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離脱の神意最大の謎(笑) ○○○○氏は実在する

(2003/11/01)

いままで本サイトでは、神慈秀明会だけを真剣に信仰しているならば絶対に会うことがないであろう人たちに会い、神慈秀明会の中だけに居たら決して得ることはないであろう情報を、数年間かけて集めてきました。その結果、秀明会の外では常識でありながら秀明会の中では全く知られていないこと、というのが実にいろいろとあることを知ったのですが、そんな情報の中でもっとも驚くべき内容が、今回紹介する事です。

それはいわば、神慈秀明会、離脱の神意最大の謎であり、秀明会関係の掲示板やホームページなどでも話題にあがる、ある霊能者の存在についてです。このページを読むと、なぜ秀明だけが紫に金のお屏風観音様なのか、なぜご神体が拡大コピーで切り貼りなのかといった謎が解明されるでしょう。

それではまず先に結論を書いてしまいます。こういうことが、神慈秀明会の外では常識として、昭和45年から現在に至るまで、当時を知る人たちの間で普通に知られていました。

会主様、命様は、霊能者 T・S氏という人物の霊界通信を明主様のお言葉と信じ、世界救世教からの離脱独立はT・S氏の指示の元に行いました。

これが離脱の神意 最大の謎です。秀明会幹部の中でも、T・S氏の存在を知っていたのは、おそらく会主様、命様と命様の秘書だった人くらいだと言われています。三栄子先生ですらT・S氏の存在を知っていたかどうかわかりません。

ところが、秀明会の中では超A級の秘密であるこの件も、他の独立教団の方や当時の救世教の先生方ですと割と知っている話(つまり当時の教団では有名だった話)だったのでした。秀明会から一歩出れば、あちこちで普通に話題にあがることで、結構なさけない「離脱最大の謎」だったのです(笑)。

そのため、このT・S氏の話は、様々な方から証言を頂いており、本サイトの調査の中でももっとも裏付けのとれた情報でした。いろいろな人に、「秀明会に関わる霊能者」の事を聞くと「ああ、知っている知っている」と答えるのです。これがあるから秀明会は、「救世教には近寄るな」と信者に指導したのですね。神慈秀明会の中だけにいると、明主様の御事ばかりではなく神慈秀明会自体のことも分からなかったということでした。とりあえずこのページでは、調査の結果わかったことを報告します。

離脱教団 A教団のこと

このT・S氏の話をする前に、ある離脱教団について紹介をしなくてはいけません。それを仮にA教団とします。

会主様、命様と、このA教団の前会長 A氏は、離脱前からとても仲の良い関係であったのです。どれほどの仲であったかは、次の証言をご参照ください。


実践で

命様御在世の頃、秀明会の駅デモか学内浄霊会で、A教団の信者が呼び止められ、そのときなにも知らない秀明会尖兵は、「秀明だけが正しいのだ。他はすべて邪神だ」と言い強烈なお勧めをしたところ、その話がA教団管長の耳に入り、A氏は怒って命様に文句を言ったそうです。するとその後、エリート会かなにかで「A教団は良い教団だから、ここには改宗を勧めなくて良い」と通達が出回ったそうです。




葬儀で

命様が亡くなった昭和59年、教団葬に参加するため、A教団の会長は本部神苑に参拝しました。そのときゲートで「離脱教団 A教団の管長 Aです」と名乗ったため、ゲートは「救世教が来た」と思いこみ、断固その方を入場させなかったそうです。しばらくの押し問答の末、会主様に話が通ったらしく、A教団の管長はようやく教団葬に参列が出来たそうです。

そして平成元年、A教団の管長A氏が亡くなったとき、葬儀の席に、だれひとりお供をつけず、会主様だけがぽつりと参列をしていたそうです。

そして、この仲の良い秀明教会とA教団は、同時にT・S氏の指示を仰ぎ、同時期に離脱をしました。そのため、A教団の中で教えられている信仰観と秀明の離脱の神意は非常に似ているところがあるのです(詳細は後述)。

今回のT・S氏の話は、このA教団のある先生を初めとして当時を知る様々な人たちから聞いた情報をもとにまとめられています。それらの人たちの間には互いに面識も、秀明で共通する利害関係もありません。すなわちこの事からもこれらの証言は限りなく真実に近いと判断出来ます。聖教書に書いてある言葉を借りると、「否定は不可能」のレベルに達していると思いました。

なお、A教団においてはT・S氏の存在は秘密ではなく、先日、機関誌(秀明会で言う「楽苑」、いづのめ教団で言う「季刊いづのめ」にあたる冊子。)にもその名前が(初めて)掲載されました。信者全員周知というわけではないですが、A教団においてT・S氏は「離脱を指示してくれた恩人」として一部の人に知られた方です。秀明会も、初めから離脱の経緯をA教団のように正直に言えば問題はなかったのですが、会主様命様は真実をありのまま伝えることよりも、離脱の神意などという独善的に作られた物語を信者に徹底的にひろめることのほうを選ばれたようです。

まあ本当はこの話も世間的に見ると「社長や政治家が、経営方針や政治の方向性を占い師に相談をしに行く」ことと同程度の、よくあることだったのかも知れません。しかし「離脱の神意」で会主様命様を必要以上に祭り上げてしまったため、世間的には大した問題ではないかも知れない本件も、「離脱の神意最大の謎(笑)」となってしまったのです。

現在、A教団の会長が亡くなり二代目になってからは神慈秀明会とA教団との交流は無くなりました。また、T・S氏は、昭和40年代後半に亡くなっているそうです。

本ページの情報ソースとなる証言者

・A教団の先生や信者

・救世教の先生や信者

・離脱前は秀明教会、離脱についていかず、現在は救世教の先生

・昭和40年代に退職された、元救世教の先生

・離脱当時に活躍した元秀明信者さん

・N氏(明主様のことを記した書籍「超●教」の筆者。秀明会でもA教団でもない別の教団の先生)

本サイトで知るだけでも、これだけの(お互いに面識も利害関係もない)方々が口をそろえて、秀明の離脱にはT・S氏という霊能者が居たと証言しています(もちろんこれらの方以外にも証言者は多数います。)。もともとT・S氏という方は、救世教の中でわりと有名な方であったのでした。

T・S氏とは?


プロフィール


本名 T・孫一郎 東京大学文学部支那哲学科卒業(ちなみに大石秀典氏は東大印度哲学科)。当時は東京都渋谷区に住んでいたそうです。この方と救世教とは、大石秀典先生の紹介で縁が結ばれました。つまりT・S氏は秀明教会だけではなく、救世教自体に発言力を持っておられた方でした。

(証言者:A教団会報)



霊能力

八大竜王の封印を解いた方だと言われています。霊界と現界を自由に行き来できる能力があったそうです。

(証言者:A教団の方)

T・S氏と救世教との関わり


T・S氏と大黒様

「救世教が大黒様をお祀りしなくなった」のはT・S氏の指示を救世教幹部が誤って理解したからだそうです。T・S氏は、「大黒様はご神前に堂々とお祀りするのではなく、少し陰に隠れた人目の付きにくい場所にご奉斎し、トップの人が隠れて一生懸命祈ることでより大きなお働きをしてくださる」ということを救世教幹部に大石秀典氏を通じて伝えたところ、救世教幹部が聞き間違えて、大黒様そのものをしまい込みお祀りしなくなってしまった。ということだそうです。

このことはA教団の会報で明らかにされました。ちなみに御在世当時は大黒様というのはご神前にご神体と並べてお祭りしてあったものです。また、一部の救世教の信徒に現在でも「大黒様は少し隠れたところで」と言う人がいるのは、このT・S氏の影響なのでしょう。

(証言者:A教団会報)





T・S氏を招いた教会

T・S氏は当時の救世教内で有名であり、多くの教会長がご指導を頂きに行ったり、招いたりしていたそうです。

名古屋のK教会というところも、T・S氏を好んで教会に招き、頻繁に講話をお願いしていました。ところがある日、送迎のためT・S氏を乗せた車が人身事故を起こしてしまい、教会長はその事故から「T・S氏のような霊能者にご指導を頂くのは間違いかもしれない」と思い直し、その後T・S氏を招くことは無くなったそうです。

(証言者:救世教の先生)

小山家とT・S氏の関係

会主様も命様も、このT・S氏という霊能者にはずいぶんと入れ込んでいたみたいです。


T・S氏と会主様

いまの会長先生(弘子先生)の結婚式の日取りを決めたのはT・S氏だと言われています。その日は救世教において、会主様のお立場ならば必ず出席しなくてはいけないであろう明主様に関する重大な行事があったのですが、T・S氏は「絶対にこの日でなくてはいけない」と主張したそうです。

そこで会主様は、その行事には出席せずに弘子先生の結婚式に出られたそうでした。「この行事」を「会主様が蹴った」というのは当時も今も考えられないことでしょう。これは当時の救世教の中でも有名な話だったようです。

(証言者:元救世教の先生)



T・S氏と弘子先生

弘子先生のご主人が事故で亡くなったとき、T・S氏は「このままでは天国に行けない。」ということで、どのような葬儀をしたらよいかの指導をされました。会主様はそれを忠実に守られ、そうすることで親子とも心の平安を取り戻したそうです。

(証言者:様々な方)



(どちらの話も、もう少し詳しい話をつかんでいますが、弘子先生のプライバシーに関わることでもあるので省略しています)

T・S氏と離脱の関係

T・S氏がどのように離脱に関わってきたかをお伝えします。T・S氏は明主様と「霊界通信」をし、会主様、命様にこれらの指示を行ってきたとのことです。


双子の教団

T・S氏が夢を見ました。それは荒野で多くの赤ん坊が泣いている中、明主様が立たれ、その中から二人の赤ん坊(一組の双子)を拾い上げ、助け出されたそうですが、それが秀明教会とA教団であったそうです。(だからA教団の一部の信者さんは秀明教会を双子の兄弟だと思っています。)

(証言者:A教団の方)



明主様ご復活

T・S氏は、「明主様は昭和45年3月をもって復活をされた」ということを指導したそうです。だからA教団の人も秀明と同様、昭和45年3月を「明主様復活」と認識しています。これは秀明だけの教学ではありませんでした。

(証言者:A教団の方)



離脱の因縁

秀明会とA教団が同時に離脱したのは、「源氏と平家」の因縁によるものだそうです。
秀明が源氏、A教団が平家。

(証言者:A教団の方)



教団名

「神慈秀明会」という教団名、そして「A教団」の教団名とも、T・S氏の指示の元に決めたそうです。秀明会のマークもT・S氏の指示が入っていると言われています。

(証言者:A教団の先生)


お墨付き

離脱前、A教団のある信者さんの肌着に墨がべったりとつくということがあり、そのことをA氏がT・S氏に問うたところ「それは独立のお墨付きを頂いたのだ」との回答があったそうです。

この「お墨付き」現象は秀明紙63号 (昭和50年6月号)にも掲載されています。

(証言者:A教団の方)



ご神体と御屏風観音様

本サイトが先日明確にした、謎のご神体御屏風観音様が出来た所以は、やはりT・S氏にありました。これは、A教団に修行に行ったN氏(超○教という本の作者。修業時代のこともこの本に書かれています)が、A氏の日記をこっそり読んだとき、載っていたそうです。そこには小山荘吉氏とA氏が一緒にT・S氏の指導をうけており、そこで、

「ご神体は大光明としなさい。(秀明教会、A教会ともに「大光明は持っていません」と答えた所、)持っていないならば作ったらいい。」

「御屏風観音様は、白地に黒か、紫に金かのいずれかがいい(といい、「白地に黒」と「紫に金」のサンプルまで作ってみせた。)

と指導されたことが書いてあったそうです。A教団では観音様は普通に白地に黒を採用し、ご神体も「大」と「光明」を合わせて制作しました(信者には周知済み)。しかし命様は派手好きだからか、紫に金を採用したところ、金の線で墨絵を再現する技術が存在せず、あのような模写(モシヤ)観音ができあがったのです。また、京都本部においてのご神床に対するご神体の大きさの比率についてもT・S氏の指示を参考にしたようです。

(証言者:N氏の側近だった元秀明信者の方。)
※N氏自身も随所でこの話を秀明信者にしていました。



救世教の没落?

本サイトでは、「T・S氏の直弟子」であり、いまはA教団の先生、という方に会いに行ったことがあります。このときは離脱の事ではなく、単にT・S氏という方がどのような方だったのかを聞きたかったために訪問したのですが、その先生は私たちを警戒し、T・S氏の話を全くしてくれませんでした。

しかしその中で、一つおもしろい会話がありました。先生は「救世教ではもう奇蹟が起きていないんだろう?」と聞くのです。そこで秀明からいづのめ教団に移籍した人たちが「とんでもない。たくさん起きています」と口をそろえて言ったところ、その先生はとても驚いていたのです。

秀明会でも言われていた「救世教では(明主様がおられないので)これから奇蹟が起きなくなる」というのは、もしかしたらこれもT・S氏の指導ではないか?後になって私たちはそう思いました。これは想像ですが十分考えられることです。


(本サイトの考察)



離脱

大沼総長、松本康嗣氏は、離脱通告直後の昭和45年3月4日、大阪グランドホテルで、「秀明教会が離脱した。裏にT・S氏が絡んでいるらしい」という打ち合わせを持ったそうです。救世教の方でも秀明会の離脱の奥にT・S氏がいることは先刻承知でした。

(証言者:救世教の先生)

また、昭和46年の青年大祭において「真の悪とは世界救世教である。」と御講話があり(秀明紙には掲載されていません)、このころを契機として世界救世教の信者に対して戸別訪問による積極的な「逆」布教活動が始まりました。当時の救世教はそういう秀明教会の活動にほとほと困り、元秀明教会の信者などを集めて対応を行ったそうです。

秀明会は救世教信者宅に戸別訪問をし、「救世教はこんなに悪い。朝日ジャーナルを読みましたか?日民同をご存じですか?」と救世教信者さんの不安を煽ってまわりました。その後、秀明から救世教に戻った方が不安な救世教信者さん宅に戸別訪問をし、「でも本当はこうなんですよ」とT・S氏の話などをしたのです。そうすると戸別訪問を受けた救世教信者さんは秀明会によって煽られた不安が解消され、次回の秀明会の戸別訪問を「みなさんごくろうさんなあ。わたしはいいですわ。」と丁寧にお断りするのです。

当時はこれのいたちごっこで、秀明会の救世教に対する「逆」布教活動はまったく成果がなかったとのことでした。

確かに当時の救世教にもいろいろと問題があったとはいえ、その問題を回避するもっとも正しい方法が、霊能者に起因する離脱教団に移籍することだとは、当時の救世教信者さんは考えなかったのでしょう。

秀明会サイドがどんなに救世教を批判して、説得を試みても、次の日に救世教サイドが来て話をすると態度がころっと変わってしまうという救世教信者さんの態度の豹変ぶりを、秀明会側では、救世教がいかにすさまじい邪気を持っているかという話として信者に説明しました。

このことが、「世界救世教は大変な邪気をもった恐ろしいところだ」という考えを信者に植え付け、世界救世教に接触させないようにする、現在のやりかたの原点となっているようです。


(証言者:当時の事情を知る、元秀明信者の方)

そうするともしかして・・・

以上のように、会主様、命様は、T・S氏の指示をもとに新しい教義を作り、新教団「神慈秀明会」を立教したのでした。こう考えると、神慈秀明会で伝えられてきたさまざまなアヤシイ噂も、つじつまが合ってきます。

「大丈夫、私は許されているのよ!」

ある、秀明会の幹部の先生が、離脱の時、会主様に「これから、おひかりのご入霊、ご神体や観音様の御入霊など、どうするおつもりですか?」と質問したところ、会主様は、「大丈夫、私は許されているのよ!」と毅然として答えられ、幹部の先生はそれ以上何も聞けなくなってしまったとのことでした。
おそらく「おひかり」「ご神体」「観音様」のご入霊の儀式を、しっかりと「T・S氏の霊界通信」より学んだ、ということなのでしょう。

「私は明主様から独立せよと言われた」

らしいですね。たしかに御在世当時明主様は「小山さんはそのうち離れていくよ」と仰ったそうですので、それを秀明流によく解釈すると「私は明主様から独立を許された」となるのでしょう。そして、後日そのようにあらためて「T・S氏の霊界通信」で教えられた可能性もあります。

「小山さんがパッと手をあげたら千人の人が一ぺんに救える時が来る」

これは昭和30年、明主様御帰天直前に言われたとされているのですが、明主様は御浄化のためにお言葉もおぼつかなく、ご面会も無くなっている時期であるため、本当にそれを会主様にお伝え出来た機会があったかどうかは疑問です。しかし後に「T・S氏の霊界通信」で伝えられた事ならば、つじつまが合います。

「明主様は会主様を二代教主に推戴するご意志があった」

明主様が亡くなる直前、「小山を呼べ」と仰られ、しかし悪辣な救世教幹部がそれを実行しなかった。あそこで会主様を呼んでいたら二代は会主様に決まっていただろうという無茶なうわさ話です。そのような話も、後に「T・S氏の霊界通信」で聞いたのかも知れません。

秀明会の幹部の先生から、離脱当時の話を聞くと、どうも会主様には離脱において意味不明の自信がおありだったそうです。

その自信に圧倒された幹部の先生は「そんな自信があるのはきっと明主様からいろいろと直接お聞きになっていたからだ」と勝手に思い込んでいたようですが、実際にはT・S氏の霊界通信に基づく自信だったと思われます(本当にそうだったかはわかりません。しかし、その可能性が、少なくとも明主様から特別にいろいろ聞いていた可能性よりも遙かに高いということです)。

結論

本サイトでは数年にわたる調査の結果、次のように確信しました。

以上がT・S氏に関する本サイトの独自調査です。本サイト筆者たちはこういった情報を直接的に、離脱当時を知る方々から実際に聞いた立場ですので、これらは間違いないことであると肌で確信していますが、さて読者のみなさんはどう思われたでしょうか?みなさんは本サイトというたったひとつの情報源からの伝聞としてこの話を知ったことになるので、にわかに信じられないかも知れません。もちろん上記は本サイト筆者の結論ですので、みなさんがこれと同じ結論を持つ必要はありませんが、もしみなさんが独自で調査を始めてみると、おそらくこのT・S氏の情報には比較的簡単に行き着くことが出来るでしょう(そもそも実際にご神体が拡大コピーで切り貼り、観音様が模写ということが、このことに対する大きな裏付けになっています。)。

いずれにしても秀明会の外ではこういったことが常識であり、離脱の裏にいるT・S氏の存在を知っている方が多数いるのは間違いない事実です。

(注:)このページでは、主にT・S氏の「指導」ではなく「指示」と書いています。「指導」というと非常に命令的に事細かい内容まで指図したかのようですが、T・S氏はそこまで細かい話をしたわけではなく、「相談に乗った」というぐらいだったそうですので、そのことを表現するために「指導」という言葉を避け「指示」という言葉を選んでみました。
神慈秀明会の離脱の裏に、名前も知らない霊能者が存在していたことは事実ですが、T・S氏は決して「離脱の黒幕」というような存在ではありません。

「離脱の神意」研究の最後に:神慈秀明会への意見

いままで神慈秀明会は、秀明独自の教義である「離脱の神意」の物語を、作りっぱなしの説きっぱなしで、それ自体の真実性を検証し確認する行程を怠ってきたのだと思います。これまでの本サイトの調査は、本来神慈秀明会が自分で行うべき「離脱の神意の検証」を代行して行ったような物であるともいえるでしょう。

もっとも、本サイトが調査したことは、末端信者でも本気を出して調べる気になれば比較的簡単に調べがつく物ばかりですが、その程度の調査で根幹が揺らいでしまう「離脱の神意」の教義には問題があります。そして、「離脱の神意」という教義の上に神慈秀明会の存在がある限り、神慈秀明会の存在意義は非常に脆弱であるともいえます。

ここで、本サイトの離脱の神意研究の最後として意見を述べさせて下さい。

本サイトとしましては、神慈秀明会には離脱の神意という教義を一から見直すことをお勧めします。いまの「離脱の神意」には、T・S氏の存在といい、ご神体、観音様の事といい、離脱の思想がみ教えと矛盾している事といい、あまりにも欠陥が多すぎます。

昔ならば、「世界救世教は邪神だから」といって情報を隠蔽すればそういった欠陥が発覚することはなかったでしょう。しかし、インターネット等で瞬間的に情報が広がっていく現代においては、神慈秀明会の教義上の欠陥、根本矛盾を、だれもが簡単に知ることが出来ます。これほど欠陥の多い教義で宗教団体を運営し、信徒を教導していくことはもはや不可能です。

そして、こんなにあらの多い離脱の神意を、疑問を持っても秀明会側から満足な説明も受けることが出来ず、しかもみ教えから答えを得ることも出来ず、ただだまって自分を偽って信じ続けなければ信者としてやっていけないのが神慈秀明会だというならば、秀明会信者は哀れとしか表現出来ません。少なくともこれから新しい信者を作っていくことなどとうてい出来ないでしょう。

もし神慈秀明会が、今後も離脱教団として世界救世教とは異なった独自の活動をしていくのならば、ぜひとも正しい歴史に沿った、誰が聞いても矛盾の無く納得のいく離脱の神意に教義を編纂し直すか、または「離脱の神意」の教義を全く捨ててしまうことを提案します。それをせずに、神慈秀明会の存在意義の根幹を「離脱の神意」に求めている限り、すでに始まっている「離脱の神意」崩壊とともに、神慈秀明会自体も崩壊せざるをえなくなります。

そして、いま神慈秀明会には、「神慈秀明会被害ネットワーク」や「家族を新興宗教から守ろう」のホームページをみても分かるとおり、過去に行ってきたことの反省と精算が迫られています。これらの問題を放置したまま、新しい時代を迎えることはまず不可能でしょう。だが、もし神慈秀明会がそれらの問題に対応していく事が出来ず、その出来ない根本の理由、すなわち意地を張り続けていかなければいけない理由が、この「離脱の神意」にあるのなら、いまこそこの崩壊が始まった「離脱の神意」を見直すか、または捨てるかをして、過去を反省し、問題を一つ一つ誠実に解決し、これからの時代に存在意義のある神慈秀明会に変わっていけるよう大改革を行っていく以外、神慈秀明会に未来は無いのではないでしょうか。

神慈秀明会は(または、これからもずっと神慈秀明会の中で頑張っていこうと思う人は)、是非、離脱の神意を見直し、数々の批判や過去の問題に真摯に対応し、新しい時代に向けて大改革をして下さい。それは世界救世教がたどったようなとても苦しい道かも知れません。そして今度こそ本当に、離脱があって良かった、神慈秀明会が生まれて良かったと言える、正真正銘の本物の「救いの機関」として生まれ変わって下さい。そうして、神慈秀明会に所属している、または所属していた私達が、そのことを誇りに思えるような活躍を繰り広げてほしい、ということを願って、本サイトの「離脱の神意」研究は、これでひとまず区切りをつけたいと思います。

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