明主様が設計図をご覧くださり、いろいろお指図をたまわり、おん自ら足を運ばれた今や唯一のご神殿を玉手山支部に移築、現在使用させて頂いていること

「わけても二十九年四月、ささやかながら新築なった教会に、丁度御西下遊ばされた教祖様が春秋庵への道すがら、車をお寄せ賜りました光栄は生涯忘れる事が出来ません。」

唯一のご神殿って?

ここはQ&A方式で解説していきたいと思います。

Q. 玉手山支部が、明主様の設計された、現存する唯一の建物なのですか?
A. 違います。そういった建物は他にも残っています。水晶殿などがそうです。
Q. しかし、「神殿」として残っているのは、玉手山支部が唯一ではないのですか?
A. そもそも、玉手山支部は明主様が設計された建物ではありません。このページの表題(=飛天の表題)をよく読んでみてください。「明主様が設計図をご覧くださり、いろいろお指図をたまわり」とあります。明主様は、誰かが書いた設計図をご覧になられ、指図を下さっただけなのです。
Q. えーー?。。。。(気を取り直して)でも、明主様が1教会の設計図を見てくださるなんて事は大変なおそれおおいことで、他には無かったのではないでしょうか?
A. とてもそうは思えません。例えばこれは景仰(明主様の思い出集)に掲載されていたことですが、ある教会でその教会で使うなにかのバッジを作るときに、サンプルを作って持っていったところ、「なぜサンプルを作ってしまう。もしこれではダメだと私が言ったらサンプルが無駄になってしまう。図面を持ってくれば修正が入っても無駄にはならないだろう。」と叱られたというエピソードがあります。バッジひとつでもそうなのですから、教会の設計図となれば当然ご覧になろうとしたのではないかと思います。(下記「なぜ図案を見せないのか」参照)
Q. そ、それじゃあ、何が「唯一」なんだろう。そうだ!明主様が1教会に足を運んでくださり、建物の様子を指示してくださったというところが唯一なのではないですか?明主様が1教会に来てくださるなど、とんでもないことだったと聞いていますから。
A. そう思って、ある秀明信者が救世教の人に威張ろうと思いそれを言ったところ、「明主様はいろいろな教会にお出ましになっておられますよ」と言われ驚いたと言うことがありました。これも景仰などを読むと分かりますが、明主様は時間が許す限り出来るだけ多くの人に会い、浄霊をし、話をしてやりたいというお心の持ち主であられました。私たちが離脱の神意で聞いてイメージしているようなもったいぶった方ではありません。
Q. じゃあ、じゃあ、いったい玉手山支部っていうのは、何が「唯一」なのでしょう?
A. わかりません。どこにも唯一である要素がありません。

以上のように、玉手山支部というのは別にどこも「唯一の」ご神殿ではありません。そもそも飛天では、もっと心の問題を説いており、救世会館をぶっ壊してしまう救世教のあり方は信仰的ではなく、頂いたご神殿を移築してまで残そうとする会主様はなんて信仰的で誠があるんだろうという論調でした。そういう話ならばまあ分かるのですが、後世において玉手山支部の建物の重要性を説く教学に変わってきたと思います。しかしこれは前述のようになんの根拠もないものであります。

『なぜ図案を見せないのか』

私は、大成会という会名をいただいたので、バッジを作ろうと思い、実物どおりのものを半月もかかって作らせ、それを明主様にごらんに入れました。

「こんど、こういうバッジを作ろうと思いますが、いかがでしょうか」とお伺いしますと、明主様はキッとしたお顔をなさって、『なんだって?なぜ図案を見せなかったのか。図案を見せて、これでよしとなってから、ほんとうに作らせないのか。もし、私がいま、"このバッジはよくないからやめよ"と言ったら、どうするのだ。金をかけて作らせただけ無駄になるではないか』と言われました。

それで、私は、「図案だけでは、よくおわかりにならないと考えまして……」と申し上げると、『私は若いとき、図案をやった人間だよ。そんなことで、大成会の責任者としてやって行けるか。大成しないぞ』とのお叱りをうけました。

しかし、とっさの場合にも、会名の大成を使って、"大成しないぞ"というユーモラスなお言葉を織りこんでのお叱りに、私もホッとした気持になりました。

(教会長)

「景仰」P368下段

玉手山移築について。

玉手山支部の移築についてですが、まずは次の写真をご覧下さい。

写真1:旧秀明教会(昭和45年以前)の入り口部分

この写真は現在の玉手山支部の形を知っている人には驚きでしょう。入り口の形が、全く違っています。現在の玄関は向かって左側に有るはずなのに、この写真1では右側にあります。次にこちらをご覧下さい。

写真2:縁側部分

写真3:お庭部分

写真2の縁側部分の写真は、離脱直後の秀明紙にも載ったことがあるのですが、現在の玉手山支部はこの縁側部分の左側に、01の写真の入り口を、増築してくっつけて建てています。

つまり、当時の教会の立て方そのままを移築したわけではないのです。「明主様がみて下さったのは、建物の設計」であるのに、その設計を変えて移築したというわけです。

経費節減、資源再利用という視点では、こういった移築も結構だとは思いますが、元の設計どおりを再現したわけではない玉手山支部の移築は、明主様信仰護持の誠の象徴である「神慈秀明会の誇り」というほどのものではないということです。

シロアリ襲来

さて、この玉手山支部は平成13年に大改装されたのですが、改装された理由が、なぜかご神前の床が異様にぼこぼこする。不審に思って床をあけて見たところ、すっかりシロアリに喰われていて、建物はあと10年も持たない状態だったということだったそうです。

大事な建物であったはずなのに、基本的な点検も行っていなかったということになります。だからほとんどの材木を新調し、今回の大改装で、形は同一だがまるで新品のようになってしまいました。結局玉手山支部は、明主様がご覧になった設計も、当時の材木も残っておらず、残っているのは明主様がお立ちになり記念写真が残っている濡れ縁の板のみとなりました。(濡れ縁の板の設置してある場所や周囲の形状は当時と異なります。)

飛天には「世界でも日本でも古い由緒ある建物は、どんなにお金がかかろうとも、時には根本的にバラバラにしても徹底的に補修して、元のままに再現することに努力しているのですし、そこに悠久の歴史の流れの中に古きを偲ぶ、またときの思想の転変を分かるよすががあるのです。信仰のない一般世の中でも文化的遺産を大切にするのに、それなのに世界を救うと大理想の旗印を掲げている熱海が、教祖様がご自身で総て設計監督遊ばした建物をどのような理由があろうともこわしてしまうというやり方に心の底から憤りがこみ上げてきます」とあります。

もしかしたら霊界の三栄子先生の心の底からの憤りは、現在は神慈秀明会の玉手山支部に対するこのようなだらしない体たらくに向けられているかもしれません。今の玉手山支部に神慈秀明会の誇りとしての意義は、それこそ建物全体のうちの、縁側の板の分くらいの割合しか残っていないといえるでしょう。

参考:濡れ縁の今昔

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