロボロ信者さん達がやめていく、信仰を落としていく,教線は揖斐し、奉仕意欲は沈滞し、資金面も不足をしている。そういうことで昭和31年の12月には役員会で話し合われてるんですね。あまりにも教団は資金が不足しているから来年の職員の採用試験は止めよう。経費節減しよう。事務を簡素化しようなど、そういう話し合いがされていきます。それでも尚かつ、年を越すために150万足りない、それを我々役員が自腹を切って負担しようじゃないか、そういうことでやっとで年を超します.

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